命のオーディション

一ノ瀬樹一

第1話

 ビルの屋上に立ち、僕はこれまでの人生を振り返った。


 十分経過――。


 何も思い出せない自分は、やはり空っぽの人生を歩んで来たのだと痛感した。

 普通は、愛する人の顔や、これまでの楽しい事や辛かった事を思い出すのだろうが、僕には記憶はあるが思い出がない。


 波風の立たない、平凡で平坦な人生を望んでいたのだが、それが僕には苦痛でしかなかった。


 かつて耳にした、こんな言葉が頭に浮かんだ。


 ――人生の最期。あなたのアルバムには、どんな写真が載っていますか?――


 僕のアルバムには、写真は載っていないだろう。

 それが、僕という人間であり、僕の人生なのだ。


 とにかく、そんな苦痛から解放される為、僕は今日この場所で人生を終わりにする事にした。

 ビルの屋上からは、宝石箱の様なきれいな夜景が広がっていて、この光の中に融けるなら悪くないとさえ思っていた。


 それにしても、いざ死を覚悟すると、こんなにも冷静な自分に驚く。普通は足が震え、死の恐怖に心を支配されてパニックに陥ってしまうらしいが、僕とっては家の玄関を踏み出す様に、このビルからも飛び降りる一歩も変わらないと思う。


 長々と考えてしまっているが、人生を終わらせる為、ビルから飛び降りるとしよう。


 さよなら、我が人生――。

 さよなら、僕のどうでもよかった人生――。


 「あれれ。ちょっと待ってください」


 僕の自殺を邪魔したのは、全身黒ずくめの男だった。このビルの屋上には、誰も居なかったはずなのに……。


 「だ、誰?」


 驚く僕に、男は更に驚く事を口にしました。


 「初めまして。私は死神です」


 それは、とても三日月のきれいな夜だった。

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