一章2 『聴牌』

 少女の言葉に俺は耳を疑った。

「……聴牌(テンパイ)?」

 訊き返すなり、彼女は眉をひそめた。

「まさかアンタ、家宝(チャーポー)を持ってるのに、役を把握してないの?」

「い、いや、一応一通りは覚えているが……」

「だったらわかるでしょうに。これ、もう聴牌じゃない」


 言われて俺は確認する。

 順子(シュンツ)も刻子(コーツ)も、一つもできていない。

 普通ならこの状態では役なんてできっこない。

 だが唯一、それらがなくとも完成する役が存在する。


 それは……。


「これ、国士無双(こくしむそう)の聴牌よ」


 国士無双。

 それは一・九牌と字牌を全てそろえることによって成立する役。

 役満と呼ばれる高得点の役の一つで、作るのはとても困難である。

 特に国士無双は鳴けないうえに、役に必要な字牌は基本的に最初に捨てられてしまう。

 かてて加えて普段ならキープしておくはずの二~八を次々捨てるために警戒されてしまい、手牌が上手く揃っていたとしても上がりづらい。


 俺の手牌には萬子(マンズ)、索子(ソーズ)、筒子(ピンズ)全ての一と九牌の計六枚と、北(ペー)を除く全ての字牌一枚ずつと白(ハク)のダブりがある。

 あとは北さえ手牌に入れば国士無双で上がることができる。


 鳴き禁止の役はチーやポンなどはできないが、相手の捨て牌をロンで加えて上がることはできる。

 作るのが困難な役で、最後だけでも他所(よそ)から調達できるのはすごくありがたいのだが……。


「ゲッ、ヤベーっすよ! 国士無双を聴牌してるって!」

「こりゃ、迂闊なもんは捨てることはできねーでごわすな!」

 少女の言葉はバッチリ敵の耳に届いていた。

「あっ、ごめっ……」

 今更口元を隠すが、もう手遅れである。


 この国の三人麻雀のルールでは北は抜きドラで、川に捨てられない限りロンで和了(ホーラ)することはできない。つまりノーリスクで、手札を圧迫せずにドラを増やせるということだ。

 少女の失言がなくとも、最初からロンできる確率はほぼゼロに近い。

 むしろ敵が二~八牌を中心に捨ててくれるなら手が遅くなる分、先刻の情報のリークは逆に俺にとって有利に働くとすら考えることもできる。


 太っちょがにやりと笑い、剣を振り上げる。

「いくぜッ、手始めにウーピンだ!」

 剣の一閃が牌の一枚を切り裂く。

 途端、彼の前に五つの盾が現れる。

「まずは守りを固めてからっすか。相変わらず防御思考っすね」

「防御は最大の攻撃ってな」

「それ、普通は逆っすよ。じゃあ、次はあっしの番ッ!」


 のっぽの剣が牌の一つを貫くと同時に、宙にチーワンの牌が表示される。

直後、七つの火球が出現し、こちらへ殺到する。

「チッ……!」

 俺は扇子をはためかせて神風(シェンフォン)でもって受け止めようとするが、牌を伴わない占術(チェンシュー)では到底敵わない。どうにかお札で結界を展開して防いだが、六以上の牌の攻撃では一撃で破壊されてしまう。

