第7話 転校生と私
嫌だ、怖い、誰か助けて。
サラサラな黒い髪を持つ少女は赤いランドセルを揺らしながらひたすら走り続ける。
後ろからは少女より何倍も身体の大きい男が追いかけてくる。少女を誘拐してしまおうとしていることは誰の目から見ても確かだった。
それなのに。通り過ぎる人たちは誰も助けてくれない。女の人には目をそらされ、腰を曲げたお婆ちゃんには頼りにくい。コンビニもないただの住宅街だ。そもそも人通りも少ないし、防犯ブザーを鳴らしても誰も家から出てきてくれない。その時、こっちだ、おいで! と男の人が手を差し伸べてくれた。
その男の人の手を取ると、追いかけていた男の人は舌打ちをしてどこかへ行ってしまった。ありがとうございます、と助けてくれた男の人に声をかける。すると男は少女を見つめてこういったのだ。
「お嬢ちゃん、かわいいねぇ」
ヒヒ、と笑う男に少女は後ずさりをする。少女の武器である弓は今手元にない。そもそも矢を人間に放つことは禁止されているけれど。この男共に矢を放ってやりたくなった。
少女は振り返って思いっきりダッシュをする。男の待てよぉ、という声が聞こえた。
******
「お、おはよう、石上」
「うぇっ!? 杉野……今日早いじゃん」
登校途中、急に声をかけられて振り向くといつも遅刻ばかりしている杉野がいた。今日は猫を拾わなかったの、と冗談めかして言うとあぁ、とあっけらかんという。からかってやったのに、そんな当たり前みたいに言われても。
「それよか、昨日俺の弟助けてくれたろ? お礼が言いたくってさ」
「え?」
まさか昨日の男の子、杉野の弟だったの!? 明るくて礼儀正しいいい子だったから想像がつかない。
「公園で遊んでくれてたんだろ。帰りが遅かったから心配してたんだ。早く帰れって言ってくれてありがとうな」
「杉野からお礼を言われてる……こわ……」
普段ガキ大将みたいな感じのくせに……、と鳥肌が立つ。そんな私の様子にぷく、と頬を膨らませる杉野。その後私をじっと見て何かを言いたげにしていたが、おーい杉野ー! と他の子が声をかけ、杉野はそっちに走っていった。
「なんか言いたいことあったのかな……」
まぁいっか、と教室に向かった。
出席チェックの時間になったが、きょうちゃんも先生も全然来ない。きょうちゃんはいつも15分前にはついているのに。先生が遅くて生徒たちのテンションはだんだん上がる。
今日学校休みになんのかな! 先生びょーき? もう帰ろうぜ! そんな休みへの期待がだんだん高まっていく。
だが5分ほど経ってガラガラと教室の扉が開いた。
「おはよう! みんな!」
それと同時にうわぁ、という声と逆によっしゃあ、今日オレンジ! と喜びの声が上がる。また給食のおかずのおかわりをかけて、先生の半袖カラー予想をしてたのかな。
「
「はい」
きょうちゃん、体調不良か。大丈夫かな。昨日あんなこともあったし心配だ。帰りに顔見れたらいいな、なんて考えていると、教室がうぉおおお、と突然盛り上がった。私が話を聞いてないうちに何か重大発表があったみたい。
「入ってこい!」
先生がそう言うと、ガラガラと扉が開いた。目に飛び込んだのは綺麗な金色。歩くたびにふわふわの髪が揺れて、青い目が静かに私達を見つめていた。
教卓の前で立つと、ニパッ、と笑った。
「Tá áthas orm bualadh leat!《はじめまして》 香澄・アーリーです! よろしくお願いしますわ!!」
かわいい! とみんなが騒ぐ。嘘でしょ、転校生なんて聞いてない! 噂も立ってなかったし、突然だ。しかも帰国子女! 誰もが認めるトンデモ転校生。絶対仲良くなれなさそう。あんな可愛い子、でも、どこかで。
彼女はクラスを見渡すと私のことをじっと見つめた。そして、パァッと花が咲くように笑った。
「あ!! アナタ、昨日の!」
「へ!?」
たったったっ、と私のもとに駆け寄ってばん、と机を叩いた。これからよろしく! と笑う彼女は少し怖かった。
