清楚美少女にしては淫語を言うのにためらいがなさすぎる(恐怖)

鳴瀬息吹

一章

第1話 香月蓮は、なぜか自室で修羅場っている。

 正座か胡坐かでどちらが楽かと言われたら、断然胡坐派だ。足が痺れて堅苦しい正座など、強く要求されでもしなければやりたくない。というかできることなら椅子に座りたい。――しかしそんな僕は、どういうわけかお行儀よく自室の地べたに正座をしていた。寺で説法を受けているわけでもなく、和室で茶道をたしなんでいるわけでもないのに、両の親指をぴったり重ね、太ももに一ミリの隙間も作らず、ピンと伸ばした両手を膝上に並べる百点満点言うところなしの正座で、真向かいから飛んでくる叱咤に立ち向かっていた。


香月かづきくん。私はね……今とても悲しい気持ちなの。生まれてからこれだけの悲しみに出会ったことなんてないんじゃないかって思うくらい、深く悲しんでいるの。涙があとからあとから溢れて止まらないの」

「でも芦屋、泣いてなくない?」

「涙は心で流すものだから」


 聞いて、僕は欠片も感情のこもっていない「なるほどなぁ」を繰り出した。どこにもなるほどできる要素がないのだから仕方ない。彼女にとって涙が心の中で流すものであるように、僕にとってのなるほどは思考停止の相槌以上の意味をもった言葉ではないということだ。

 

 芦屋あしやみやびに見下ろされている。これは紛れもなく、初めての経験だった。僕より十センチだか十五センチだか背が低い彼女は、基本的にいつも見上げる側だ。だというのに、今日に限って僕が見上げる立場になっている。勉強机とセットになった回転椅子に座ってハイソックスに覆われた脚を組み、ついでに腕まで組んで僕を責める様子はどういうわけか驚くほどさまになっていて「似合ってるね」と言うかどうか一瞬迷った(さすがに言わなかった。というよりも今の雰囲気的に言えなかった)。


「……というかいい加減に聞いておかないとならないんだけど、どうして僕は正座させられてるんだ? 芦屋が深い悲しみに包まれている理由とやらにも、申し訳ないが心当たりがない」

「本当に?」

「本当の本当に。神に誓って」


 仏教徒がするこの発言にどれだけの重みがあるかはわからなかったが、僕は一切の偽りなく、彼女がご乱心の理由に思い当たる節がない。どのタイミングでどんな怒りが発生したのか、さっぱり読めない。

 手がかりのなさを悔いてばかりもいられないので、一通り本日なにがあったかを振り返ってみる。授業の合間に軽く雑談をしていたあたりの芦屋は、至っていつも通りだった。昼休みも普通で、放課後、帰り支度を済ませた後もこれといった変化はなかったように思う。通例をなぞるように帰り道を一緒に歩いていたときだって、変わったことはなに一つなかった。途中、僕が全巻所持しているひと昔前に流行った漫画を彼女が買おうかどうか悩んでいるという話になって、そういうことならと貸し出すために家に招いたところまでは、芦屋みやびに異常なんて見られなかった。


「どこかで君の機嫌を損ねていたんだとしたらきちんと謝罪をしたいんだけど、それにしたってその理由を知らなきゃ今後もまた同じ地雷を踏み抜きかねない」

「……本気で言ってるの?」

「こんなところで手を抜いてどうする」

「……じゃあ、まずは今がどういう状況かおさらいしましょうか」


 おさらい? と僕が戸惑っていると、それに構う素振りすらなく、芦屋は淡々と告げ始めた。


「香月くんは男子高校生。そしてわたしは女子高校生」

「え、おさらいってそのレベルから?」

「必要なことなの。……で、今は放課後よね」

「ああ、疑うところなく放課後だ」

「そしてここは香月くんのお部屋」

「まちがいない」

「これらを総括すると、どうなる?」

「どうなるって……あ!」


 要点をざっくりとまとめる。上記の要素から導かれる、この場において最も必要とされる回答。


「高校生の男女が連れ立って一つ屋根の下!」

「そう!」


 心なしか、芦屋の声が上ずっていた。これまで大人しい子だなという印象を抱いていただけに、さっきからの受け答えのテンションには妙な違和感がある。もしこちらが素だとするのなら、今に至るまでは猫をかぶっていたということになるのだろうか。


