第9話 ☆囮の王女
マルツェルとの最悪な出会いから、二十日が経過した。
エディタはマルツェルらに連れられ、バラトの北方の王国中央部にある、名もなき高山へとやってきた。
ここには古竜が住み着いており、王国からたびたび討伐の依頼が出されていた。
古竜は、かつての英雄たちでも打ち倒せなかった難敵。当然、誰もこの依頼を受けようとはしていなかった。
だが、マルツェルたちは依頼を受諾した。
彼らは、『俺たちは過去、どの勇者にも使えなかった《伝説級》スキルを使える。コイツで古竜なんて瞬殺だ。名をあげるにはもってこいな依頼だぜ』などとうそぶいていた。
結局、エディタはマルツェルたちの脅しに屈した。
多勢に無勢、逆らえるはずもない。
また、王族としての誇りもある。
勇者の婚約者としての役割は全うしなければとの思いも、どうしても捨てきれなかった。
マルツェルから婚約破棄されては、間違いなく父王から王族失格との烙印を押される。最悪、王家から……王国から追放されかねない。
現状を鑑みると、街の住民からの信頼を一定程度勝ち取っている様子のマルツェルからの訴えを、王家が無視できるとも思えなかった。
ただ、マルツェルからの夜の行為だけは、どうにか避けてきた。
道中はずっと野営だったため、魔獣への警戒が欠かせなかった点がエディタには幸いした。
さすがにマルツェルも自重しているようだ。
「さぁて、いよいよ古竜とご対面だ。エディタ様、せいぜい役に立ってくれよ」
「わたくしは何をすれば?」
まだ、エディタを含めたパーティーとしての連携は、きちんと確認していない。
難敵を前に無策は、さすがにあり得ないだろうとエディタは思う。
「囮だ」
「えっ?」
言われた言葉の意味が即座に理解できず、エディタは思わず聞き返した。
――今、何やら物騒なことを言われたような……。まさか、そんなはずは。
信じたくなかった。
いやな汗がべっとりと染み出して、背中に下着が張り付く。
「だーかーらっ、囮だよ! ったく、すぐ分かれよ!」
マルツェルは不機嫌に怒鳴ると、エディタの腕を強引にとった。
「そぉら、行ってこい! 万が一があったとしても、あとで骨は拾ってやるぜ!」
「きゃっ!」
マルツェルに背中を強く押され、エディタはたたらを踏んだ。
眼前に古竜が迫る。
――う、嘘よ! 私は魔術師ですわ。こんな、前衛まがいをできるだけの身体能力なんて、持っておりません!
足がもつれそうになる。
だが、ここで倒れるわけにはいかない。動き回らなければ、あっという間に踏み潰される。
「エディタ様の役割は、私たちが《伝説級》スキルを発動するまでの時間稼ぎじゃん。さすがに高難度のスキルだけあって、発動までに準備がいるんだよね」
「せいぜい逃げ回ってぇ、うまいこと古竜のターゲットになってくれよなぁ。スキルさえ発動しちまえば、あんな古竜なんて楽勝だから、安心しなぁ」
背後からイレナとロベルトの冷たい声が聞こえてきた。
文句の一つも言いたかったが、今はそれどころではない。とにかく逃げなければ。
「よっしゃ、いくぞーっ!」
マルツェルのかけ声が響き渡る。
同時に、イレナの詠唱の声が漏れ聞こえてきた。何やら魔法を使おうとしているのだろう。
聞いたことのない不思議な詠唱が、《伝説級》スキルの使用体勢に入ったことを示唆していた。
――あれが《伝説級》スキル? 詳細はわかりませんが、とにかく、今はなんとか時間を稼がないと……。ここで死ぬわけにはっ!
