第41話 いちゃついてはいない

 日が暮れる。カラスが鳴く。東の空にはうっすらと星が見える時間帯。しかしそんなことを気にする素振りもなく、サッカー部は放課後練習に励んでいた。


「やるなあ……」


 思わず呟いて、今日一日を振り返る。昨日から引き続いて、竜也との間に会話らしい会話はなかった。喧嘩をしているわけではないから挨拶くらいはするけれども、どこかに壁があるのは感じている。その壁を僕が壊そうとしているなんて知ったら、あいつはどんな顔をするだろうか。


 場所は校舎から少し離れた第二グラウンド。事実上のサッカー部専用練習場であるここでは、今も部員のかけ声や顧問の檄などが飛び交っている。スポーツは好きなのに部活動となると気乗りしないのは、こういう張り詰めた雰囲気の影響が大きかった。団体競技をやるからにはどうしてもチームが勝利至上主義へと向かいがちで、勝ちに結びつかない行為は全て悪と断ぜられる。エンジョイ勢はお呼びでない。

 たとえば、週に二回だけ一時間くらいキャッチボールに興じる部活や、週一で人を集めて試合だけをするサッカー部があったら入部しても構わないと思えた。実際に入るかは別としても、検討するところまでは進む気がする。……気がするが、やはりナシ。学校という空間にはしばしば革命家が生まれ、世界をまるっと塗り替えていく。おそらくそういう連中は、向上心のないお遊びサークルに目をつけて自分好みに更生させ、甲子園なり国立なりを目指すことだろう。そんなものに巻き込まれたら災難以外のなにものでもないし、大抵早期に反意を見せた奴から懐柔されると相場は決まっているので、ハナから関わり合わない方針を立てておくのが無難だ。


「はぁ……」

「逃げてしまった幸せの補填はいかが?」

「うおっ!」


 意味のない妄想でため息をついていたところ、横からぬるっと芦屋の声が。突然の登場を予期していなかった僕は背筋をぴんと伸ばして、錆びた機械みたいにぎこちなく彼女の顔を見た。


「びっくりするなぁ……」

「ごめんなさい。思いつめているみたいだったから、つい」

「いや、大丈夫。しょうもないこと考えてるだけだったから」


 邪魔されて困るようなことじゃない。それよりも、今はどうして彼女がここに来たかが気になっている。


「芦屋、教室に居残って自学してたんじゃなかった? それでこの時間までか」

「本当は暗くなる前に切り上げるつもりだったんだけど、香月くんの応援もしておきたいなって」


 暗くてわかりにくかったが、芦屋の手には小さなビニール袋が握られていた。それがコンビニでもらえるものなのはなんとなく判別がついて、次いで付近の立地を考え、わざわざ行って戻ってここに来たのかと半分呆れる。


「差し入れ。お腹空いてるだろうから」

「気がききすぎて怖いくらいだ」


 夕飯のメニューがなにかは、ここに来てから二けた回数は脳内会議の議題に挙がっている。最近姿を見ていないカレーが最有力で、しかしすずがその予想を嫌って別のものを持ってくる可能性も十二分に考えられる。一言ラインを送れば解決することなのだが、こんなのでも予想が的中するとうれしいのだ。

 とまあ我が家の夕飯事情は置いといて、わざわざ長い距離を歩いて僕を応援しにきてくれた芦屋を「ありがとう」と労う。そのままリュックから財布を取り出そうとするのを、慌てた彼女に止められた。


「差し入れに代金を要求する人がいる?」

「いるかもしれないだろ」

「……香月くん、私をそんなに卑しい人間だと?」

「それはかなりの語弊があるが……でも、こういうのは礼儀として出す素振りくらいは見せるもんじゃないか? 確かに短縮可能な工程だけど、削ったら人として一番大切なものを失いそうで……」

