この作品は、作者の溢れるほどの「幸せへの想い」と
「幸せを願う愛情」に満ちている。
私たち読み手までも、その想いと愛情に包まれているような、
幸せへの道に今自分も立っているかのような錯覚を起こす、とても貴重な物語だ。
人はどうしようもない苦しみや悲しみに押しつぶされても、
自暴自棄になって自分でも何故そうするのかわからない言動に走っても、
謎の屁理屈をこじらせて馬鹿げた思い込みに閉じこもってしまっても、
幸せを求めずにはいられない。願わずにはいられない。
でも、そんな当たり前なことを、人は意外と忘れるもの。
しばしば自分が求めているものが何なのか、忘れたと思い込む。
もう自分には見えない、目指すことも資格がないと目を瞑る。
そして、時として間違える。拗らせる。
心の底で願う幸せに続いているであろう「道」は、
社会で暮らす中で自分とどう向き合うか、
何に対してどう固執するかによってどんどんと形を変え、
それは時に友人関係に、時に家族のあり方に、
時に幼なじみとの恋のあり方にも影響を及ぼしながら複雑に分岐していく。
それは迷路のように。
現実社会では、それは時に冷酷な牙を向き、
求めていたはずの幸せの対極が訪れることがある。
後悔しても、悔やんでも、心からの反省をしても、
一度幸せへの道を見失うと、
改めて求める道を見つけ出すことは本当に難しい。
だが、そんな現実のあり方のほうが嘘っぱちだと言っているかのように、
この物語の人々は心で繋がり、幸せのあり方を求め、
主人公を幸せへの道に“追い込んでいく“。
しかも、その主人公を取り巻く人々が歩む道もまた、
読み手の想像や感覚を裏切るほどの多幸感に満ちている。
“皆幸せになって欲しい、幸せにならなくちゃダメだ“
そんな強い想いと愛情が込められている。
こんな人々が、きっとどこかにいる、どこかで起きている、
そう信じたくなる、願いたくなる多幸感に溢れた人の繋がりがここにある。
物語は事実とは必ずしも異なる世界かもしれない。
だが、人が紡ぐものだからこそ、
幸せを描く物語は途方もない価値と力を持つ。
この物語はきっと、作者が発見、発明した「幸せへの道の種」。
それは確かに、私たち読者に届き、しっかりと植え付けられ、
芽吹いていくに違いない。
幸せの物語をありがとう