第12話 儀式

「うーん……」

俺は布団の上に並べた三つのブラを眺めながら、何故か一人で唸ってしまう。

大人びてはいるが清楚で高級感漂う白いブラ。

子供っぽくて、オシャレとは言えないかもだけど可愛らしいピンクのブラ。

派手だけど、どこか背伸びしたような愛らしさがある赤いブラ。

「うーん」

俺は腕を組んで、また唸ってしまう。


──詩音が帰った後、俺はトイレ掃除に入った。

西村さんが言うようにトイレが汚れていたなら、詩音は使いづらかっただろうなと思ったのだが、案に相違してトイレは綺麗だった。

「……あのやろー」

嫌な仕事が無くなったのに、俺はそんな言葉を呟いていた。

西村さんからトイレが汚れていることを聞いてなければ、気付かずに済ましていた。

同じように、俺がトイレ掃除をしなければ知らないままだった。

高校生のガキが、しかも女の子が、他人が汚したトイレを綺麗にしてくれるなんてなぁ……。

トイレの神様がいるなら、きっと詩音は幸せになれるだろう。

俺はいつも詩音が口にしている、「ばっちゃが言ってた」という言葉を思い出す。

きっとアイツの中では、トイレは綺麗にすることが常識で、それはたぶん、ばっちゃが言ってたことなんだ。

俺は苦笑した。

誰が言ってたとかじゃなく、綺麗にすることが常識と思う自分がいるなら、それを実践しよう。

俺は便器とその周辺だけでなく、壁やドア、洗面周りをいつもより丁寧に拭いた。

予備のトイレットペーパーが置いてある戸棚の中も拭こうとした。

そこに、真っ赤な物体があった。

一瞬ギョッとするが、直ぐにそれがブラだと気付く。

ご丁寧に、『田中っち専用』と書かれたメモが添えられている。

「アイツめ……」

男は「専用」という言葉に弱いのだ。

汎用はんよう性の高いものや量産型より三倍は嬉しい。

自分専用、つまり、自分のためだけに用意された、自分のためだけの存在なのだ。

俺はそれを強引にズボンのポケットに押し込んだ。

やはりパッドが分厚くて不格好にポケットは膨らんだが、何とかそれを収納できた。

だって、捨てるわけにはイカンよなぁ?


──うーん。

俺は心の中で唸った。

俺はブラにはあまり興味が無い。

そりゃあ、えり元から覗くブラ、ブラウスから透けて見えるブラには目が行ってしまうけれど、ブラ単体に執着は無い。

それが、期せずして三つものブラが集結してしまった。

しかもそれぞれが違った個性で自己主張し、三つどもえの様相をていしている。

忘れたられたヤツと投げつけられたヤツと置いていかれたヤツと、生い立ちも三者三様だ。

さて、どれから使うべき──じゃねーよ!

アホかよ!

俺は自分にツッコミを入れて、三つのブラをタンスの引き出しに投げ入れた。


何となく悶々としながら眠りに就く。

夢の中で葉菜の胸を堪能する。

小振りだけど、それは例えようもなく柔らかで、夢の中でありながらも夢見心地にしてくれた。

俺専用だ、などと思って好き勝手に扱いながら、そのくせ俺専用だと思うと愛おしくてたまらなくなって、可能な限り優しく触れようと思った。

そう意識した時には、ほぼ目が覚めかけていた。

目を開けると、実際に隣で葉菜が眠っていた。

どうやら現実と夢がリンクしていたらしい。

俺は葉菜の胸に触れていた自分の手を、葉菜を起こさぬようそっと離した。

「って、どうやって入ったんだよ!」

もう少し寝顔を見ていたい気もしたし、夢の中だけじゃなく柔らかさを堪能したい気もしたが、侵入者を寝かせておくほど俺は甘くはない。

「さんざん胸を揉みしだいていたくせに、随分と高圧的な態度ね」

「う……」

夢の中の、あの甘美な感覚が現実のものならば、俺は確かにむさぼるように揉んだということになる。

そして多分、葉菜は眠っていたわけではなく、目を閉じて俺の手を受け入れていたのだろう。

「お陰で準備万端よ。どうしてくれるの?」

「ひ、開き直るな!」

布団から跳ね起きて、俺は葉菜を見下ろす。

そのまま布団の中にいれば、理性を保てる自信が無かった。

「穴に棒を差し込んで」

「な、何を言っている」

「どうやって入ったのかって聞くから」

「鍵の話かよ!」

「あら、何の話だと思ったの?」

「いや、てっきり誘って──じゃなくて何で鍵を持ってるんだ!」

「あなたがスペアキーを」

「うん?」

「いつもこれ見よがしにタンスの右上の引き出しに仕舞ってるから」

俺は葉菜の形よくとがった鼻をまむ。

「いひゃい」

「それのどこがこれ見よがしなんだ?」

「だって、そこにあるって私が知ってるのに、あなたはいつまでも場所を変えないじゃない」

葉菜は赤くなった鼻先を擦りながら、どこか恨めしそうに言う。

……俺が悪いのか?

「いや、そもそもお前がしたことは、泥棒と不法侵入だ」

「侵入はともかく、何も盗んでないけれど?」

「鍵を盗んでるだろうが!」

「……あなたのハートの鍵を盗んじゃいまし──痛っ!」

葉菜の頭を叩く。

いや、叩いておきながら、その綺麗な黒髪に触れることに、どこか喜びを感じている。

「忘れ物を取りに来たのよ」

「忘れ物?」

「ええ。この間、泊まったときにブラジャーを忘れたのだけど」

……。

ヤバい。

タンスの右下の引き出しの中を見られると、俺は殺されるかも知れない。

「つーか、何時からいるんだ?」

誤魔化すように、そう言った。

時刻は二十二時を過ぎている。

今夜の仕事は休みだし、もう少し二人で眠っていたい気もした。

葉菜は両手の指を立て、六時だと答える。

広げた手のひらが可愛らしくて、つい、その指を口にくわえてしまう。

葉菜は抵抗なんてしない。

だってそれは、二人が付き合うよりもずっと前から、日常的に行われてきたことだから。

その行為に、最初は性的な意味なんて無かった。

小さい頃から、ただのじゃれあいみたいに指に触れ、それを口に含んだ。

親愛の証? あるいは慰め?

意図も意味も曖昧あいまいなまま繰り返された、幼いたわむれだった。

でも、もし葉菜が大人になっていっても、決して他人にその指を触れさせないのなら、その意味合いはだんだんと変わってくる。

そして実際に、葉菜は誰にも触れさせないのだ。

その事実は、俺達の行為を特別な儀式みたいなものに変え、二人だけの秘め事は、いつしか性的な色合いを帯びるようになった。

だが、俺は葉菜が甘い息を漏らす前に、その行為を止めた。

最初の頃の、まだ幼かった二人の行為のまま。

「春平」

だから葉菜の浮かべる笑顔は、まるで少女みたいに可憐だ。

だから、その先につむがれる言葉を俺は知っている。

「ありがと」

幼い頃と同じやり取りを繰り返したのに、それは俺を悲しくさせ、何故か俺をたかぶらせた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る