「つまり芦屋は、なにかいかがわしい目的を持って僕が君をここまで連れてきたと思っているわけだ」

「そう!」

「そう! じゃない!」


 会話に割り込みが入った。声の出所は僕の後方。頭の上から。そこにはベッドに腰かけた少女が一人。実のところ、僕に正座を強要したのは芦屋だけではなかった。彼女とのコンビネーションでもって、僕は地べたで小さくなることを余儀なくされていた。


「芦屋さん? だっけ。れんが言ってた最近できた友達ってあなたのことだったの?」

「ええ、おそらく」

「へ~~~~~~~~……」


 背を向けているので見えないが、後頭部、特につむじのあたりに向かって鋭い視線が突き刺さってくるのがわかった。不気味な感覚に思わず片手で頭を覆ったところ、手の甲の肉をぎゅむっとつままれた。


「へ~~~~~~~~……」

「痛い痛い痛い。ストップ。すずストップ」

「そういえば、男の子の友達だなんて一言も言ってなかったもんね」

「いちいち性別を申告する必要性がないだろ……。ってか痛いって」

「放課後にマックで駄弁ってたっていうのもこの子?」

「そうだよ。あと痛いから早く離してくれ」

「この前の日曜に一緒にカラオケ行ったのもこの子?」

「だからそうだよ。それと、お願いだから離してくれ」

「……ふんっ」

「ってぇ!」


 肉を千切るような乱雑な振りほどき方をされた。僕は赤くなった手をさすりながら、すず――花柳涼音はなやぎすずねの方を見て、言った。


「どうしたお前?」

「どうしたもこうしたもないでしょ。なんでわたしが遊びにきてるときに他所の女連れ込んでんのよ」

「遊びにって、お前は基本毎日ここにいるだろ」

「それがわかってるなら連絡の一つも寄越しなさいよ。『今日はとてもじゃないけどお前に見せられないことをするから部屋に近寄らないでくれ』って」

「あからさますぎるだろ。お前絶対邪魔しにくるじゃん」

「しないわよ。わたしをなんだと思ってんの」

「ダメな妹。じゃなきゃもう一人の母親」

「年頃の女子に下す評価じゃないわよねそれ?」

「年頃の女子に相当する評価を求めるのなら、日ごろの行いを改めるべきだと僕は思うね」

「ふ~~~~~~~~~ん……」


 僕とすずが口げんかをヒートアップさせていると、今度は芦屋が割り込んできた。こちらをうかがう目はじっとりと細められていて、思わず背筋が伸びる。


「仲、良いのね」

「まあ、腐れ縁だから」

「口ぶり的に彼女はいつも香月くんの部屋に入り浸っているみたいだけど、合鍵でも渡してるの?」

「家が隣なんだよ。ほら、マンションってベランダを繋いでる緊急時に壊す用の仕切り板があるだろ。こいつはそれを巧妙に切り抜いて、毎度勝手に僕の部屋に上がり込んでるってわけ」

「窓に鍵はかけないの?」

「それするとめちゃめちゃ拗ねるからご機嫌取りに出費がかさむんだよ。だからこの部屋は常時未施錠」

「ふ~~~~~~~~~ん……」

「さっきからなんなんだそれは」

「一つ、どうしても聞いておきたいことがあるんだけど、いいかしら?」


 僕の問いには答えてくれないらしい。ここ数週間の付き合いで構築した芦屋へのイメージががらがら音を立てて崩れていくが、その音より早く彼女が次の発言に移るせいで思考の整理が追い付かない。


「二人は、日常的にセッ〇スをする間柄だと考えていいの?」

「ぶふっ!」


 唐突に出てきたとんでもない単語に顔面蒼白になっている僕と違って、すずは思いっきり吹き出していた。下ネタへの耐性がまるっきりできていない奴だからそのまま黙りこくってしまうのは想像に難くなくて、だから僕は仕方なく、本当に仕方なくそのナンセンスな問いに答える羽目になった。


