第39話 執念深さ

 荷物をまとめてさっさと帰り足になってしまった竜也に、僕は声をかけられなかった。目に見える距離と心理的な距離に齟齬が生まれてしまっていて、それを上手く扱えない。彼の去った教室で頬杖をついて、ため息を何度か繰り返した。


「フラれた?」

「らしい」


 芦屋が、竜也の席に腰を下ろしながら言う。おおかた、僕らのやり取りを覗き見ていたのだろう。目につくところで会話していた僕らに非があるので思うことはないが、フラれたという言葉の響きに人生でなじみがなくて、「フラれた。……フラれたな」と反芻。


「人生にチュートリアルが実装されてればなっていつも思う」

「どうやって生きるのが効率的か知るため?」

「友人への接し方一つ取っても、解法が多すぎてな。全部同じようにとはいかないし」


 画一的に片づけられる問題ではない。芦屋との距離感。竜也との距離感。それらはあくまで別個のものとして処理すべきだ。

 西日が煌々と差しこむ教室で、眩しさに目を細める。疲れ目には毒で、わずかに頭痛がした。


「男の子どうしの付き合いだからといって、きっと気楽ではないのよね」

「男って、基本単純な生き物なはずなんだけどな」

「じゃあ、香月くんは外れ値?」

「誇れたことではないけど」


 他人とは違う自分を格好いいと思っていいのは中学生まで。やっかまれるような優れた才能ならばまだしも、僕のは単なる拗らせだ。もっと表面的に片づければいいのに、必要以上に詮索して、考え込んでしまう。常々感じている生きにくさの根本的な原因は絶対にこれ。


「及川くんはなんて?」

「なんとも。ソフトに距離を取られた。ここから先に踏み込んでこないでくれよってラインを、僕に一度見せてくれたんだろうな」

「文字通りに線引き、と」

「越える覚悟があるのか問われている感じもする」


 竜也の過去をつつく覚悟だ。それができるだけの思い切りが、僕にあるか。――正直、自分でもはっきりしない。あいつの地雷がなんなのか、まだ完全にはわからない。


「それで、どうするの?」

「……越えるんだろうな、きっと」


 停滞が正解になる場面だってきっとある。でも、それは今じゃない。竜也は余地を作ったのだから、僕だって見合った解答を弾き出すのだ。――現状では人間関係めんどくさ……という感想しかないが、その面倒さを許容できるからこそ、僕は今まで竜也とつるんできた。それを、ここまで来て尻込みしてどうするという話。


「香月くんらしい」


 僕らしさというのは、決まって僕の中にはない。僕を知る人間が、どう僕を規定しているかという物差しに過ぎない。……ただ、芦屋がそう言うのであればこのディレクションでまちがいはないのだろうなって、不思議と信じることができた。


「……よっしゃ。本腰入れて詮索するかぁ」

「なんだかおかしな言い回しね」

「おかしなことをするんだから、これで合ってるんだよ」


 シニカルに笑って、懐からスマートフォンを取り出す。攻めるならば外堀から、だ。



********************


 駅近く、大通りから一本逸れた場所にある、老夫婦が営む喫茶店。営業日が不規則だと僕の中で有名なこの店だが、今日は元気に営業中だった。入店するといつものようににこにこ笑顔のおじいさんが「いらっしゃい、坊ちゃん」と迎えてくれる。


「あれ、そちらは……」

「うん。この前と同じ子」

「芦屋です」


 視力の悪い彼の負担にならないようそれだけ言って、指定席である一番奥の四人掛け席へと歩みを進める。珍しいことにそこには既に先客がいたものの、気にせず隣に腰かけた。僕の対応に芦屋がちょっとだけむっとした表情を見せ、「座席ならいつでも変わるわよ」とその客に向かって一言。


「……蓮、わたし、この人が来るなんて聞いてない」

「言ってたらどうした?」

「直帰」

「つまりはそういうことだ」


 先客は涼音。僕が予め連絡して、ここに呼びだしておいたのだ。

 すずはクリームソーダをストローでちゅーちゅーすすりながら、対面に座った芦屋の顔をじっと見つめる。どうにももの言いたげで煮え切らず、アイスクリームをつんつんつついて、僕の方をちらちら窺ってきた。