休み時間も、放課後もずっと彼女はクラスメイトたちに囲まれていた。給食の時間ではお箸が苦手なのか、自分で持ってきた銀色の美しい装飾の施されたスプーンとフォーク、ナイフを使って食べていた。高そう、こんな小学校に持ってくるようなものじゃないでしょ、と思いながらも私は特に気にしなかった。他にも英語の授業では素晴らしい発言を見せたり、もうこのクラス中の注目の的だ。
放課後になり、帰り支度をしているときも、かすみさんの机の周りには男子も女子も集まっていた。
「かすみさんって、外国人なの!?」
「違うわ、ハーフよ。でもついこないだまでアイルランドで暮らしてたの」
「アイルランド!? なのにそんなに日本語喋れるの!?」
「お母さんが日本人で、お父さんがアイルランド人で日本文化が物凄く好きだったから、普段の会話は日本語だったのよ」
だからそんなにキラキラした金髪で真っ青な目なんだ。羨ましい……と思ったけど、嘘、全然羨ましくない。だってあんなキラキラしてたら目立っちゃうし私絶対似合わないもん。ぼーっと眺めているとパチリと目があった。思わず視線をそらす。しかし彼女はこちらに向かって歩いてきた。
「Hiya!《やあ》、アナタの名前は?」
「わ、私!?」
「さっきからびっくりしてばっかりね、アナタ」
しょうがないじゃないか、こんなかわいい子が私に話しかけるなんて想像がつかないんだもん。
「石上あやめ」
「アヤメね! あのね聞きたいことがあるんですけど、よろしくて」
彼女は顎に手を起き、こちらをじっと見る。そして、子供らしくない大人っぽい表情で、笑った。
「昨日あの公園で何していたのかしら?」
よくわからない恐怖を感じてひぇ、と変な声が出た。
「な、何もしてないよ!!」
「ダウト。それに昨日一緒にいた黒髪のショートカットの子は?」
「ダウト? あ、それときょうちゃんのことなら今日は」
「嘘ってことよ。私は魔女だから、なんでもお見通しなのよ」
え、魔女? 周りで話を聞いてた子たちもポカン、とした顔でかすみさんを見る。私の隣の席の杉野がブハッと笑った。それに釣られてみんなも吹き出す。
「魔女なんかいるわけねぇだろ!」
「あっはは、かすみさん変な子!」
そんな声がクラス中に溢れた。かすみさんははぁ、とため息をついた。そして誰にも聞こえない声で呟いた。
「Eejit《ばかが》……」
「ひぇ」
可愛らしい天使のような見た目の彼女から突然飛び出した低い声に思わず変な声が出た。しかし、彼女はすぐにさっきの笑顔になった。
「Oh! 日本では魔女は信じられていないんでしたわね! これからは気をつけるわ!」
「向こうでは信じられてるのかよ! アホみてぇ!」
「まるで幼稚園生だな!」
あはは、と笑い声が再び響くとかすみさんが怖い顔に一瞬なった。秋田のほら、なんだって鬼……なまはげ! なまはげみたいな顔だった。彼女は私に顔を向けているから多分他の人はその顔を見てない。
「私まだこの街に来たばっかりで詳しくないの。だから、アヤメ。案内してくれないかしら!」
「え"」
「いいわよね?」
ニコニコ口は笑っているがその目は笑ってなくてこわい。思わずこくこくと頷いてしまった。
「Go raibh maith agat!《ありがとう》」
嬉しそうに笑うと彼女は私の手をとってぶんぶんと振った。あー、ヤダ怖い。わけのわからない美少女転校生とこんな地味女はが一緒にいちゃだめでしょう。やだなぁ。周りの視線が痛い。ほら、流行りとかかわいい物好きな女の子たちがこっち見てなんか言ってるよ。最近のあの子達のはやりは、ぴえん。ぴえんが鳴き声。
その時、先生がプリントを連絡袋にいれ、こっちに来た。きょうちゃんのプリントだ。それを見た瞬間、かすみさんは目を輝かせた。
「黒髪の綺麗な子のところに行くのね! 私にも彼女を紹介してくれるわよね?」
えー、めんどくさ。私はため息をついた。
街を案内している間、彼女は無限に話しかけてきた。よく話がつきないな。日本に来てどうだったとか、向こうの国の話とか。楽しそうに彼女が話すだけで小鳥でも飛んできそうだ。どこかのアニメのプリンセスみたいに、動物に囲まれながら歌ってそう。本当に私とは別世界の人間に見える。
「そういえば、かすみさんはお家どこなの? 適当に案内しちゃってるけど大丈夫?」