 状況的に九牌が切られにくいのはまだマシだが、二体一でいつまで持つか……。


 回ってきた俺の手番、最初にツモってきたのは風牌の東(トン)だった。

 風牌は俺の持つ家宝と相性がよく、敵に大ダメージを与えることが期待できる。

 扇子でもって、迷わず東の牌を弾く。

 すると青く色づいた風が旋風となり、のっぽ目掛けて飛んでいく。

 だが。


「そりゃあ、ポンでごわす」

 太っちょの剣が二枚の牌を断ち切った直後、旋風が三つに分裂、さらに巨大化してこちらに接近してくる。

「チッ、マジかよ……」

 俺は懐から二枚のお札を取り出し、二重結界を構築。

 しかしそれでも攻撃は受けきれず破壊され、直撃を食らってしまう。


「うぉおおおおおッ!?」

 体が空中に吹き飛ばされ、そのまま宙に投げ出される。

「あっ、危ない!」

 少女の声がしたと思ったら、体が地面に落下していく。

 硬い地面に打ち付けられるのを覚悟したが、予想に反して頭部は柔らかな感触に受け止められた。


 目を開けると、少女の顔が間近に合った。

 今まで状況が状況だけにまじまじと見ていなかったが、こうして間近でじっくり見ると彼女はすごく可愛らしかった。


 小顔ですっきりとした輪郭、小鼻で口は小さく、長い睫毛をかぶった大きな黒い瞳。

 白い素肌に、ほんのり色づいた頬。

 黒い髪は艶やかで月光に映え、癖もなく素直に下にすとんと落ちている。

 妙に胸元を強調した漢服(かんぷく)もいやらしい感じはせず、どこか神聖な印象すら受けた。


 どうやら俺が頭を痛めずに済んだのは、彼女のおかげらしい。

「……助かった、ありがとう」

「礼なんていいわよ。……それに、もうこれ以上戦わなくても」


 少女の言葉に、俺は眉をひそめる。

「なんでだよ? おまえは、アイツ等に襲われてたんじゃないのか?」

「そうだけど……」

 何か言いかけた少女の口を、俺は人差し指でもって塞いだ。

「乗り掛かった舟、毒を食らわば皿までって言うだろ?」

「でもっ、死んじゃうかもしれないじゃない!」


 必死な訴えを受ければ受けるほど、俺の心は波の立たぬ凪いだ海のようになっていく。

「そうか」

「そうかって……!」

 俺は置き上がり、少女の頭にぽんと手を置いて言った。


「生まれて初めて、役満を和了するチャンスに恵まれてるんだ」

「役満なんて、生きてればその内上がれるわよ!」

 俺はかぶりを振って、もう一つ付け加えた。

「あと、人生で初めて麻雀に勝てるかもしれないんだ」

「えっ……?」


 少女はぽかんとした表情で俺の顔を見てくる。

 思わず、一笑が転がり出てしまった。

「俺は今まで人生で一回も麻雀に勝ったことがないんだ」

「……嘘、でしょ?」

 真偽を見定めるように、少女の黒目が若干大きくなった気がした。

 だがその試みは、どれだけ続けたところでまったく意味を成さないだろう。


「事実だ」

 端的に俺は言い切った。

 手牌から切った牌は、現物として川に並ぶ。それと同じ牌で他家からロンを和了することはできない。それでも上がりたいのなら、自分でツモった牌を用いるしかない。つまるところ事実を捻じ曲げるには、自分自身に嘘をつかなければならないということであり。俺にはそんな器用な真似はできない。


「九種九牌って、わかるか?」

「え、ええ……」

「俺はその呪いにかかってるんだ」

 少女は眉間に皺を寄せて、意味を考えている。

 だがその長考に付き合うつもりはない。


 俺は男達に向き直った。

 ヤツ等は相も変わらず、余裕綽々といった様子でこちらを眺めてきている。


「おしゃべりはもう終わりっすか?」

「……そうだな。ここからは、拳で語り合う時間だ」

「へへ、いい面構えでごわすねえ。じゃあ次は、こっちから行くっすよ!」


 太っちょの剣が閃き、牌が一つ切り裂かれる。

 四本の巨大な剣が空中に出現し、こちらへ振り下ろされる。スーソウか。

 見た感じ、ヤツの家宝ともっとも相性がいいのがこの索子だろう。


 俺は懐から人型に切り取った聖紙(シャンチー)を取り出し、「出でよ(チューシエ)!」と唱えて四柱の式神を出現させた。

 式神はイメージ通り兵士となって、スーソウを受け止める。

 どうにか拮抗しているものの、打ち消すには至らない。

 そこへさらなる追い打ちが来る。


「これでおしまいっす、チーソウ!」

「なっ……!?」

 七本の剣が出現、式神の頭を越えて突っ込んでくる。

 聖紙はあと五枚しかなく、数が足りない。

 俺は自分の不運を呪い、死を覚悟した……。

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