エディタは風魔法を駆使して身体の動きを補助し、とにかく必死に逃げ回った。
じりじりと時が過ぎていく。
「ま、まだですの!?」
限界ギリギリで動いているために、消耗が激しい。長くは持たないと感じた。
その時――。
「ちょ、待ってマルツェル! スキルが出ないよ!」
イレナの悲鳴が響き渡った。
「馬鹿いうな! いつもどおりにやってくれよ!」
「でも、出ないったら出ないじゃん!」
イレナは焦りながら、再度詠唱を始めた。
「あぁん、何だってぇ! 真面目にやってくれ、イレナよぉ!」
ロベルトが怒声をあげる。
何かがあったらしく、マルツェルたち三人は集まって言い争いを始めた。
――何事ですの! も、もう体力が……。
マルツェルたちの状況を確認する余裕は、とてもではないがなかった。とにかく信じて動き続けなければ。
「だから、スキルが出ない――」
「マズい! 避けろーーっ!!」
「ちっ! クソがぁ!!!!」
イレナの言葉を遮り、マルツェルとロベルトの叫び声が響き渡った。
――え!?
エディタがチラリと後ろに視線を配ると、マルツェルたちはちりぢりに散っていた。
焦って古竜へ向き直ると、古竜は大口を開け、大きく息を吸い込んでいる。
――い、いけませんわっ!?
エディタは即座に水魔法を発動し、自身に大量の水を振りかけた。同時に、大きく地面を蹴り、風魔法で身体を押しながら右方向へ全力で駆け出す。
『グワアアアアッッッッ!!!!』
ものすごい轟音とともに、古竜の火炎のブレスが吐き出された。
エディタはなんとか直撃を避けたが、水に濡らしていたはずのローブの一部が焦げ、肌が露出した。
幸いきつい火傷を負うまでには至っていない。まだ、動ける。
古竜がブレスを吐ききり硬直をした隙に、マルツェルが大慌てで魔法の詠唱を始めた。
やはり《伝説級》スキルなのだろう、エディタには聞き覚えのない詠唱だ。
だが、イレナ同様に、やはり何も起こらなかった。
「ちっ! オレもスキルが出ない! まさか、古竜の特殊スキルか何かか!?」
マルツェルは吐き捨てるように怒鳴ると、膝をついて呆然としているイレナの元に駆け寄った。
「やべぇぞ、作戦の前提が崩れちまったぁ! 撤退を提案するぜぇ!」
ロベルトの訴えに、マルツェルはうなずいた。
「でも、このまま逃がしてくれそうにないじゃん! どうするの、マルツェル!」
涙声で怒鳴るイレナを落ち着かせようとしてか、マルツェルはふっと笑みを浮かべた。
「大丈夫だ。オレたちにはまだ、最後の保険がある」
マルツェルがチラリとエディタに視線をよこす。
――ま、まさか……。
エディタはドキリとした。
「ほら、エディタ様! 最後の最後に大仕事だっ!」
マルツェルは叫ぶと、エディタとマルツェルたちとの間に魔法で氷柱を作り出した。
「えっ! えっ!」
逃げ道の一方を塞がれた。
これではマルツェルたちと同方向には逃げられない。
「あんたが
ロベルトが高笑いをあげながら駆け出した。
激しく地響きがする。
硬直の解けた古竜が動き出した。
「待って! 置いていかないでくださいませっ!」
エディタは必死にマルツェルたちへ呼びかける。ここで見捨てられたら、もう生きては帰れない。
「せいぜい役に立ってくれよ! 国には、例の所業で婚約破棄して追放したって伝えておくんで、安心して死んでくれて大丈夫だぜ、エディタ様!」
マルツェルの情け容赦のない声が響き渡った。
――う、嘘よっ!
エディタはどんどんと小さくなっていくマルツェルたちの姿を、呆然と見送った。
――まさか……。まさか、ここまで最低な人物だとは、思いませんでしたわっ!
あの時、マルツェルの脅しに屈したりせずに、王家へ勇者パーティーの危険性を訴え出るべきだったと、今更ながらに後悔する。
――生き延びて、あの者たちの所業を父様に伝えなければ……。わたくしは、こんなところで死ねないっ!
エディタはぎゅっと唇をかんだ。
だが、そんな決意もむなしく、現実は非情だった。
ズンッ!!!!
古竜の足音が地面に響きわたる。
ハッとして視線を古竜に戻すと、巨体がエディタの目前にまでにじり寄ってきていた。もう、逃げられそうもない。
迫り来る死への恐怖を前に、エディタはその場にへたり込み……。
「い、いやぁぁぁぁぁっっっっっ!!!!」
絶望のあまり、天に向かって声の限りに叫んだ――。
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