第42話 帰り道
急なことにあたふた慌てふためく僕を気遣ってか、氏家は「あれ、もしかしてあたしの勘違いだった?」とフォロー。そんなことはないので首を横に振って否定の意を示し、前髪をがちゃがちゃいじりながら言う。
「君に用があるのはその通りなんだけど。……でも、意外だった。氏家さん、僕の名前知ってたんだ」
「そりゃ知ってるって。中学一緒だったもんね。それに――」
氏家の視線が僕から外れる。その方向を追うと、グラウンドからぞろぞろとサッカー部の面々が出てくるところだった。どうやら練習は終盤だったようで、だから彼女はこうして抜け出せたらしい。氏家は、グラウンドに向かってぺこぺこ礼をしている部員の中から誰かを探している様子だ。
そこで、うっかり目が合った。
「――同中だって知ったら、超がっついてくるヤツがいたから」
暗い中、爆速で走ってくる男が一人。練習終わりによくもまあそれだけのスタミナを残していたなと感心する余裕もなく、僕は本能的に数歩後ろへとさがった。
「香月蓮!!!」
「聞こえてるからもっとボリュームの調整をしてくれ……」
「忘れたとは言わせないぞ!」
「知ってる知ってる。サッカー部次期エースの新浜創健だろ。こんだけインパクトがあったらもう忘れないって」
「ちっがーーーう!!!」
「うるせえなぁ……」
音量調節機能がバグっているのか、至近距離でも容赦なく大声で僕に話しかけてくる新浜。遅れて横を通るサッカー部の連中にめちゃくちゃ注目されるし、耳が痛いしでもう散々。この空間において唯一新浜をコントロールできそうな氏家は「おつかれー。また明日ねー」と部員を労っていて、こちらに割けるリソースがなさそうだ。
「違わないだろ……。僕が知ってる君のプロフィールはそれだけなんだよ」
「いいやそんなわけがない! あれは今から――」
「今からなんだ」
「――危ない危ない。あくまでお前から思い出さねば意味がないのだ」
「意味ってなんだ……」
もったいぶらずに回想に入ってくれればいいものを、彼はどうやら己に縛りを課しているらしく、頑として自分から僕との因縁を語ろうとはしない。僕に認知されたいくせにその足掛かりになるものを寄越さない横暴さにいよいよ腹が立ってきたが、生憎僕は今日、彼の相手をしにきたわけではないのだった。
「じゃあ、僕が思い出すまで話は保留な。ちなみに思い出す予定はないから痺れを切らしてさっさと自分からゲロってくれ」
「なぁっ――!」
「僕は氏家さんに用があるんだよ。君にかける時間はない」
「な……な……」
冷たい対応に耐性がないのか、新浜はそこで固まってしまった。辛辣な物言いになり過ぎたのを承知の上で、しかしこれくらいやらなければいつまでも付きまとってくる相手だと判断。こちらに礼を尽くす気配がない奴に、容赦も手心も必要あるまい。
「嫌ってるの、彼のこと?」
「むしろ完全に嫌いになる前に突っぱねてるんだ。マイナス方面の人間関係、超疲れるから」
「また香月くん節が炸裂してる」
「茶化すなよ……。で、氏家さん」
「んー?」
彼女は新浜が動かなくなったのをいいことに、首にかかったタオルをねじって遊んでいる。ああ、男子が完全に勘違いする距離の近さだなと同情したあと、もしかしたら二人がそういう関係なのかもしれないという疑いが頭の中にぽんと浮かんだ。マネージャーに次期エース。組み合わせとしては悪くない。……ただ、氏家がそういうステータスを求めている人間ではなさそうだと過去の情報が告げているのもあって、断定には至らない。
「このあとちょっといい? そんなに時間は取らせないから」
「もしかして、サッカー部に興味ある系?」
「ない系。あったらもっと穏便に接してる」
「そっかぁ、残念」
意味ありげな視線を僕に向けてから氏家はうなだれて、その意図を理解しかねた芦屋が脇腹をつんつんつついてくる。説明が難しいことなのでそれには知らないふりをして、続く氏家の言葉を待った。
「うーん。じゃあ、十分だけなら」
「助かる」
スマホで時間を確認しながら言った氏家に頭を下げる。現在時刻は十九時前。手間取らず、早く終わればいいのだけれど。
