第41話 電話報告

いつの間にか眠ってしまい、目を覚ましたときには夜が明けていた。

雨は上がっているようで、窓の外は明るい。

炬燵こたつの向かいでは葉菜がパンをかじっており、左では有希が雑炊を食べていた。

「おはよう、あなた。もっと寝ていていいわよ?」

時計を見ると、眠っていたのは三時間ほどのようだ。

「いや、俺も腹が減った」

「じゃあご飯にする? それとも、ア、タ、シ?」

「腹が減ったと言っとるだろうが!」

葉菜の視線が冷たい。

俺は何で有希と新婚さんごっこをしているのか。

「亭主関白ねぇ」

「有希、元気そうだな」

これだけ俺をからかえるなら心配はいらないだろう。

「しゅんぺーの布団から生命力のようなものがー」

「んなワケあるかっ!」

「春平の布団には、生命力旺盛な何かが」

「葉菜も子供の前でそういうネタはやめろ」

「子供扱いは心外ー。同じ布団で寝たのにー」

「同じ布団なのは正しいが、一緒には寝てないからな?」

「でも春平と同じ布団で寝た女性なんて、私以外は初めてじゃない?」

「お前も余計なことは言うな」

子供だろうが大人だろうが、女性二人を同時に相手をするのは疲れる。

「春平、そろそろ」

「ん?」

「電話の時間よ?」

そんな時間を決めた覚えは無い。

「いや、まだ早くないか?」

「大丈夫よ。お父さん、毎朝五時には起きてるから」

時刻は七時過ぎだ。

「ご飯時だろうし、もう少し後にした方がよくないか?」

「大丈夫よ。お父さん、毎朝六時には朝食を済ませるし」

……。

「しゅんぺー、往生際が悪いのー?」

くそ、なんか疑問形で言われる方が腹立つな。

俺はスマホを手にして電話帳を表示させる。

かけねばならぬのか。

視線を上げると、葉菜は満面の笑み、有希は何やら期待に目を輝かせている。

……かけねばならないな。

俺はいちばん最初に表示されている名前をタップした。

二回の呼び出し音で相手が出る。

「あ、俺だけど」

葉菜と有希が怪訝けげんな顔をした。

「朝っぱらから俺って誰よ!」

「おー、亜希は朝から元気そうだ──」

「お姉ちゃんかよ!」

「亜希って誰よ!」

二人から同時に、炬燵の中で蹴りを入れられる。

「いや、有希のことをちゃんと報告しとかなきゃイカンだろ」

有希はお世話になってる手前、素直に頭を下げ、葉菜は「後で説明してもらうわよ」という妻の顔をしている。

「えっと、有希のことだけど」

「知ってる。ハルヒラのところへ行くって書き置きがあったから」

さすが有希、熱を出してても用意周到だ。

「用はそれだけ?」

「いや、有希が風邪をひいてて」

「え?」

「お前も大事な時期だから、取り敢えず今晩も有希を預かるから」

「ちょ、アンタがうつしたんじゃないでしょうね!?」

「俺は至って元気だが?」

「ハルヒラの布団なんて、どんな病原菌がいるか判んないじゃない!」

……生命力旺盛な何かとか、病原菌とか、俺の布団はどうなっているのだ。

「とにかく、お前にうつしちゃいけないから」

「……有希もアンタも気を使いすぎ」

「まあ、俺はともかく、有希には何かご褒美やれよ」

「試験受けるのは私なんだけど」

「ああ。亜希には合格したら俺が何かやるよ。コンビニスイーツとか」

「……ショボ」

「あ、プライベートブランドで高いヤツでもいいぞ」

「コンビニから離れなさいよ、このコンビニ人間!」

……俺の私生活はコンビニに染められているようで、何故かショックを受けた。

「アンタ、店長でしょ」

「あ、ああ」

「私の受験を心配してくれるのはいいけど、アンタだって簡単に休めないんだから、その、風邪とかひかないでよね!」

「……うん、ありがとう」

「か、勘違いしないでよ! アンタに風邪をひかれると、私の寝覚めが悪いじゃない! 有希だって気にするだろうし」

「そうだな。まあここ数年、風邪なんてひいたことないし大丈夫だ」

「だったら、いいけど……」

「というわけで、明日の試験、頑張れ」

「……うん」

「有希と代わらなくていいか?」

「うん」

「じゃあ」

「あ、ハルヒラ」

「ん?」

「その……そこにいる女の人に、有希の面倒見てくれてありがとうって……」

バレてたのか。

さっきの葉菜のツッコミが聞こえたのだろう。

有希から葉菜のことは聞いているだろうし、声が聞こえた時点である程度の事情は察したのかも知れない。

「判った」

「じゃあ」

「うん」

「ホントに風邪ひかないでよ?」

「うん、亜希も」

「私は、こう見えて丈夫だから」

「こう見えてって、どう見ても丈夫そうじゃないか」

「ちょ、失礼ね!」

「はは、冗談だよ。お前は華奢きゃしゃだから心配だ」

「……ちゃんとハルヒラのサラダ食べてたから」

「そうか。役に立てたなら光栄──」

「いいからさっさと切れ!」

また葉菜と有希から同時に蹴りを入れられる。

っつ!」

「あは、そっちはそっちで大変そうだね。じゃ」

少し笑いながら、亜希は俺の返事を待たずに電話を切った。

さあ、報告も終わったし、もう一眠りするか。

「春平」

「あ、はい」

「有希ちゃんのお姉さん?」

「そうです」

「随分と親しげじゃない?」

「まあその、三年以上前からの常連さんなので」

溜め息をかれる。

「その、有希の面倒を見てくれてありがとうって」

「……まったくもう」

「どうした?」

「春平の周りには、いい子が多くて嬉しいやら腹が立つやら」

「喜んでくれると嬉しい」

「女性ばかりなのが問題なのよ」

「穂積も実はいいヤツだ」

「誰だか知らないけど、男性はどうでもいいわ」

ここでも穂積はどうでもいい扱いに……。

「さ、一仕事終えたような顔してないで、本番はこれからよ?」

「あ、やっぱり?」

「大丈夫、お父さんも、春平のこと好きだから」

そう言って笑う葉菜は、腹の立つことより、嬉しいことの方がずっと多いという顔をしていた。

有希もまた同じく。

この二人はもう仲良しだ。

女性のことで葉菜に心配はかけたくないけれど、俺の周りにはいい人がたくさんいて、そしていい人がいい人と繋がっていくのはとても嬉しいことだった。

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