「香月くんがそのあたりすご~く面倒なのはわかってる。わかってるから、ありがとうの一言で十分」

「……助かる」


 お辞儀して、袋を受け取る。持って初めてわかったことだが袋は二つに分かれていて、片方にホットスナック、もう片方に手に持って食べられるスイーツといった具合だった。さすがに全部食べたら夕飯が入らなくなるのでチョコレート風味のシュークリームを取って、ぱくりとかじりつく。立ち疲れした体に沁みる甘さだ。……その様子をじっと見られ、もしかして失敗だったかもしれないと一時停止。中には彼女が食べる予定だったものも入っていたはずで、そして揚げ鶏かシュークリームを出してどちらを選ぶかといったらおそらく後者。芦屋はそこまで胃が大きい方ではないので、がっつり間食することは考えられない。


「……甘党で悪かった」

「謝ることないでしょう。……確かに、その中で食べるならシュークリームかなぁと思ってはいたけど」

「ぐぅ……」

「……まあ、香月くんに悪気があるなら、一口食べさせてもらってもいいかもね」

「………………………………もしかして僕、謀られた?」

「さあ♪」


 策士だなぁと諦めて、駆け引きを捨て、食べかけのスイーツを彼女の口の前へ。金を出した人間に逆らうような教育を受けてこなかったのが仇になった形だ。芦屋は気分上々で小さい口をぱくっと開いて咀嚼と嚥下。本当に一口で良かったらしく、後には『芦屋みやびが口をつけた』という特大ステータスを付与されたシュークリームだけが残った。


「いやあ、僕、急激にしょっぱいものの口になってきちゃったなぁ」

「それなら食べ終わってからいくらでも」

「だめかー」

「だめね。納めましょう。年貢を」


 倒置法で促され、渋々残りをもしゃもしゃ食べる。びっくりするほど味がしなくて笑えてくるが、同級生に見られようものなら四方八方囲まれての袋叩きまで全然考えられるので、可及的速やかに口の中へ納めた。……その様子ががっついているようにしか映らないのまで織り込み済みなのだったら、僕は今後この少女に抗えない。


「これは世間で言うところの唾液交換かしら?」

「違うし、世間様はそんなこと言わない」

「実際、免疫系に良い影響があるって聞くわね」

「へえ、じゃあやってみるかぁとはならんだろ」

「後学のために」

「勉強熱心大変結構。願わくば、それを普段通り通常の体系化された学問で発揮してくれたまえ」


 突き放して、「残念」としょんぼり肩を落とす芦屋からなんとなく一歩距離を取る。しかしその程度は簡単に詰められてしまって、まるで意味らしい意味がなかった。

 しかし本当に、こんなやり取りを学校の人間に目撃されようものなら速攻で羨望の的だろうなと自分の立場を俯瞰する。それ相応に嫉妬も浴びるが、代われるものなら代わりたいと思う男子が大半ではないか。芦屋は贔屓目抜きに美少女で、好意を寄せる男子は多い。思っている姿と本性とで齟齬はあるだろうが、それでもなお余裕で魅力的な女の子だと思う。だからこそなんで僕に、という問いかけが自分の中で終わる気配を見せないのだが、今考えても詮のないことなので諦めた。

 校内で一二を争う美少女と、放課後当たり前のように談笑をしている。本来ならば僕に与えられるような大役ではない。ただでさえ、すずというわがままプリンセスを昔から抱え込んでいるのに、だ。


「わからんな、青春ってやつ」

「女の子を侍らせて放課後を満喫している人もいれば、辛い部活動に身を削っている人もいると」

「そういう意味で言ったんじゃないんだけど……。まあ、いいか。芦屋って中学のときはなにかやってた?」

「バレーボール。球技大会もそれでエントリーしているわ」

「高校で続けなかった理由、聞いてもいいか?」

「限界が見えたのもあるし、勉強に本腰を入れるべき時期というのもあるけど……そうね、お腹いっぱいになってしまったのが大きいかも」

「お腹いっぱい?」

「やっている間は夢中になっていてわからないけど、終わったあとで考えてみれば、その瞬間だけの思い出も、辛い練習で身に着けた根性や体力も、試合に勝って得た喜びも、代替が効くことに気が付いてしまって」