「日常的にと言われればノーだし、たとえ日常的にと言われなくともノーだ。妹や母親とそんな行為に及ぶ男がいてたまるか。そもそもそういう話題は、関係性がある程度煮詰まって、そこに深夜テンションが重なることでようやく出てくるものだろ」

「でも、近親相姦という言葉が存在する以上は疑ってかからないと」

「止まんねえな君?」

「性欲の化身たる男子高校生が自分の部屋に女子を連れ込むのだから、そこでセッ〇ス以外の行為に勤しむのは完全な『誤り』だと思わない?」

「思わねえよ。もしかして馬鹿でいらっしゃる?」


 芦屋みやびといえば、学校でも評判の高い清楚系美少女だ。それは僕も認めるところで、楚々とした所作には気品があり、綺麗な笑顔には余人に思わず唾を飲みこませるような圧倒的オーラがある。そんな彼女だから、性的な話題はどれだけ些細なものであっても頬を赤らめ、初心な対応を見せる。そのはずだった。

 だが、蓋を開けてみればどうだろう。今の彼女は学校でみんなに憧れられている理想的美少女でもなければ、放課後に僕と趣味の話で笑い合う等身大の同級生ですらない。一切の躊躇なく伏字必須なワードを吐き出す、フランス書院を擬人化したような存在だ。ギャップ萌えなる概念がこの国には存在するが、百万円の束の表以外がすべて新聞紙だったところで喜ぶ人間はいない。こういうのはギャップではなく、偽装表示と呼ぶ。


「ってことはなにか。君は僕を性欲の化身と認識したうえで、友達付き合いをしていたと」

「やっぱり化身なの?」

「化身ではない。断じて」

「でも、この前カラオケの個室で密着したときはまんざらでもなさそうな……」

「なあ、この話やめないか?」

 

 旗色が悪くなったのを瞬時に察知。だが時すでに遅く、審判のときが目近に迫っていた。端的に言うと、僕の首にすずの手がかかっていた。


「蓮は無視していいわ。さ、続けて芦屋さん」

「なにもよくない」

「続けるもなにも、言った通りよ? 二時間コースの終盤、だいぶ体も温まってきたあたりで肩を預けたり、太ももに手を載せてみたり。香月くんはこっちをちらちら見るだけでなにも言わなかったから、悪い気はしてないんだなって」

「被告人の香月蓮、弁明は?」

「被告人って……」


 その言い方だと、僕が犯したのは刑法ということになる。同級生と放課後に遊ぶのがなにかの罪に該当するなら、今ごろ世界は犯罪者まみれだ。


「正直なところ、まだ芦屋との距離感は探り探りなんだ。女子への対応を全てお前と同じにしたら、結構な問題が起こる。で、あのときは『意外とパーソナルスペースが狭いんだなぁ』と認識を改めていた」

「あれはセックスアピールよ」

「ややこしくなるから君はちょっと黙っててくれないか?」


 とうとう伏字を貫通しやがった。真顔で真正面からぶつけられては、僕も聞かなかったフリで済ますことなど不可能。自分的美少女の口から聞きたくない単語ランキング二位がセックスなので、既にだいぶうんざりしている。ちなみに一位は排せつ物の俗称。うんざりとかかっているわけではない。


「というか芦屋。これは邪推なんだが、今までの文脈を拾ったりロジックを逆読みしたりすると、君は僕とそういった行為に及ぶことに肯定的というか意欲的というか、とにかくそう捉えられてもおかしくないぞ」

「そうだもの」

「…………」


 きゅっと。すずの指が僕の頸動脈を的確に圧迫した。それも、今より締まったら確実に意識が持っていかれるちょうど瀬戸際のところで。百冊からある超有名格闘コミックから拝借した技なのはすぐわかったが、それをこの部屋にそろえたのは僕なのでなにも言えない。そもそも見ただけで真似できるような技じゃないはずだけど。