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歩きながらがいいとのことで、僕らは駅へと向かいながら話をすることになった。本来は僕だけで突撃するはずが流れで芦屋もそばに居て、これが吉と出るか凶と出るか。なんにせよできることをやるだけなので、僕の役割に変化はないが。
「ケンはねー、空回りしちゃうだけで、悪いヤツではないんだ」
「ケン……? ああ、新浜のこと」
あだ名だろう。創健だからケン。安直だが、わかりやすくて呼びやすいことに変わりはない。
「そそ。あんな感じだけどサッカー上手だし、意外と友達多いし」
「……本当か?」
「ホントだって。……ただ、香月に対してはちょっと食ってかかり過ぎな気もするけど」
「絶対ちょっとどころじゃないんだよなぁ。なんて言うか、目の敵って感じだ」
「あー、そうかも」
大体、僕に突っかかってくるテンションがおかしい。こっちはほぼほぼ初対面なんだから、もっとギアを落としてくれ。
「でも、アイツはアイツで思うところがあるんだろうね。香月のことを知ってるから余計に」
「……君は君で、どうして昔の僕を知ってる風な語り口なんだ?」
「さあ、なんででしょう」
「わかんないから質問してるんだけど」
「まあ、色々あって」
「竜也か?」
「…………」
竜也の名前を出した瞬間、氏家の表情が曇った。それは図星をつかれたが故か、そもそも彼の名前に反応したらいつでもこうなるのかまでは読み切れなくて、しばし思案。
ただ、これではっきりした。やはり二人にはなにかしらのつながりが存在して、そしてそれは穏当なものではない。……あとは鬼が出るか蛇が出るか。
「実はさ、僕は今日、竜也のことを聞きにきたんだ」
「……なんであたしに」
「あいつ、自分の話を全然してくれないから。……なら、知ってる人間に聞くしかあるまいよって具合」
「……知らないよ、あんなヤツ」
知らない人間の口ぶりでないことだけはわかった。あとは、どう詰めるか。
「でもたぶん、僕よりは知ってる」
「知ってどうすんの? あんなつまんないヤツの話」
「どうもしない。ただ、知ることに意味がある。仮にも友人を自称する僕が、あいつのこと全然わかってないのはまずいだろ」
「……だからってあたしのとこまで来る? それはもう変人じゃん……」
「よく言われる」
よく言われるのを誇っていいことじゃない。じゃないが、僕はこれでいい。なにもしゃべってくれないあいつの周りを引っ掻き回すって、既に決めたから。迷惑千万大いに結構。承知の上でここまで来ている。
「そもそも僕は、竜也をつまんないって思ったことないしな。だからなにをどうして君がそう思うに至ったか聞くだけで、かなりの収穫なんだ」
「……つまんないでしょ。ヘラヘラチャラチャラして、なにも真剣にならないで、全部適当に流して。あたし、そういうヤツがだいっきらい」
「流れ弾が僕の急所に当たってるな」
一瞬、自分を非難されたのかと思った。たぶん違うと気づけたのは、氏家が僕を見ていなかったから。
しかし、そうか。竜也のスマートな生き方は、視点を変えればそう映らないこともない。入れ込まず、打ち込まず、自分の限界とされる地点を踏み越えず。そうやって己の価値を暴落させずに保ち続ける方策を僕は賢いなぁと尊敬してしまうが、万人が万人、そう思えるわけではないか。
「しかもそれで本気で取り組んでる人を負かすんだから、タチが悪いったらないよ……」
「あー……」
反論がないわけではない。本腰を入れている身で中途半端な奴に負ける方が悪いとか、感情論だけで語るのは間違っているとか、色々。……でも、彼女の言いたいことはよくわかる。負けるのだったら本気の相手じゃないと、自分の中で気持ちの折り合いがつけられない。
「……よく見てるんだな」
「…………!」
ここで、一手。どう転ぶか定かではないギャンブルに、僕は興じることにした。
「竜也のこと、よく見てる」
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