当て馬女と百合の花
御園詩歌
第1話「告白からの交際」
「自分の気持ちに嘘はつけない」
私を振った男達はみんなそう言った。
私だって、自分の気持ちに嘘をついたことなんて一度もない。
ただ幸せになりたくて、必死に求めているだけなのに。
私の恋はいつも、『純愛』とやらの前に折れていく。
「『やっぱり別れよう。これ以上、自分の気持ちに嘘はつけない』だってさ。笑わせるよね! だったら最初っから、あたしなんかと付き合うなっつの!」
「そうですねぇ~」
「ちょっと、ちゃんと聞いてんの?」
「聞いてますよ~珠子先輩のお話、すごーくためになりますもん」
そう言って、後輩・立花梓は、私のグラスにビールを注いだ。
まったく白々しい。どうせニコニコした仮面の下では、「早く帰らせろよ。この年増ババア」とか思ってるに違いない。もし私が同じ立場だったら、職場の先輩が彼氏に振られた愚痴なんて、聞きたくもないだろう。
まあ、飲みに誘って来たのは向こうなので、これを機会にせいぜい絡み尽くして、嫌われてやろう。
私としては、こんな大して仕事も出来ないひよっこ新入社員に好かれることに価値はない。
そんなものは、ちょっと愛想良くしてやればコロッと騙される性欲丸出しの男連中にでもくれてやる。
私は注がれたビールを一気に呷った。
「だいたいさあ!あたしの惚れる男はいっつもそうなのよ! やれ幼馴染だとか、部活の先輩だとか、会社の部下だとか、他に好きな男がいる奴ばっかり!」
そりゃ確かに今どき好きになる相手に性別は関係ないけど、私は特に理由がなければ男と付き合いたい。
あたしだって初めから男が好きって分かってれば、手を出そうなんて思わないのに。
毎度毎度、悪者扱いされるこっちの身にもなって欲しい。
「嘘つきたくないなら、堂々としてろっての……」
悪者になりたくて近づいているわけじゃない。彼らが想い人と結ばれたいように、私も幸せになりたいだけなのだ。
「あ~あ……どっかにあたしのこと一番好きになってくれる人いないかなあ……」
できればイケメンで、背が高くて、お金持ちで、ついでに夜の方も上手ければ万々歳。
「いますよ~」
耳をくすぐるようなふわふわした声で、梓は根拠もないことを言う。
「アンタに何が分かんのよ」
そうやってヘラヘラしておけば勝手に男が寄ってくるような、愛され小娘に、あたしの気持ちなんて分かるわけがない。
「分かりますよ~だって先輩のこと好きな人、会社にいますから」
「えっ⁉ 誰⁉」
「私です」
「は……はあ⁉」
梓は、酔っているのか、僅かに潤んだ目で、真っ直ぐにあたしを見て言う。
「私は、萩野 珠子先輩のことが好きです。先輩と、お付き合いしたいです」
この子、こんな真剣な顔出来るんだ……。
もし私が男だったら、普段はニコニコ笑っているゆるふわ娘の梓に、こんな風に真面目な顔で告白されたら、思わずOKしてしまうかもしれない。
というか、今あたし告白されたの⁉梓に⁉
「ちょっ、アンタ、酔ってるの? あたしのこと、誰かと間違えてない?」
「酔ってません。先輩より、全然飲んでませんから」
「じゃ、じゃあ、他の人に告白する練習でしょ? あたしなら、誤解されようが、別に構わないもんねっ!」
「いいえ。私は珠子先輩に告白しているんです。本気で、珠子先輩が好きなんです」
改めてまた言われて、顔がカッと熱くなる。
迫るのはいつもあたしからで、今まで誰かに告白されたことなんてない。
まさか、こんなところでそれが起こるだなんて!
