第26話 デート

仕事を終えると、まだ暗い中、ペロを散歩に連れ出すのが日課になった。

休みの日も基本的に俺が連れていくが、誰かが代わりに行ってくれることもある。

例の公園に行き、あのお婆さんと挨拶を交わし、ベンチに座ってホットコーヒーを飲む。

いつもより明るくなるのが遅いな、と思って空を見上げると、ひらひらと雪が落ちてきた。

何となく気がいて、俺はペロと駆け足で店に戻る。

雪は次から次へと落ちてきて、やがて地面を濡らすほどになった。

世間の恋人達にとっては昨夜に降ってほしいところだっただろうが、俺は何故か、朝の雪に口元をほころばせた。


アパートへの道のりを足早に辿たどる。

たぶん、昨夜のうちに葉菜は俺の部屋に来て、今頃は眠っているだろう。

家には押し掛けてくるくせに、バイト先にはまず来ないのは、アイツなりのこだわりがあるのか、それとも何かの気遣いか。

……雪が更に強くなってきた。

家に帰ったらアイツを起こして、雪が降ってることを教えてやらねば。

田舎では雪なんて珍しくもなかったのに、どうしてそんなことを思うのだろう。

どうして雪は、こんなに綺麗なんだろう。


アパートの前まで来ると、二階の窓から身を出して、葉菜が空を見上げているのが見えた。

小さな手のひらを広げて雪をつかもうとする様は、無邪気な子供みたいだ。

右手の小指に光る指輪が目に入って、俺は少し胸が痛くなる。

葉菜が中学時代に自分で買ったその指輪は、葉菜のいじらしさの象徴だ。

右手の小指が自身の最も女の子らしい部分だと、葉菜はそう思っている。

葉菜が俺に気付いて、照れ臭そうな笑みを浮かべた。

唇が「待ってて」と言う風に動くと、葉菜は窓辺から消え、ややあって白い息を吐きながら外へ出てきた。

「おかえり」

そう言って、俺の腕にしがみ付いてきた。

葉菜の誰より白い肌は寒さで赤みが差し、小刻みな震えが腕から伝わってきた。

「風邪ひくぞ」

「いいの」

「いや、良くはないだろ。お前は風邪をひくと直ぐに高熱を出すじゃないか」

「大丈夫」

葉菜は事も無げにそう言うと、俺の前に立って歩き出した。

腕を広げて、少し踊るみたいに。

「雪なんて珍しくも無いだろ」

田舎に比べれば、随分と優しい雪だ。

傘が無意味になるほどの横殴りの雪じゃないし、視界をさえぎるような密度でもない。

しんしんと、ひっそりと、静かに、ゆっくり周囲を白く変えていく。

「春平」

「ん?」

「雪の中のデート、初めてじゃない?」

どうやらこれは、デートだったらしい。

雪の降るさなか、傘も差さずに住宅街を歩いている二人。

そもそも、初デートはいつだったのか。

幼い頃から二人でいることが多かったし、お互い告白らしいことなんてしなかった。

いつの間にか付き合っていて、遊びとデートの境界線は曖昧あいまいなまま。

「そう言えば、二週間前に初めて合コンに参加したの」

俺と葉菜は別れたのだし、合コンに参加しようが他の男とデートしようが、それは自由だ。

それどころか、俺から合コンにでも行ったらどうだと勧めたことがあるような気がする。

「ほら、春平も知ってるでしょう? 中嶋さん。あの子が誘ってきたから、ものは試しって参加してみたの」

俺の知る限り、葉菜が大学で親しく会話する人物は、その中嶋さんと北岡さんの二人くらいだ。

どちらも合コンに参加するタイプには見えなかったが、もう二十二歳だし、それなりの出会いを経て、それなりの出会いを模索もさくしているのだろう。

そして葉菜も、俺の知らないところで出会いを重ねているのかも知れない。

それは少し心が乱されることではあるけれど、俺自身の望んだことでもある。

色んな人と知り合って、葉菜はその世界を広げていってほしい。

「クッソつまんない人達と、クッソつまんない時間を過ごしてしまったわ」

……葉菜は、やっぱり葉菜だった。

吐き捨てるようにそう言ってから、俺をにらみ付ける。

「私に勧めておいて、春平は合コンに参加したことは無いようだし?」

俺にも大学で親しく会話する男友達はいた。

大学を辞めてからも、そいつらから合コンの誘いがあったりもした。

でも何故か、参加する気にはなれなかった。

「詩音ちゃん? 他にもいるかも知れないけれど、そういった子達とは店だけの関係みたいだし?」

葉菜が俺の顔を覗き込んでくる。

葉菜の綺麗な黒髪に、白い雪がえていた。

雪の白さと代わらないくらいに、葉菜は無垢むくな笑顔を浮かべる。

「去年も風邪をひいたけれど、私はひとりで乗り越えたわ」

葉菜は立ち止まって得意気に胸を張る。

華奢きゃしゃで、か弱い身体と、強い瞳。

「春平は私を心配しているようだけど、私はもう一人で生きていける」

葉菜は強がりなので、その言葉を鵜呑うのみには出来ない。

でも、葉菜が俺を必要としないなら、それは喜ばしいことだ。

……本当に?

「あら、もしかして寂しい?」

「手間のかかる子が、独り立ちしたときの寂しさだよ」

強がりだろうか。

「大切なオカズがハードディスクから消えたときみたいな?」

「全然違うわっ!」

「大切な写真を失くしたときみたいな?」

「それは……どうだろう」

葉菜の画像を亜希に消されたとき、別に寂しさも喪失感も無かった。

でもそれは、現実に葉菜が俺のそばにいるからだ。

「それも違うな。写真は写真に過ぎない」

「じゃあ、もっと寂しいのね?」

葉菜が手を繋いできた。

どこか嬉しそうに指が動く。

「ホワイトクリスマスね」

何が楽しいのか、上機嫌な口調で言う。

「こんな日にデートなんて、ドキドキするわ」

……奇遇だな、俺もだ。

別れて、それでも尚、近しい存在であるはずなのに、こうやって手を繋いでデートだなんて言われたら、不覚にもときめいてしまうのだ。

「あ、あんなところにお城みたいな建物が。ね、ちょっと休憩して──イテっ!」

「調子に乗るな!」

やっぱり叩き慣れた頭は、手に馴染んで安心できた。

「でも私達、朝帰りのカップルに見えるかもね」

葉菜がそう言ってクスクス笑う。

クリスマスの朝だから、そう見られてもおかしくはない。

まだ開いている店はほとんど無く、買い物どころかウインドウショッピングすら出来ない繁華街を歩く。

およそデートらしくない状況だ。

でも、葉菜の楽しそうな横顔を見て胸が高鳴るのだから、やはりこれはデートなのだろう。

葉菜の手を握る力を強めると、小さな手は、きゅっと握り返してきた。

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