第13話 愚息


「そう言えばお前は……」

危うく抱き締めてしまいそうになるところを何とかこらえ、俺は言葉を探す。

「そう言えば、私のブラは?」

くそ、余計なことを思い出させてしまった。

「もしかして捨てちゃったの?」

「はあ!? 捨てるわけないだろ!」

「忘れ物なのにその辺に置いてないってことは、どこか大事に仕舞ってくれてるの?」

葉菜が部屋を見渡す。

俺はドキリとする。

「あ、ああ。まあそんなところだ」

この部屋に、何かを大事に仕舞える場所など限られている。

いや、衣服に関するものならタンス以外にあり得ない。

「私としては大切に扱われるより、乱暴に使ってくれた方が嬉しいかな」

幸い、葉菜はタンスに目を留めることもなく、俺の顔を覗き込んでくる。

それはそれで探られているようで困るのだが。

「男がブラなんか使うわけないだろ」

不貞腐ふてくされたように、目をらしてそう言った。

「あら、男だから乱暴に使うんじゃないの?」

「……どうやって?」

「高い摩擦係数で繊維が擦り切れるような?」

「火起こしかよ! つーか、そこまで酷使したら俺の息子の方が擦り切れるわ!」

「じゃあ、身に着けてみるとか?」

「小さくてホックが届かねーよ」

葉菜が目を見開いてから、ニヤリと笑った。

「ん?」

「試したんだ?」

「あ……」

決して試したわけではなく、有希が面白がって着けようとしただけだが、それをどう説明すればいいのか。

「へんたい」

くそ、どうして罵倒っぽくない甘い声で言うのだ!

「葉菜、お前は誤解している」

「どうせ知的好奇心や探求心からした行為であって、性的欲求によるものでは無い、とか言うつもりでしょ?」

……俺が考えた言い訳を、完璧に言い当てられてしまう。

「そういえばご無沙汰してるけど、その様子だと愚息くんも元気なのよね?」

「おいコラ、別個の人格みたいに言うな」

「別の人格みたいなものじゃない。自分で制御できないんだし」

「う……」

「懐かしいわね、あの聞かん坊君」

「しみじみ懐かしそうに言うな。まるで愚息が本体みたいじゃないか」

「……」

「な、なんだよ」

「時に本体を凌駕する立派さで──」

「やかましいわっ!」

とらえようによってそれは、男の自尊心をくすぐる誉め言葉……じゃないよな。

「随分と世話をしてあげたもの」

「いや、お前だって愚息の世話になっただろうが」

「そうね、愚息と言ったら失礼よね。それはまるで暴君と言っていいくらいに我儘だったし、私がもうやめてって言っても怒ったみたいに天をいて……」

「ごめんなさい」

「……愚息大王クン?」

「ダイオウグソクムシかよ」

「そこまで大きくはないけど……」

「ほっとけ!」

葉菜はクスクス笑う。

下品な話をしているのに、どこか品のある笑い方で、葉菜はやっぱり綺麗だなと思った。

「……私ね」

「何だよ」

「あなたが大学を辞めてから、男子学生に声をかけられることが増えたわ」

そりゃそうだろう。

在学中の俺は公認の彼氏だったし、同棲してることだって隠してなかった。

だが、別れてから二年以上も経った。

しかも葉菜は美人で、才女でもある。

やや近付き難い雰囲気は持っていても、アプローチしてくる男は多いだろう。

「デートの一回や二回はしてみたのか?」

俺以外の男とも交遊を広げ、葉菜は広い世界を知るべきだ。

「あの鬱陶しいハエみたいな男共と?」

でも、葉菜は吐き捨てるようにそう言って鼻で笑った。

……葉菜は頭はいいが、こと恋愛に関してはバカだ。

価値観が片寄りすぎていて融通も利かず、視野は極端に狭い。

「どいつもこいつも、自分だけは君のことが解るよ、みたいな態度で近寄ってくるの」

まあ、そういった男達の気持ちは解らないでもない。

「同情や理解者のふり、あるいは器の大きさを見せようとする矮小な存在。守ってみせるだなんて勝手に熱くなってる中二病」

えらい言われようだ。

「俺より立派なヤツなんていくらでもいるよ」

「大王愚息クンより!?」

「愚息の話はしとらん!」

「ダンゴムシでもいいの」

「いや、だから」

「春平が言いたいことは解ってる。春平より立派な、器が大きい人なんていくらでも、それこそ掃いて棄てるほどいる」

「おい」

「春平より男前で、勉強も運動も出来る人がごまんといる」

「コラ」

「でも春平は一人しかいないし、大王愚息クンも一つしかない」

「……」

「春平」

「なんだ」

「私がどうして、あなたの別れ話を受け入れたか解る?」

本当に受け入れたのか、いまの状況を見ると怪しいところではあるが、あのときの葉菜は意外に落ち着いていた。

「たぶん、私も同じことを感じていたのよ」

「同じこと?」

「ずっとこのままでいいという思いと、このままじゃ駄目だって思いがせめぎあってて、春平の方が少しだけ、このままじゃ駄目だって思いが強かった」

当たらずとも遠からずといったところだ。

一つ付け加えるのなら、俺はそのままでいることに「ずるい」と感じていたことだろうか。

小さい頃から葉菜のそばにいた俺は、葉菜を俺というおりに閉じ込めておきたかったんだ。

でもそれは、葉菜の可能性を遮断する狡い手段だと思うようになり、俺以外を否定する葉菜の醜さを助長させる行為でもあった。

「私も、春平と距離を置くことで、何か変わるかもって思ったわ」

同じように感じていたなら、やはり俺の出した答は間違いでは無かったのだろう。

「籠の中の鳥、と言えばあなたに失礼かもだけど、ずっとあなたの庇護の下にあるのは狡いかなって思ったの」

……狡い?

同じことを感じていたのに、そこに至る過程は真逆みたいで俺は戸惑う。

閉じ込めていたのに、守られていた?

きっと、葉菜がバカなのだろう、そう思いながら、俺は自嘲気味に笑った。

「春平は、バカね」

葉菜は、その小さな指で俺の鼻をつついた。

葉菜が言うなら、きっとそれは正しいのだろう。

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