「珠子先輩!」
梓があたしの両手を握る。
「先輩、私は先輩のこと、誰よりも好きでいます! だから、私と付き合ってください!」
あたしと同じ女だけど、あたしより白くて華奢で、柔らかい手だ。けど、握る力はとても強くて、梓がどれだけ真剣か伝わって来る。
しかし頭に血が昇って、どうしたらいいのか分からない。
「ちょ、ちょっと考えさせて!」
あたしは梓の手を振りほどき、店を飛び出した。
最初の彼氏は高校1年生の頃。同じクラスの明るいイケメンで、文化祭の準備で仲良くなって、あたしから告白した。
あたしに押されるように付き合った彼だった彼は、幼稚園からの幼馴染の男子のことがずっと好きだった。
あたしは何とか彼を繋ぎ止めようとしたけれど、結局あたしたちはクリスマスが来る前に別れてしまった。
それがあたしの悪役人生の始まり。愛されようとするほど、あたしの心は醜く歪んでいった。
目を覚ますとベッドの上だった。帰ってそのまま倒れ込んだらしく、シャツもシーツもぐちゃぐちゃだ。
「うっ……」
おそらく二日酔いだろう。起き上がろうとすると、頭がズキズキと痛む。
ベッドの脇の時計を見やると、もう昼近かった。
今日が休みで助かった。昨日のことを考えて、とても仕事どころじゃないから。
『私、珠子先輩のことが好きです』
今思い出しても、顔から火が噴きそうになる。
人生で初めて告白された相手が女で、しかもあの立花梓だなんて。
思いもよらないことが一度に起きて、もう頭の中がぐちゃぐちゃだ。
それでも痛む頭を必死に動かして考える。とにかくあたしがしなければならないのは、梓への返事だ。
結論から言えば、ノー。あたしは同性愛者じゃないし、もし梓が男だとしても、頼りない年下は好みじゃない。
優秀で包容力のある年上か、せめて同い年がいい。もちろん顔はイケメンで越したことはない。
そうやって考えていくと、やっぱり断る以外に選択肢はないのだ。
梓には悪いけど、あの子は見てくれはゆるふわ女子っぽくて可愛らしいし、愛想も良い。男なんて引く手あまたで、ひょっとしたら女だって捕まえられるはずだ。
次に会社で会ったら、きっぱりと断ろう。
気持ちを固めてすっきりとし、あたしは冷蔵庫からペットボトルの水を取り出して、喉を潤す。
少しだけ、あの時握られた手の感触が脳裏をよぎった。
休日明け。昼休みになってすぐ、あたしは梓のデスクに向かった。
「立花さん。ちょっと、いい?」
「は、はい! あの、あの後大丈夫でしたか?ちゃんと帰れましたか?」
「え、ええ……急に帰ってしまってごめんなさいね。お代は後で払うわ。それより、話があるんだけど」
梓はその大きな目を揺らがせた。あたし
が何の話をしたいのか、察したようだ。
「ここじゃ話しにくいから、移動しましょう」
「……はい」
梓を連れ、備品倉庫に入った。ここなら誰も来ないだろうけど、念のために鍵もかけておく。
梓はこれから食べられる子羊のように怯えている。別に食べやしないっての。
「この前、一緒に飲んだこと、覚えてるわよね?」
「はい……覚えています」
「あたしに好きって言ったことも……?」
「……それも、覚えてます」
改めて先日のことが夢ではなかったと、思い知らされる。
あたしは女に告白されたのだ。
「確認のために聞くけど、何かの冗談とか、本当に誰かと間違えたわけじゃないのよね?」
梓は首を横に振った。それからあたしの目を真っ直ぐに見据えて言う。
「本気です。私は本気で、珠子先輩と恋人になりたいと思っています」
こんなにも一生懸命に、あたしに好意を向けて来る年下の女に、流石に少し罪悪感が湧く。
でも仕方がない。ここでキッパリ断っておくのが本人のためでもある。
「申し訳ないけど、立花さんとお付き合いは出来ないわ。あたしは恋愛対象は男性だし、あなたのことを後輩以上に見られないから」
自分でもゾッとするほど、機械的な声だった。
梓は泣きそうになるのを堪えるように俯いている。
いくら苦手な後輩だといっても、不必要に傷つけたいとは思っていなかったのに、これじゃ台無しだ。
