慎一は、小さく戻った管生くだしょうを肩に乗せて階下に戻った。

 すでに周囲は記憶の残滓である。

 炎に包まれて、なかば焼け落ちている廊下も、軽く跳んで渡ればいい。


 あの惨劇の部屋はどうなったか、気になって途中で確かめると、部屋のみならず、屋敷のその一角が吹き飛んでいた。


「十年前、本当の焼け跡のありさまは、どうであったのだろうな」

「石造りの玄関ポーチ以外は、ほとんど全壊した。台所のプロパン・ガスが爆発して、一階の一部は木っ端微塵に吹き飛んだ――そう新聞に」

「なるほど、焼け跡の帳尻はうておるわけだ」


 十年前の記憶では、そのポーチの先の前庭に実結みゆいが倒れていたのだが、今は当然、その姿はない。


 念のために辺りを検めながら、元の門前に戻る。

「もしやと思うたが、やはりいないな」

実結みゆいの記憶がまた変わったとしたら……今度はどう変わったのか……」

「俺にもわからぬ。こんな先の読めぬ仕事は初めてだ。そもそも霊道行たまのみちゆきなど十年に一度、いや五十年に一度あるかないかの大仕事ぞ。おぬしとて実結みゆいがらみの他には、何年か前、狂った子供のトラウマとやらを、斎女ときめに頼まれて封じた時くらいのものだろう」

「ああ」

「万一下手を打てば、こっちも現世そとに帰れなくなる荒事ぞ。現におぬしのひいひい爺さんなど、老いぼれてからも義理としがらみで荒事を引き受け、あちらで迷って動けなくなった。憑いて行った俺も、つくづく困ったよ。まあなんとか戻って来られたのはいいが、ひいひい爺さんは気が衰えて、結句、ひと月ほど寝込んだ末にポックリ逝ってしまった」

「……ああ、知ってる」

「俺はふだんの仕事だけにしたいよ。ありふれた陰火や、外にこごった人のはくを呑むだけなら楽でいい。たまには人を食ったりもするが、あれは美味いから、しょっちゅうやってもいいな」


 ふと、慎一は聞きとがめた。

 ――人?

 同じような言葉を、今夜、管生くだしょうの口から何度か聞いた気がする。

 これまでは気にとめる余裕がなかったが、そもそも管生が自力で竹筒から出ることはない。管生が人を食ったとしたら、斎女ときめがそれを命じたことになる。

 いや、いくらなんでも――。

 慎一は思い直した。

 御子神みこがみ斎女ときめは何代も続く世襲制の名跡みょうせきである。管生くだしょうだけが、同じ管生くだしょうのまま引き継がれている。ならば、この国でも何度かあった血で血を洗う混乱の時代、そんな血生臭い仕事があってもおかしくない。


「野武士でも食ったのか?」

「夜盗だよ。五人ほどまとめて呑んだ。あれはすこぶる美味うまかった。昔の悪漢は、痩せて食いでのない奴ばかりだったが、近頃は栄養が行き届いて、鍛えておるから赤身が美味い」

「近頃?」

「おう。十年前の話よ」


 慎一は、思わず肩の管生くだしょうをつかみ、両手で握って顔の前にぶら下げた。

「何をする無礼者! 鼻を囓るぞ!」

「……どこの誰を食った?」


斎女ときめに口止めされておったのだが、もう教えても良かろう。おぬしや実結みゆいにも無縁の話ではないからな」

 管生くだしょうは悪びれもせず、

「十年前、この館の現物が燃えて、しばらく後の話よ。例の火付け盗賊たちが、どこぞの港から海に逃れたという話があったろう」

「ああ」

「どこに居ようと追いかけて、見つけて呑んでしまえ――そう斎女ときめに言いつけられた」

「まさか……」


「そう恐い顔をするな。若輩だったおぬしと違って、もう御子神みこがみの稼業を継いでいた斎女ときめぞ。警察やおぬしが口をつぐんでも、実結みゆいがどんな非道な目に遭っていたか、知るだけの人脈があった。せっかく実結みゆいの記憶を封じたのに、後で犯人どもが何か口走ったらどうなる。だから、そっちの口も封じたのさ」

「でも……本当の犯人は……」

「まあ、そこは確かに違っていたがな」

 管生くだしょうは平然と、

斎女ときめも俺も、けして馬鹿ではない。しっかり確かめてから呑めと斎女ときめに念を押されたし、俺もきちんと言いつけを守った。呑んで当然の奴らだったよ。海を渡った先の国でも、酒に酔えば非道の話で盛り上がり、金が尽きたら、俺の目の前で人家を襲った。あそこで俺が呑まなかったら、あと何十人焼かれたかわからん。実結みゆいのような目に遭って焼かれる娘も出たろうよ」

「…………」

「ま、正直、俺はただ美味いから食ったのかもしれぬ。しかし斎女ときめ実結みゆいのために命じたのだ。そこはわかってやれ」

「……ああ」

 慎一も、なんとか納得する。


「それから、もうひとつ」

 管生くだしょうは、つぶらな小動物の目で、じっと慎一を見据えた。

「――人の色恋は、俺にはわからぬ。化けてからはおんなもいらぬ。しかし化ける前の大昔、自由に野山を駆けていた頃には、惚れたおんなつがうためなら、何匹ものおとこと血を流し合った。――オコジョさえ綺麗事きれいごとで恋はできぬぞ」

「…………」

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