短編たち
藤浪保
【現ドラ】元カノに会った夜 ~あの頃、俺たちの間には確かに何かがあった~
※KAC2020 お題:Uターン
会社帰り、行きつけの居酒屋がいっぱいで入れず、近くの別の居酒屋に入った。
「一名様ですか~? カウンターへどうぞ~」
紺色のTシャツにエプロンをした女性店員が、ジョッキをいくつも持ちながら声だけかけていった。
チェーン店ではない、こじんまりとした店舗だ。俺は言われるままにカウンター席に座った。
「おしぼりとお通しで~す」
「
「は~い。
冷たいおしぼりが気持ちいい。ふぅぅ~と息が出た。
「あっちぃ」
店の中はエアコンが効いていたが、噴き出した汗はすぐには止まらない。
そのまま顔を拭いてしまいたいが、ぐっとこらえる。そんなおっさんのような真似はできなかった。
「なまら暑いよね~」
「そうそう、なまら暑い――って、え?」
横から入ってきた声に思わず相づちを打ってしまった。
見ると、グレーのジャケットを着たセミロングの髪の女性が座っていた。その隣の席はあいている。一人で飲んでいたのか。
「えーっと……」
どこかで会っただろうか。
ナンパ……? んなわけないか。
「ちょっと、元カノの顔を忘れるなんてひどくない?」
「あ」
女性は前髪を上げた。
だが、その広く特徴的なおでこを目にする前に、「元カノ」の言葉で名前を思い出していた。
「
「正解。久しぶりだね、サイトーくん」
「二十年くらい、か?」
「うん。ちょっきし二十年。私たち、2000年度卒業組だもの。お互いオジサンオバサンになっちゃったね」
坂下は、オバサンというほど老けているようには見えなかった。同じ歳なのだから三十五、六であることは明白なのだが、せいぜい三十過ぎだ。子どもの頃に大人っぽいと歳をとっても老けないというのは本当なのかもしれない。
生ビールのジョッキが運ばれてきて、二人で乾杯した。掛け声は、無難に「お疲れさま」だった。
「
「ああ」
「サッカー選手になって?」
「ごほっ」
むせた。
「ごめんごめん。冗談」
坂下が背中をさすってくれた。優しい手だった。
坂下の手の温かさなんて、あの頃は全く知らなかった。
――
――――
――――――
俺と坂下は同じ小学校に通っていた。
何年生のときだったか、とにかく坂下は小学校生活の途中で転校してきた。明るくて、勉強ができて、体育や音楽も得意で、学級委員になるような子だった。
対する俺は、スポーツができるくらいで勉強は苦手。服装や髪型を気にして大人ぶっているガキだった。
五年生で同じクラスになって、そのままクラス替えなく六年生になった。
そのころ、俺たちの間では「助け鬼」がやたら
俺と坂下は軽口を言い合うくらいに仲が良くて、なんとなく互いに両想いだとわかっていた。
だからこそ油断していたのか、卒業間近のある日、俺は坂下に心無い一言を投げつけた。
今はもう何を言ったのか思い出せない。なんということはない言葉だったと思う。それこそ「オトコオンナ」くらい、何度も言った言葉だった事までは覚えている。
それから坂下は俺のことを避けるようになった。彼女の友人によって、俺の言葉がひどく坂下を傷つけたことを知った。
好きな子を傷つけてしまったという罪悪感に
要約するとこうだ。
『傷つけてごめん。好きだ。だけど三年間はサッカーに集中したいから元の関係には戻れない』
アホかと。
今思うと死ぬほど恥ずかしい。
何だ元の関係に戻れないって。友達だぞ友達。サッカーに集中したいから友達に戻れないって。意味が分からん。
小学六年生の俺は謎の思考回路を持っていた。
しかし、心優しき坂下は、その手紙を受け止めてくれた。
卒業を目前とした時期に、なぜわざわざそのような手紙を送ったかといえば、俺と坂下は同じ中学校に入学するからだった。
中学校での三年間、俺は部活に専念した。本気でプロになりたいと思っていた。
が、なれるわけはなかったのだ。中体連で道大会に出ることもできない弱小校。せめて地区予選で目覚ましい活躍ができればよかったものを、残念ながら俺にそんな才能はなく、レギュラーもやっとの
俺は最後の夏の大会が終わるまでの二年半、サッカー漬けの毎日を送っていた。そこから受験勉強を始めたが、そう簡単に身に着くはずはなく、サッカー強豪校には落ちた。
一方の坂下は、部活に生徒会にと忙しくしている中でも勉学を怠ることはなく、周囲の期待通りに最難関の進学校への合格を決めた。
俺は第二志望の一般校。坂下は超進学校。
二人の道は完全に分かれた。
触れ合うことどころか言葉を交わすことさえなかった俺と坂下の三年間。
だけど、俺たちの間には確かに何かがあった。
――と、思っていた。当時は。
今となってはこれまたずいぶん恥ずかしい事なのだが、俺は、ときおり廊下に掲示される坂下の美術の作品に、俺に対する気持ちを見ていた。これは俺たちのことを表しているのだ、と。
気持ち悪い。
いやもうマジでなまらキモい。
その勘違いを爆発させて暴走したりしなくてよかったなと、最後の最後までストイックだったヘタレな自分を褒めてやりたい。
坂下は誰々先輩が好きらしい、なんて話も聞こえてきていたのだ。きっと実際そうなのだろう。坂下はとっくに俺のことなんて何とも思っていなくて、それなりに恋をしていたんだろう。
だいたい、待ってろの一言もないどころか、友達に戻れない宣言である。何とか思っていたらおかしい。
俺はずっと好きだったけど。
――――――
――――
――
「いや~、まさかヒロキと飲む日が来るとはねぇ~」
「お前、飲みすぎだろ」
懐かしい。あの頃、俺はヒロキと呼ばれていた。
「いいじゃんいいじゃん」
「家、ここから近いのか?」
「近い近い。歩いてすぐ」
ということは、うちとも近いわけで。
「てか、俺たち、つき合ったことないじゃん。元カノじゃないだろ」
「あ、バレた?」
「バレるわ」
「で、
「転職」
「おお。じゃあまた飲めんじゃーん。やったね~」
「一人で飲むとか寂しいやつ」
はは、と軽い口調で笑ったつもりが、坂下はぐっと口を
既視感のある表情だった。
あれ、俺、また傷つけた?
「だって……ずっと待ってたのに……」
「え?」
俺のこと? 中学卒業した、あと?
「なーんてね。あははー、ひっかかってやんのー」
「ちょ、お前っ!」
マジ焦った。やめろよほんと。
「でも待ってたのはほんとだよ。私ずっとヒロキのこと好きだった」
坂下は視線を落とし、寂しそうに言った。アルコールで顔がほんのり赤くて色っぽかった。
「俺も――」
「でもねー」
坂下はスマホの待ち受け画面を俺に向けた。
「今は幸せなのー。見て見て、なまらめんこいしょー」
表示されていたのは、旦那さんと思わしき人と、ピンクの服を着た赤ちゃんの画像。
「お、俺だってっ!」
負けじと見せたのは、ウェディングドレスの女の人。俺の奥さん。
「ぷっ」
二人で笑って、もう一度乾杯した。
「二人の幸せに」
「かんぱーい!」
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