ああ早く何か言って欲しい。怒っても泣いてもいいから、とにかくこの気まずさから解放して欲しい。
目でそう訴えると、梓はおずおずと顔を上げた。顔は真っ赤で、目尻からは今にも涙が零れそうだ。
「立花さん……」
「やっぱり、そう言われると思っていました……先輩は、私とは違いますもんね……」
梓はぼそぼそと話し出す。いつも笑っている明るい女の面影は、そこにない。
「そ、そんなに落ち込まないでよ。立花さん、凄くモテるだろうし、これからよ。きっとあたしなんかより良い相手いっぱいいるわ」
「珠子先輩じゃなきゃダメなんです!」
急に大きな声を出されて、驚いた。外に聞こえていたら、どうしよう。
ドアの方を心配していると、梓があたしに詰め寄って来た。
「先輩、最近振られたんですよね? 今、フリーなんですよね? じゃあ、私でもいいですよね?」
「た、立花さん! 近い! 近いってば!」
梓がグッと顔を近づける。後ずさると、後ろの棚に身体が押し付けられた。
「先輩、私と付き合ってください……」
「だから無理だって。あたしは、立花さんのことが好きじゃないし……」
「付き合ったら、好きになるかもしれないじゃないですか!!」
その言葉に、思わず息を飲んだ。
それはかつてあたしが、あたしを振った男たちに投げかけた言葉だった。
確かあれは大学一年生の頃。サークルで知り合った男子に、こんな風に告白した。
彼は気まずそうに、「俺、萩野のこと好きじゃないし……」と言った。それでもあたしが強引に迫って付き合ったんだっけ……。
結局彼は再会した初恋の男と付き合ってしまった。
あの時の彼も、今のあたしみたいな気持ちだったのだろうか。
それからも誰かと付き合った。でも誰もあたしのことを好きになってくれなかった。
付き合ったら好きになるなんて、幻想に過ぎない。
この若くて無防備な娘は、そんなことも分からないのだ。
「……好きにはならないわ」
あたしは梓の肩とそっと押し戻す。
「たとえ恋人になっても、あたしはあなたを好きにならない。あたしは、そういう風に出来ていないもの」
梓は唇をきゅっと結ぶ。それでも泣かないように我慢しているのか、睨むようにただあたしの目を見ている。
情に流されてはいけない。とにかく冷酷にならなければ、きっと彼女は引き下がらない。
「そういうことだから、あたしのことは諦めて」
そろそろ休憩時間も終わることだし、仕事に戻らなければ。
あたしは梓に背を向けた。その時だった。
「待ってください!」
梓があたしの手を掴んだ。本当に一体この細い腕のどこにそんな強い力があるのだろう。
「立花さん、仕事に戻らないと……」
「先輩が経験から、私のことを信じてくれないのは分かります。でも、私は今までの男の人たちとは違います。誰よりも、先輩のことを大事にします。だから、1ヶ月……いえ、1週間でいいです! 私に、時間をください!」
根拠のない自信を振りかざして、そんなことを言う。
物分かりも、諦めも悪い惨めなその姿が、まるで昔の自分みたいで、ひどくイライラする。
「その間に、絶対先輩を振り向かせてみせます! だって、付き合っても好きにならないかなんて、付き合ってからじゃなきゃ分からないじゃないですか……」
でもなぜだろう。梓の言葉には、あたしのような醜さはなくて、どこまでも真っ直ぐに、心に響いて来る。
それが余計に見ていられない。何とかして、この純粋で、傲慢な女を絶望させてやらないと、あたしの気が済まない。
こうなったら、身をもって教えてやるしかないのだ。
「……分かったわ。降参よ」
「せ、先輩!」
「ただし、2ヶ月だけよ。2ヶ月だけ、あなたに付き合ってあげる」
梓はいつも褒められた時に見せる明るい笑顔で、ぺこりと頭を下げた。
「はい! よろしくお願いします! 珠子先輩!」
心から嬉しそうな、曇りのない表情に、これから彼女が味わうであろう絶望を思うと、また少しだけ胸が痛んだ。
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