第14話 細作

天文十七年(一五四八年) 八月 但馬国二方郡芦屋城


 養父殿が亡くなってからというもの、慌ただしく刻が過ぎてしまった。そんな中、まず最初に俺がやったことは御屋形様から貰った黄金の確認である。


 もうね、屋敷を後にして直ぐに中を改めたよね。袋の中に目をやると黄金が六枚入っていた。もう少し御屋形様の手が大きければと悔やまれる。六枚という事は二十貫と少しと言ったところか。


 そして、それを用いて亡くなった兵の家族へ慰謝料を払う。余った金子に関しては懐の中にそっと仕舞っておこう。これを元手に湯村温泉の傍に山城を建てても良いのだが、如何せん人手が足りない。


 優秀な人材を集める。そして多くの兵を集める。この二つを満たさなければ。今、養父殿が亡くなって塩冶は弱体化していると周囲から見られているはずだ。攻め込まれる前に早急に手を打たなければ。


 しかし、いくら山中とはいえ八月ともなれば暑いな。そして山だからか虫が多くて叶わない。何か良い案はないものか。少し水でも浴びるとしようか。


「若……いえ、殿。どちらへおいでなされるので?」

「井戸までだ。なに、少し水を浴びてくるだけよ」


 冷えた井戸水が心地良い。口に含み、残りを頭から被る。上着も少し濡れてしまうが、今日であればすぐに乾くだろう。水を払うため、軽く頭を振る。と、その時に妙なことに気がついてしまった。


 城のすぐ傍の木に椎茸が生えているのだ。あれは椎茸だ。育てている俺が言うんだから間違いないだろう。椎茸だよな。そう思い、その木の傍によって確かめようとしたところ、俺の近くで声が響いた。


「お静かに。おっと、動かないでください」


 心臓の音がドクンと一音高く跳ね上がる。迂闊だった。城の中だから安全だと油断していた。いや、ここはもう木の傍だから城外と言っても過言ではないか。こいつは誰だ。御屋形様の手の内のものだろうか。


「そう警戒なさらずとも」

「顔が見えないのでな、小心者の俺としては不安で胸が潰れそうだ」


 短刀に手を添える。最初から持っていた吉見の二つ引両が描かれている短刀だ。ただ、鯉口は切らない。いや、切れないと言った方が正しいだろう。


 どうもおかしいと思ったんだ。ここで椎茸が実っているだなんて。そこからして俺を誘き出すための囮だったのだろう。これは一本取られた。そして俺のことをよく調べ上げている。


「で、何の用だ?」

「御当家で細作を探していると耳にしましてな。ぜひお雇いいただきたくーー」

「よし、召し抱えよう」


 短刀から手を離す。冷静に考えてみれば、俺に話しかけてきた時点で好意を抱いているのは明白であった。敵意を持ってるのであれば有無を言わさずに、となるはずだからな。


 そして、俺が椎茸が好きだということ、また忍者を必要としていることをしっかりと調べ上げている。喉から手が出る人材だ。他に逃したくはない。となれば雇うのではなく召し抱えるべきである。


「召し抱えて、いただけるので?」

「召し抱える。その方の有能さは身を以て実感したからな。今」


 冗談半分でそう言うと声の主人が俺の前に現れた。その人物とはなんと弥右衛門であった。湯村温泉でよく一緒に湯に浸かっていた商人の弥右衛門である。


 その彼の声は震えていた。感極まったのだろう。戦国時代において細作や間者は軽視される風潮があるのだ。なんでも武士にあるまじき行為なのだとか。勝たないと意味がないというのに。


 それにもかかわらず、俺が召し抱えたのが嬉しかったようだ。そう、一時的に雇ったのではなく家臣として召し抱えるのだ。もうこれで弥右衛門は俺の家臣である。


 俺はこの時代の武将たちとは違う。情報の重要性は嫌というほど理解しているつもりである。そして各地からもたらされる情報の裏付けを自分で行えない以上、彼らの信を損なうような真似をしてはいけないとも。


「某、七代目木陰弥右衛門と申す。九十九源兵衛を祖に持つ忍びなれば、ぜひ彦五郎様にと」


 その言葉の意味がわからなかったのだが、話を聞いて得心がいった。弥右衛門の祖である九十九源兵衛という忍びは源範頼を死の直前に救っているらしい。


 そしてその九十九源兵衛の娘が源範頼に見初められ身籠ったと。それが初代の木陰弥右衛門なのだとか。そして俺の祖先、吉見氏の祖先も源範頼なのだ。通ずるところがあるのだろう。


「なるほど。遠い親族ということか」

「左様で」


 ニヤリと笑う弥右衛門。ただ、聞くところによると弥右衛門は一人で活動しているらしい。そして弥右衛門にはある野望があるのだとか。


「是非とも素破者の衆を組織したく」

「なるほどな。それは俺としても願ってないことだ。だが当てはあるのか?」

「その、少しであれば」


 そう言うと弥右衛門は目を背けて俯いてしまった。どうやら多くは無いらしい。それであれば一から育てるしかないだろう。なに。渡りに船だ。裏切られる危険を孕むくらいなら一から組織した方が良いというもの。


 段々とやらなければならないことがはっきりしてきた気がする。俺はそのまま弥右衛門に命を出す。心当たりがあるものには片っ端から声をかけ、傘下に加わってもらうこと。それから中尾四郎兵衛を連れてくることであった。

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