03-noose

 さらにその翌日。有機納ゆうきなはまた処刑所にいた。

 天候は雨。元から予定されていた休日であったので、午前のおわりのほうまで眠っていた。

 雨が降ると死刑執行日は翌日にずらす。死刑囚が、視界の悪さを利用して脱走する可能性があるからだ。

 だから彼はいないだろう。


 ——とは、思えなかった。

 所謂虫の知らせというやつで、有機納はここに来なければいけないような気がして、何かに追い立てられるように支度をし、走ってきた。

 渡されている合鍵で門の錠を外し、中に飛び込むとそこにはやはり側久かわくがいた。

 しかし、いつもと立っている位置が違ったのだ。


「なっ…に、してるんですか!」


 側久は処刑台の上に立っていて、今丁度ロープの輪に自分の首を突っ込むところだった。

 声を張り上げてそこまで走っていくと、いつもどおりの視線が有機納に向けられた。彼は、仕事着だった。


「……」

「なんで…」


 上手く言葉が出ず、疑問詞を繰り返した形になる。側久は側久で、じっくりと今の状況を把握しているかのように喋らず、視線も固まったままだった。

 沈黙が落ちて激しい雨音が辺りを包む。時間帯は昨日と同じ昼のはずだが、随分暗かった。

 側久はロープに手を掛けたままだ。


「——止めるな」

「…え……」

「私はもう、ずっとこの仕事をしてきた」


 低く強めの声が雨音を掻き分けてこちらへ言葉を届ける。おそらく彼は、普段はもっと落ち着いた声で話すのだろうと思った。


「初めから、私は随分落ち着いて処刑を執行していた」

「……」

「だが、最近は麻痺してきたように思う。……このまま生きていたら、人を殺すことが娯楽に感じるようになる気がする」

「——…」


 そのとき初めて、その無表情な瞳を哀れだと感じた。

 彼は、もしかしたらずっと何も感じない生活を送っていたのかもしれないと思ったのだ。

 言葉で言い表せない感情が心を巣くって、たとえばそれは人として幸せな感動は彼に少しも無いのか、手がかりなど何も無いくせに探るような。

 けれどふと顔を上げたとき、側久はもうその輪に首を通していた。このまま放っておけば、板の抜かれた穴に足を入れてしまうのだと分かった瞬間、無責任にも引き止める言葉がでるのだ。


「やめて!」


 制止の言葉に返事はなかった。

 ただ、もう一度こちらを見た彼が、


「見ていてくれないか」


 そう言った。


「え、」

「…処刑するとき何を考えているのか、と聞いたな」


 側久が自分の首の後ろで輪を絞った。手馴れた動作で、しかし慣れていないはずの行動を躊躇うことなく行っていく。いつものように、犯罪者を処刑するように。


「死刑囚になったような連中は、真実有罪であれ無実であれ身の回りに人はいなくなる。もしくは初めから、心を通わすような人間がいない。私は昔死刑囚の監視をしていたから、この仕事をする前から処刑する瞬間は見てきた。執行人は板を引き抜くと縁起の悪いのを避けるように死刑囚を視界にも入れず処刑所ここを立ち去っていった。だがそのときの死刑囚の気持ちになると、私は耐えられなかったんだ。自分が死ぬ瞬間に、死ぬ為に苦しんでいる間ずっと、自分にはもう誰もいないのだと感じるのだと思うと」


 彼らしい、淡々とした口調が音を綴った。しかしそれは、優しすぎる男の像を形取っていった。

 無表情に死体を見つめていた彼を記憶から探すと、みたことなど無いはずなのに涙を流している姿が浮かんだ。そこで有機納は自分が泣いていることに気付いた。

 私は何にないているんだろう。——彼に?


「荒んだ人生を生きてきたなら、最後くらい人の温かみを、知っていて欲しかった。」


 だから私は見ていたんだ、と。

 彼は言った。


(それは、)


 そして彼は、足を投げ出した。


(それは、あなたこそ、そうじゃないの?)




 側久はもがかず重力に従って揺れて、そのまま死んだ。

 その姿を有機納はずっと見ていた。

 彼の、人の愛し方に倣って。

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