「すず、さすがにそれはシャレにならん。一旦落ち着いてくれ」

「もしものときはわたしも一緒に死んであげる」

「それはもっと笑えない」

 

 まさかの心中宣言に表情を凍らせる。そんな方法でネットをにぎやかにするのはまっぴらごめんなので、首を後ろに振ってその拘束から逃げ出した。向こうも本気の殺意をぶつけていたわけではないらしく、追撃はない。

 それよりも、今真っ先に考えるべきことがあった。芦屋の発言が、先ほどからあまりにも不穏当すぎるのだ。


「芦屋が今日僕の家までやってきたのは、話に出た漫画を貸すためだったよな?」

「ええ。名目上は」

「名目上じゃないんだよ。それ以外の目的がないんだから」

「女子が男子の家にお邪魔するときは、代価に純潔を捧げるのが一般的なの」

「そんな一般があってたまるか。見ろこいつを。見知らぬ世界の常識に触れ過ぎてショートしちまったよ」


 彼女の言う一般常識に当てはめると、すずはとんでもない痴女になってしまう。自分の過去を省みてそれを理解したのか、真っ赤に染まった顔を俺の後頭部に押し付けて離れない。感覚の鈍い頭皮越しにも熱さが伝わって、割と本気で照れているのがわかる。なんならちょっと泣いている。


「どうやら、本当になにもしていないようね」

「こいつにとって涙は目から流すものなんだ。君と違う常識の中で生きてきたから」

「……でも、それにしては距離が近すぎない?」

「こいつもこいつで距離感バグってる節があるんだ」

「付き合っては?」

「ない」

「セッ〇スは?」

「してない」

「でも、キスくらいは?」

「……ぐえっ」


 僕の発言を止めたのは、チョークスリーパーだった。すずはぐすぐす鼻をすすりながら、それでも的確に首を極めてくる。さすがに意識が飛びかけたので何回か腕をタップしてやめさせると、ようやっと顔を上げて芦屋へ言い返した。


「……なにこのビ〇チ」

「耳年増なだけの処女よ」

「蓮をたぶらかしてどうする気なの?」

「どうするもなにも、お付き合いしてデートに行ったりキスしたりするのよ」

「逆! 順序が!」


 すずが声を張る。僕はと言えば正直この場にいていいものかどうかもわからず、視線をあちこちさまよわせるだけ。部屋の主は誰あろう自分なのに、部外者感が酷くて居たたまれない。今の会話とか、聞いたらまずい類のやつではないのか。なんか学園のマドンナの性事情を思いがけず知ってしまったんだけど。

 すずほどではないが、僕もまあまあ混乱している。これ以上聞いていたらシンプルに狂いそうなので、二人の言い合いがひと段落着くまで安眠用の耳栓で会話をシャットアウトすることにした。よし、無音。


「どうして最初から大技でしかけるのよ?! 小技から外堀埋めなさいよ!」

「うかうかしている間に邪魔が入るかもしれないでしょう?」

「なっ……!」

「なら、強いカードから使っていく方が効率的だと思うの」

「それは、その……。って、騙されないわよ! あなたみたいな美人がぱっとしない蓮にちょっかいかける以上、絶対企みがあるに決まってるんだから。なに、財布にでもしようとしてるの? それともチョロそうな蓮を足掛かりに同級生百人斬りでもするつもり?」

「お金には困ってないし、言った通り処女よ」

「……じゃ、じゃあなに? ただ単純に好きなだけ?」

「…………」

「え、ここ顔を赤らめる場面?」

「……恥ずかしいもの」

「セッ〇スも処女も真顔で言えるのに、好きは言えないの?!」

「そういうものじゃない……?」

「違う。おかしい。絶対おかしいって!」


 激しい身振り手振りを交えながら舌戦を交わす二人を、僕は静寂の中で眺めていた。無音のくせに脳内に反響する嫌な不協和音があって、よくよく聴けば、それは日常崩壊への序曲だった。 

 まったく、どうしてこうなった。体重をベッドに預けながら、僕は一度、大きなため息を吐き出した。

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