「大丈夫よ! 家はね、あの森の近く」
彼女の指さした方向には薄暗い森が見えた。夜は暗くて迷い込んだら二度と出てこられないだとか、肝試しをすると本物のおばけが出るとかそんな噂のある森だ。
「え、あそこの近く? 怖くないの?」
「怖い? 大丈夫よ。お母さんもいるもの」
「どうしてアイルランドを出てきたの?」
そう聞いた瞬間、彼女がピタリと立ち止まった。どこを見ているのかわからない目で空を見上げたあと、ニパリと笑った。
「お父さんのお仕事の関係よ、気にしないで!」
彼女の目がなんだか氷のように冷たく感じられて、背筋がゾッとした。しかしそれは一瞬のことで、すぐに自分の家族のことをペラペラ喋りだす。お父さんは美術品の
「お母さんはとびきりの
「じゃあお母さんも魔女なの?」
「……そうね。魔女、魔女よ。よく効く薬が作れるだけで、私達は魔女って呼ばれてるの」
「なーんだ、魔法とか使えるわけじゃないんだ」
「ふふ、使えてほしかった?」
「そりゃあもう」
彼女は自分のことを魔女っていっていたけど、どうやら私の想像の魔女とは違うらしい。箒持っててビューンって空を飛ぶのを想像してたんだけどなぁ。
「魔女は怖くないの?」
「なんで怖いの?」
「向こうじゃ魔女は、気味悪がられる存在なのよ」
「へーそうなんだ」
「雑ねぇ」
ふふふ、と彼女は楽しそうに笑う。学校のときのお人形さんみたいな笑い方じゃなくて、ちゃんと生きてる人の笑い方だった。
「かすみさんってちゃんと生きてる人だったんだね」
「ハァ!? 何言ってるのよ」
「いや、だって、学校にいるときはなんだか、お人形さんみたいな……」
「ふふふ、アヤメってば頭がおかしいのね!」
「はぁ!?」
意地の悪い顔でこっちを見てくる。彼女本当はドSで、意地悪で性格が悪いんじゃないかな。
「あ、あの公園……」
ピタリとかすみさんが足を止めた。その視線の先には、昨日私があの男の子の悪夢に巻き込まれた公園があった。
「ねぇ、昨日小さな男の子と、あとショートカットの子と三人でベンチにいたわよね?」
「う、うん! ちょっと、疲れちゃって休憩してたの!」
「最後の方に男の人も来て、なんかショートカットの子が怯えたりしてたわよね?」
「えっと、そうそう、れい兄が心配してくれて!」
「ただ休憩してただけにしてはショートカットの子の様子がおかしかったけど……?」
じっと彼女の青い目が私を見つめてくる。私は必死に、言い訳をしようと言葉を捻り出した。
「きょうちゃんが急に体調崩しちゃってさ! それで休憩してたの!」
「……そういうことにしておいてあげるわ。いつか本当のことを話してちょうだいな」
ため息をついて彼女はまた歩き始めた。少し小走りで追いついて隣に並んで私も歩く。
「そうだ、もうすぐきょうちゃんのお家だよ」
きょうちゃんのお家は弓道道場の裏にある。きょうちゃんのお祖父さんが運営する弓道道場からはいつも矢のシュパッて音がするんだけど、今日はしないなぁ。その時、ゾワゾワ、と全身に鳥肌が立った。
「あやめ! 来るぞ!」
え、と慌ててランドセルについているクーくんを見ると激しく揺れていた。ランドセルから外すとあっという間に元の大きさを通り越して私よりもおっきいキグルミサイズになった。
「これは一体どういうことなの!? テディベアがおっきくなったわ!」
ほらバレちゃったじゃん!! どうするの!! めっちゃ目を輝かせてクーくんのこと見てるよ! クーくんはため息をついて、
「初めまして、可愛らしいプリンセス。これは少しばかり悪い夢だと思って、あやめの側から離れないようにしてくれよ」
「これが夢!? そんなわけ無いわ!」
素敵、本当に素敵! と手を叩いて喜ぶ彼女。もうどうするの、とクーくんを見上げるけれど、首を横に振るだけだった。諦めたなこいつ。
その時、ぐへへへへ、と低い声が聞こえた。クーくんがサッと前に出る。さっきまで明るかった空もすっかり紫色の不気味な
「あれが今回のボウジャか」
クーくんがにらみつける先に、小太りの不気味な男がヒヒ、ぐふふ、と笑いながら立っていた。その手には包丁とカメラ……?