「……言うね」

「こういうのははっきりさせておかないと」


 今度は、芦屋がため息で幸せとやらを逃がす番だった。それを補填できる力が僕にはなくて、ただ見ているだけ。


「確かに、その競技で生活していくつもりならその限りではないのでしょうけど、私はそんなに先のことまで考えられない。どう頑張っても趣味の延長に過ぎないことで、そこまで本気になってどうするんだって冷める瞬間が確かにあった」

「でも、バレーは嫌いじゃない」

「ええ、好きね。それはずっと変わらないと思う。矛盾したことを言うようだけど、中学校で必死に取り組んだ三年間は、決して無駄にはなっていない」

「わかるよ。その機微は、痛いくらいに」


 芦屋の言からもわかる通り、部活動というのは本当に特殊なものなのだ。ハズレの顧問を引いたら理不尽に怒鳴られ、振り回され、ようやく練習から解放されて家に帰る頃にはくたくたで、自由時間なんかあったものではない。土日も当然使いつぶされ、地獄のような日々を送ることになる。未経験者の僕が知ったかぶるのはお門違いを承知の上で、めちゃくちゃな文化だと断言する。

 ただ、それでもなおなくならない。プロになるつもりなんかなくても、それどころか進学先で続ける意思すらなくても、学生は今日も部活動に勤しむ。そこで流す汗の一滴、涙の一滴を慈しんで、尊んで、日夜がむしゃらに体を動かす。……それだけの価値と魔力が、そこにはある。

 だから当然、僕らが金網越しに眺めている彼らだって、それに引き寄せられたはずだ。


「氏家さんは?」

「それが、暗くなるとはっきり見えなくてな。練習が始まったときは確かにいたから、途中でいなくなるってことはないと思うんだけど……」


 僕の今日の目的は、氏家繭香と会話の機会を持つこと。そのうえで、竜也との過去を聞き出すことだった。

 別に、昼間でもよかった。教室に堂々と乗り込んで、時間があるかと面と向かって訪ねてしまえばいい。……しかし、それができる度胸があるかと問われたら、思わず目を逸らしてしまうのが香月蓮という人間で。

 だから、部活終わりを狙う。待ち伏せみたいで、というか完全に待ち伏せで良い印象を持たれないだろうが、向こうは疲労を体にため込んだ身。さっさと解放されたくてうずうずした状態なのはまちがいなく、その状況で現れた相手への対応は突っぱねるのが第一。しかしそれでも付きまとってくる奴だったら、すぐに折れてしまうだろうという打算。……それに、僕らは完全な初対面ではない。先日のすずの件で彼女も思うところがあるはずで、それを匂わせれば話し合いのテーブルにはつかせられる。あいつをダシにするのは最悪のやり方なので、極力奥の手として取ってはおくが。


「ただ、このグラウンド、出入り口がそこら中にあるからな……。もしそのうちのどれかから外に出ていた場合、今日はお疲れ様だ」

「そのときはもう、氏家さんと仲がいい友達を頼って機会を設けましょう」

「えぇ……絶対告りにくるやつだって身構えるじゃんそれ……」

「香月ってあたしのこと好きだったん?」

「いや、パターンの話だって。……だって?」

「っていうかこの前も謎だったんだけど、香月と花柳と芦屋ちゃん、三角関係ってやつ?」


 後ろから、ひょっこりと。

 僕らの会話に割り込む形で、氏家繭香は現れた。


「いやー、誰かがいちゃついてるみたいだったから邪魔してやろうと回り込んだら、なんかあたしの名前が聞こえるじゃん? なになに、なんの話?」

「三角関係ではないし、いちゃついてもいない」

「三角関係ではないけど、いちゃついてはいたかも」

「芦屋~?」

「えー、マジ? やるじゃん香月!」


 ほとんど面識のない女子に、肘で脇腹を小突かれる僕。肯定したら負けな気がして「ないない。絶対ない」と否定すると、芦屋は過去になく冷ややかな目で僕を見つめてきた。あれをいちゃついていることにすると、僕基準で余罪が大量に出てくるって察しはついてるだろうに……。


「で、なんの用?」


 そんな僕の気を知ってか知らずか、氏家は陽気に問いかけてくる。……なんか、予定が総崩れって感じだ。

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