青色カルテット

白川ちさと

カツサンドの彼:野々花

1.


 帰りのホームルームも終わった午後四時三十分すぎ。おしゃべりをしたり、出入りがあったり。まだ落ち着かない教室。その片隅で四人の女生徒が集合していた。


「ごめん! 今日も行けないの」


 一人の女生徒が目の前の友人三人に、申し訳なさそうに手を合わせた。


「いいよ、野々花。気にしないで」


「バイトなんでしょ」


「いってらっしゃいですよ」


 放課後は遊びに誘われても、バイトが入っていることが多い。にこやかに送り出してくれる友人たち三人にごめんねともう一度言って、野々花は通学用の黒いリュックを背負った。ドアの近くでおしゃべりしているクラスメイトたちの間を縫って教室を出る。


 野々花は青葉が茂る並木の坂道を抜けて、レトロなレンガ造りの駅へ。駅についても電車には乗らずに、改札を横目に走り抜けた。床にある西側出口の矢印の案内表示を踏みつけて、駅の外に出た。


 駅を西側に出てすぐは華ノ街商店街だ。屋根付きのアーケードで、総菜屋に八百屋、金物屋など、間口の狭いこじんまりした商店が続いていた。


 野々花は息を整えて、一軒の店にある片開きの木製のドアを開ける。ドアの上に掲げられている看板には、ベーカリーヒラノとカタカナで書かれていた。


「こんにちは!」


 いつものように、明るくよく通る声であいさつする野々花。モスグリーン色のエプロンを付けた女性が振り返った。


「野々花ちゃん、こんにちは。今日もよろしくね」


「よろしくお願いします。頼子さん」


 野々花はぺこりと頭を下げる。頼子はベーカリーヒラノのオーナーの奥さんだ。


「それじゃ、野々花ちゃん。荷物を置いたらこのメロンパンを並べてくれる?」


 頼子は鉄板に乗っているメロンパンを指さした。


「はい!」


 野々花は明るい声で返事をすると、バックヤードの方へ向かう。厨房ちゅうぼうの片隅に置かれている小さなロッカーを開けて、中に鞄を入れた。下ろしている髪を黄色い花柄のシュシュでザックリまとめる。ロッカーに入っている頼子と同じモスグリーン色のエプロンを取り出して、セーラー服の上につけた。


 店内に戻るとお客さんが二人ほど入ってきていた。ベーカリーヒラノはそう広くない。せいぜい六畳ある程度の店内で、そこに菓子パンやフランスパン、総菜パンなど、数多くの種類のパンが置かれていた。


「メロンパン、焼き立てです。いかがですかー」


 そう言いながら野々花はメロンパンをトングで掴んで売り場の棚に並べていく。置いていくだけで、香ばしい匂いが野々花の鼻をくすぐった。


(今日はメロンパン、売れ残るといいな)


 売れ残れば、帰る時に安く買うことが出来る。そんな野々花の思いとは裏腹に焼き立ての匂いにつられて、お客さんが持つトレイにいくつも置かれていった。いまなら焼き立てで美味しいし、売れ行き好調なことはいいことかと思いつつ、レジの横に行って待機した。


 頼子は厨房に引っ込んでいて、売り場はバイトを始めてもう一年以上経つ野々花に任せている。頼子はいつもにこやかだし、オーナーもぶっきらぼうだけれどいい人だ。野々花としては高校の間はずっとこのバイト先でお世話になりたいと思っていた。


 店内にいるお客さんたちがパンを選んでいる中、ドアが開いてまた一人来店する。


「いらっしゃいませ」


 そのお客さんを見て、来た来たと野々花は心の中でひっそりと思う。


 野々花がなぜ急いで学校からベーカリーヒラノに来たのか。その答えは、彼が最近この時間帯に来ることにあった。学校から一直線に来なければ会えなかっただろう。


 白いスポーツバッグを斜めにかけた彼は、冷蔵になっているサンドイッチコーナーに一直線に向かった。迷いもなく大きな手で、フィルムで包んでいるカツサンドをわしづかみにする。平日の放課後はほとんど毎日このカツサンド買いに来ていた。


 ベーカリーヒラノのカツサンドは確かに美味しい。食パンは売ってあるものとは違い、サンドイッチ用に焼かれたものだし、中に挟んであるカツは冷めても衣がサクサクしている。だからといって、毎日買いにくるなんて、野々花には信じられなかった。


 彼が現れたのは三学期の中旬頃だったと思う。野々花がバイトに入っていない日はどうだか分からないけれど、ほぼ毎日来店してはカツサンドともう一つパンを買っていく。


 彼はカツサンドを買うのには迷いがないのに、他のパンを選ぶのには悩んでいた。


「あの、お願いします」


「あっ、はい。失礼しました」


 カツサンド好きな彼を見ていたら、いつの間にか他のお客さんが野々花の前にトレイを置いて待っていた。野々花は焦りつつもトングでパンをビニール袋に入れていき、レジにパンの金額を打ち込んでいく。


「全部で千四百六十円です。はい、千五百円お預かりします」


 四十円お釣りと商品を渡して、野々花はありがとうございましたと言って頭を下げた。


 その次に並んでいたのが彼だった。


 近くに来ると身長があるのが分かる。野々花の頭一個分は丸まる大きい。それにこの距離に来て分かるのは学ランのボタンの校章。野々花と同じ青華学園の校章だ。


 野々花は毎回この校章というかボタンを見つめている。目線の高さにあるし、目線を少しでも上げると目があってしまいそうだからだ。こっそり店内での様子を観察している分、正面から見るのは恥ずかしい。


 この日はカツサンドとアンパンのセット。何がカツサンドとセットになるかは日によって異なった。野々花は簡単にパンに二個分のレジを叩く。


「三百五十円です。――三百五十円、ちょうどですね」


「袋はいりません」


 少し低い声で言われる。


「はい。ありがとうございます」


 毎回、袋は貰わず、大きなスポーツバッグの中にビニールに入れたパンを突っ込んでいた。


(そんなに乱暴に押し込んで潰れないのかな)


 きっとバッグの中には教科書やノート、それに運動着などが入っているのだろう。たぶん、何か部活をしているからお腹が空いて毎日のようにパンを買いに来るのだと野々花は思っていた。


「ありがとうございました」


 野々花は頭を下げ、ドアへ向かう彼の背中を眺める。そのまま、見ていたかったが、後ろに並んでいたお客さんがトレイを持ってレジにやってきた。


「お待たせしました!」


 大きな笑顔を浮かべて野々花はトレイを受け取った。


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