『オンナノコ、タァベタイナァ』
「な、何アイツ……」
『ヒヒヒヒ、カワイイナァ』
「いー、きもっちわる!!」
「こ、これどうするのよ!?」
男はカメラをこっちに向けてパシャパシャし始めた。本当に
急に叫びだし、こっちに走ってくるおじさん。クーくんがおじさんの攻撃を除け、みぞおちにパンチをした。その瞬間、おじさんは後ろの花壇の中に大きな音を立てて倒れ込んだ。頭のおかしい不気味なおじさん。リアルだけど少し、普通の生きている人間とは違って、人形のような見た目だ。女の子である私達に向かって写真を撮ったり、捕まえようとしてきたりしてる。
「もしかしてこれ、きょうちゃんの悪夢の中……?」
「あの嬢ちゃん、確か昔から誘拐されていたらしいな。じゃああの男はその誘拐をしようとしたやつってことか」
そういえば普段からきょうちゃんは男の人が近くに来ると、ビクッとしたり、唇をぎゅって噛んだりする。弓道をやってるから怖くないよ、なんて言うけど、絶対そんなことないってずっと思ってたんだ。昨日、れい兄をすっごく怖がってたのもきっとそのせいだ。
「ねぇ、全く意味がわからないのだけど! 説明して
私の肩を掴んでかすみさんはぐわんぐわんと揺らしてくる。怖いっていうよりも面白いおもちゃを見つけた、っていう感じだった。かすみさんって強い。
「えっと……どうしようクーくん」
「クマったな……大前提として、人のトラウマや悪夢に巻き込まれたとき、普通耐性のない人間なら、即座に眠らされるか、その夢の中に組み込まれちまうんだ」
「あ、こないだの半そで先生みたいに繭の中に入れられたりとか?」
「そうだ。だから、このお姫様には耐性っつーモンがある」
「耐性?」
「夢の中にいられる耐性。つまりモノノフになれる可能性があるってことだよ」
「モノノフって何よ!」
かすみさんがむぅぅ、とほっぺを膨らませたその時、ガサガサ、と言う音とともに、あのおじさんが立ち上がった。
『グァァァ! オニャノコォオオオ!』
するとおじさんはじりじりと私達に近寄ってくる。ハァハァとしてるのがなんとも気持ち悪い。人間ではなく、おばけとか人形みたいな見た目だけど怖いものは怖い。
「説明はあとだ! 二人とも下がってろ!」
「かすみさん、こっち!」
呆然とおじさんを見つめるかすみさんの手を慌てて引っ張って後ろに下がる。クーくんが首のリボンを解いて私にポーンと投げてきた。
「Show Timeだ、あやめ!」
「任せて!」
空中でリボンがひらひらと舞い、バトンに変わる。それをキャッチして、くるりと回す。ズドン、ズドン、と大きな足音と不気味な笑い声を響かせながらこちらに来る男に思わず逃げ出したくなる。でもコイツを倒さないときょうちゃんが目を覚まさなくなっちゃう。そのほうが嫌だ。グルン、とバトンを回転させながら回し、右に突き刺す。するとクーくんも同じように高く飛んで空中で一回転しながら男の顔面にパンチを決めた。
「す、凄いわ!」
「まだまだ!!」
右左となんとなく見えるタイミングに合わせてバトンを振っていく。うまくタイミングが合うと、クーくんのパンチやキックも綺麗に決まる。
『ぐへへ、ぐへへ』
聞いているだけで鳥肌の立つ声に引きながらも昨日一昨日より手に
しばらく攻撃し続けると、おじさんはパタリと倒れて空気に溶けるように消えていった。まだ体感時間的には五分も立っていなさそう。
「あっという間だったわね……」
「もしかして私達強くなった!?」
やったぁ、とかすみさんと喜んでいたがクーくんがさっきから静かだ。
「まだだ」
「え?」
「まだ、悪夢は続いているみてぇだな」
クーくんが空を見上げたのに釣られて私も空を見る。まだまだ紫色の雲が空に渦巻いている。
『キャァァァァー!』
その時大きな悲鳴が弓道場の裏にある家の方から聞こえた。
「きょうちゃんだ!」
「行くぞ、あやめ!」
きょうちゃんが無事でいてくれますように! そう願いながら足を早めた。
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