お婆ちゃんの万華鏡

ちゃんかん

夏一色

私はお婆ちゃん子だった。

私の育ての親で、最も大切な存在。

他の家とは違うことは小さい頃からわかっていたけど、そんな事が気にならないぐらい私はお婆ちゃんから愛情を注がれていた。

母は私を産んですぐに亡くなり、お父さんは家を出て行ってしまった。

「お父さんは、お仕事が忙しいから帰ってこないんだよ。穂菜美を食べさせるために頑張って働いてるんだよ。」

お婆ちゃんは私にそう言い聞かせていたが、小学校高学年になる頃にはそれが違うんだろうと何となく感じていた。

多分父は母が死んだのを苦にして家を出ていってしまったのだろう。

母の名前は雨音。私の名前は「雨」を皆受けて美しく育って欲しいという意味が込められて付けられたらしい。

でも、私を育ててくれるはずの雨は、芽吹いてすぐに止んでしまった。もし私が、雨を受けて育っていたとしたら、どのように育っていたんだろうとふと思うことがある。

でも、お婆ちゃんに育てられて不自由はなかったし、そんな事を考えるのはお婆ちゃんに対して申し訳ないという気持ちが昔からあった。

だから、お婆ちゃんにあまりお母さんについて質問しない。

小さい頃は質問していた記憶もあるが、いつも「お父さんに聞きなさい。」と言ってあしらわれていた。

でも、申し訳ないという気持ちのせいか、私はそれ以上ごねる事は無かった。


中学生になって初めての夏休み、とはいえ私とお婆ちゃんの家は田舎にあるので、特にやることもなく、縁側で麦茶を飲みながらのんびり窓の外の蝉を眺めていた。

まだ夏休み最初の方で、友達も宿題を先に終わらせると意気込んで、今日は1日やることが無い。

足をぶらぶらさせ、「つまんなーい!」と叫ぶと蝉が突然ジジジッと音を立てて飛び立っていった。

すると、後ろからお婆ちゃんが私を呼ぶ優しい声が聞こえた。

「穂菜美ももう中学生なのねぇ」

安楽椅子に腰掛けてニコニコしながら話しかけてくるお婆ちゃん。

「中学生には三ヵ月前になってるよ、お婆ちゃん。中学生になってもこんな田舎じゃクラスメイトが変わるわけじゃないし、何も変わらないよ。」

「そうかい?お婆ちゃんはそうは見えないけどねぇ。少し大人びたというか、間違いなく小学生の頃とは変わってるよ。」

「前もそれ言ってたけどそんな事ないって〜。あーもう退屈!」

そう言って麦茶のお代わりでもしようかと台所へ向かおうとした時、お婆ちゃんがおもむろに立ち上がった。

「お婆ちゃん危ないよ!」

思わず駆け寄る。

前に一回バランスが取れずに倒れた時から、私は少し過剰なぐらいお婆ちゃんが立ち上がる時は気をつけるようになった。

「大丈夫よ。それより、穂菜美に渡したいものがあるの。」

そう言ってタンスの奥から古びた箱を取り出した。

それを机の上に置き、ゆっくりとした動きでそれを開くと中からは一つの万華鏡が出てきた。

それは見ただけでかなり古いものだと分かるほど色褪せていた。

しかし、筒部分には精巧な意匠が施されており、また目立って傷もないことから、とても大切に扱われていたことが伝わってくる。

「お婆ちゃんこの万華鏡何?」

「これは私の家に代々伝わる万華鏡でねぇ。穂菜美が中学生になったら渡そうと決めていたんだよ。」

「え?何でわざわざ中学生になったらなの?確かに綺麗で古めかしい感じだけど、万華鏡なんて小学生の時に見たことあるよ。」

「これはねぇ。ただの万華鏡じゃないんだよ。」

お婆ちゃんは顔に刻まれた深い皺をニヤリと歪ませた。

「この万華鏡はねぇ、私が穂菜美の歳ぐらいの時に、父が支那から持ち帰ったものでねぇ。ただの万華鏡じゃないのさ。」

「代々伝わるってさっき言ってたけどお婆ちゃんの代からじゃない。」

「ほっほっほっ、そう言ったかの。まぁそれでもこの万華鏡がただの万華鏡じゃないのは確かさ。穂菜美のお母さんだってこの万華鏡に中学生の時にお世話になったんだからねぇ。」

お母さんというワードを聞き、私はドキッとした。

やましい事がある訳ではないが、あまりその言葉を出しづらかった相手からその言葉を聞いたので一瞬驚いてしまった。

母にまつわる物、そう聞いて私はこの万華鏡から目を離せなくなった。

母との思い出が一切ない私にとって母というのは写真で見た顔、遺された化粧台などの印象しかない。

しかし、この万華鏡は私に母という存在を身近な感じさせるものだった。

母にも中学生の時代がある。当然の事と言えば当然の事だが、私にとって母とは止まった存在で、実は架空の存在だと言われても納得してしまうようなそんな人。

しかし、この万華鏡を見て、私は初めて母を私と同じ時の流れに身を置いていた人なんだと感じることが出来た。

「これで色んなものを覗いて見なさい。」

「...ちょっと使ってみるね。」

まさか本当に特別ななにかがあるとは思っていないが、こうやって夏休みの暇な時ぐらい使ってみてもいいかもしれない。そう思った。

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