「…………」


 しまいにはテーブルの下で僕の手を握りこみ、明らかになにかのSOSを発し始める。その様子に気づいた芦屋は首を傾げつつ、言った。


「どうかしたの、花柳さん?」

「あの、あの……」


 もじもじと焦れ、頬を真っ赤に染め、恥じらいですっかり小さくなりながら、決定的な言葉を言う寸前になって、すずはテーブルに突っ伏した。


「…………?」

「許してやってくれ。これで結構、頑張ってるから」

「なにを?」

「あれ、てっきり知らないふりをしているだけだとばかり。ほら昨日、こいつ、君に助けてもらったろ?」

「ああ、確かにそんなこともあったわね」


 突然クラスメイトに話しかけられ、咄嗟に芦屋へ抱き着いた。その借りと恩義のせいで、今日のすずの悪態にはキレがない。しかし関係性が関係性なので素直に礼を言うのはもどかしく、現状思考がショートしている。

 察しのいい芦屋のことだから、気づいていると思っていた。しかしそうではなかったようで、少々意外。あの程度は貸しを作ったうちにも入らないという勘定なのだろうか。恩着せがましくないのは美徳だなと思いながら、僕はすずの腰をぽんぽんと叩く。


「言うだけタダだ」

「うう……」


 すずは若干涙目で、それでもどうにか体を起こした。そのままの勢いで視線をちょっとだけ逸らしつつ「……昨日はありがと」と小声でぽしょり。耳まで赤く染めて再び伏せる。態度はアレだが、一応よくできました。


「これを天然でやってしまえるのが才能よね」

「着眼点」

「私が男だったら、多かれ少なかれ『あっ』と思うはずだもの」

「その『あっ』はなんだよ」

「あっ可愛いの『あっ』。恵まれた顔立ちとスタイルからこのあざとさ、狙ってできるものでもないでしょう?」

「おーいすず、散々言われてるぞー」


 芦屋も芦屋で、すずのルックスに対する評価は高めだ。正当な判定なのだが、これまで真正面からずばずば突いてくる人間がいなかったので不思議でもある。それにしてもあざといとは。言われてみればしっくりくるが、これまで自分で思ったことはなかった。あざとい。あざとい。……なるほど、あざとい。


「アイス溶けるって」

「……あげる。食べて」

「…………」


 クリームソーダがバニラ風味のすさまじい謎の液体になりかけている。美味しい間に食べるなり飲むなりするのが店主への礼儀だと心得ているので、僕としてもどうにかしたい。……したいが、さすがに誰かの見ている前で回し食いをするのは気が引けた。家ではしょっちゅうあることとはいえ、今目の前にいるのはクラスメイト。さすがの僕もこれには戸惑う。迷わずさらりと手をつけるのがスマートなのだろうが、一度硬直した時点でそれはもうダメ。


「間接キスになるのを迷ってる?」

「……そうだよ。悪いか。思春期の少年には荷が重いんだ」

「じゃあ、想定外の解決法で」


 芦屋は身を乗り出し、円錐を逆さにした容器を自分の手元に手繰り寄せた。スプーンもそのまますずのを使い回し、溶けかけのアイスクリームをぺろり。


「美味し」

「……助かる」

「いえ、私、結構根に持つ方だから。前のことだって忘れてないのよ?

「…………まさか、ゴールデンウィークの話してる?」

「ええ」


 芦屋が僕に差し出したピザのピースをすずが横から強引に攫った。当時の僕はすずに助けられたが、それが今まで尾を引いているとは露知らず……。


「女子って怖いなと思ったなら、それはお門違いよ」

「……思ってない。微塵も」

「これはただただ単純に、私が執念深いだけ」

「余計に怖いのでは?」

「そうかしら?」


 芦屋は笑顔なのに、どうしてか僕の頭に浮かんだ単語は「脅え」だった。意味もなく伏せったすずの背中をさすりながら、これがメインのトークテーマだったわけではないんだけどと僕は苦笑を浮かべた。

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