第41話 臥薪嘗胆

「殿、お呼びでしょうか」

「うむ。両名とも近う寄れ」


 二人を地図が見える位置まで近寄らせる。そして腰に下げた短刀を鞘のまま抜き取ると物差し代わりにして状況を説明する。


「弥右衛門の話によると何やら御屋形様が垣屋越前守と密に連絡を取っているらしい。そして弟の山名中務少輔様ともである。其の方等、如何見る?」

「おかしいですな。御屋形様と垣屋越前守は犬猿の仲であると記憶しておりましたが」


 そう声をあげたのは治郎左衛門だ。俺もその認識だと言わんばかりに頷いて返答する。そして次に声をあげたのが南条勘兵衛である。


「御屋形様、越前守、中務少輔様。配置を見る限りだと囲まれておりますな。もしやすると攻めてこられるのでは?」

「やはりそう思うか。俺も同意見だ。抜かったわ、半年も無駄に過ごしてしまった」


 半年もあれば対策を練られたものを。問題はいつ攻め込んでくるかだ。今はまだ積雪の時期だから芦屋城までは来れぬはず。であれば田植え前……いや、百姓のことを考えると田植え後か?


「もしすぐに攻めてきた場合だが、芦屋城に籠城して公方様に取り成してもらうことにする。七美郡を失うだろうが、致し方ないだろう。問題は戦が田植え後であった場合よ」

「田植え後となると五月から七月であったら、ということですな」

「そうだ、治郎左衛門。話が早くて助かる」


 今から何ヶ月かあれば対策も取れるだろう。パッと思い付くのは御屋形様と垣屋越前守の仲を壊すこと。もしくは他方から援軍を呼んで返り討ちにするかだ。


「文の内容は弥右衛門に探らせている。もし、御屋形様と垣屋越前守の仲違いをさせるのであれば文の内容がわからないと進められん。よって今回は他の勢力と結びつくことを考えたい。候補はあるか?」


 パッと思い付くのは田結庄だが、あそこも俺たちに思うところはあるだろう。であれば先の件を御屋形様に密告して注意をそちらに逸らすか?


 いや、難しいだろうな。武士の風上にも置けんと言われてこちらを攻める口実になる可能性だってある。この考えは一旦保留だ。


 それに組むとしても田結庄と組んだところで勝ちの目は見えてこない。もっと大きな勢力と結ばなければ。候補として上がるのは尼子、浦上、赤松、別所、三好辺りであろう。それであれば尼子が最も現実的か。


 しかし、尼子、尼子かぁ。問題は勘兵衛がどう反応するかだな。南条氏はもともと羽衣石城の城主であった。尼子に攻められるまでは。


 それからは各地で反尼子として戦に参加していたらしい。そんな彼に尼子と結ぶぞと言うのは酷と言うものであろう。しかし、他に手立てがないのも事実。


「治郎左衛門、少し外してくれるか?」

「かしこまりました」


 南条勘兵衛と二人きりになる。彼も何を話したいのか察しているだろう。だがこれは話さなければならない内容でもある。先に口を開いたのは勘兵衛であった。


「ご配慮いただき感謝を申し上げる。某はーー」

「なあ、勘兵衛。十八史略は読んだことがあるか?」


 勘兵衛の発言を遮って質問を投げかける。虚をつかれたのか呆然としたまま固まってしまった勘兵衛。頭には疑問符が浮かんでいることだろう。


「は?」

「十八史略だ。明の歴史と申して良いのか。まあ、あの辺りの歴史をまとめた書物よ。足利学校などでも教えておるらしいぞ」

「はぁ」

「そこにな。臥薪嘗胆と言う言葉がある。存じているか?」

「いえ」


 話についてこれていないのか、未だピンときていない勘兵衛。それでも俺は話し続ける。ここまでは前座だ。大事なのはここからだ。


 勘兵衛に臥薪嘗胆の故事を説明してやる。特に話したのは春秋戦国時代の越王、勾践の話である。彼は敵国である呉に降伏すると王であったにも関わらず馬小屋の番人に命じられるなど苦労を重ねていた。


 その後、勾践は越に戻り軍備を強化して二十年後に呉王を討つことができた、と言う話である。つまり、俺が何を言いたいのかと言うと尼子と手を結ぶのも成功するための苦労の一つだということである。


「勘兵衛。お前にだけ伝えておくが、俺はどこの下にも付く気は無い。付く気は無いが、家を守るために一時的に頭を下げねばならぬ時もあると思うている。それが今なのかもしれんと」


 勘兵衛は思いつめたような顔をしてじっとこちらを見つめている。どうするべきか悩んでいるのだろう。こう言う時は俺がはっきりと態度を示さんといかぬ。


「尼子と誼を通じるぞ。なに、一時的なものよ。先に宣言する。五年、五年だけだ」


 五年だけ尼子に臣従し、その間に国を大きく豊かにする。そう力強く宣言する。そして勘兵衛に対しても。俺にはまだお前が必要なのだ。確かに父祖伝来の土地があるやもしれん。それも俺が必ず手に入れて見せると。


 俺は歴史の教科書で尼子と言う文字を見たことがない。それは毛利に飲み込まれているからだ。それであれば俺にも独立の目があるということよ。


「だから勘兵衛。もう少し其方の力を俺に貸してくれ。この通りだ」

「何をなされます! 某が間違っており申した。殿を支えると申し上げておきながら自分のことしか考えておりませなんだ。お許しくだされ」


 二人して頭を下げる。その言葉を聞いて俺は一瞬だけ笑顔になる。も、すぐに神妙な面持ちに切り替えてから面をあげる。そして勘兵衛に感謝の意を伝えた。


「すまぬ。すまぬ、勘兵衛。必ず其方を羽衣石城に戻して見せようぞ!」


 二人で一通り涙を流した後、席を外させていた治郎左衛門を再び呼び戻す。彼も交えて尼子と誼を通じるかを議論することとなった。まず、口を開いたのは俺だ。


「素直に全てをさらけ出してみるか。山名右衛門督に謀られ、このままでは討たれると。山名右衛門督と尼子民部少輔は先の山名左馬助の件で啀み合ったままであろう。因幡と但馬に通ずる者が欲しいはず」


 こうなってはもう御屋形様とは呼ばん。その俺の意思表示を二人とも汲んでくれたようだ。しかし、少し楽観的過ぎるか。また得意の干し椎茸外交でなんとかならないものだろうか。今回は澄み酒もつけちゃうぞ。


 それは冗談として、尼子氏の温度感がわからないと対処のしようもないと言うのは事実である。一度、腹を割って話してみても良いかもしれない。どちらにしても対等な同盟は無理よ。国力が違いすぎる。


 それと三好にも近づいておきたい。三好長慶が死ぬまでは三好の天下のはず。今から十年以上は三好の天下となるだろう。


「治郎左衛門、とりあえず民部少輔の元へ向かってくれるか? その際にだなーー」

「ふむ、承知致しましてございます」


 俺は治郎左衛門に銭に干し椎茸にと必要なものを持たせ、さらに秘策を授けて月山富田城に送り出したのであった。

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