カレンダーの丸

岳石祭人

1、月曜、火曜


 月曜日。

 真田は出勤の支度をしながらふと見た壁のカレンダーの、今週金曜日の数字に丸がついているのに気がついた。

 赤のボールペンで、ご丁寧に二重丸になっている。

 なんの印だったかなあと思った。覚えていない。

 覚えていないんじゃあ大したことではないだろうと、特に気にも留めずにアパートを出た。


 帰宅して、シャワーを浴びて、さっぱりしたところで気持ちよくビールを飲みながらカレンダーに目をやり、なんの日だったかなあと考えた。もとより独身の一人暮らしで明白なのだが、二重丸の癖は確かに自分が書いた物だ。

 用件が思い出せないのでいつ書いたんだったかなあと考えた。毎日毎週代わり映えのしない生活を送っているので日にちなんて考えていない。しかし月曜日に気がついて、こうして気になっているんだから、そう前ではないだろう。仕事が休みの土日なんてなおさら日にちなんて気にしないから、怪しいのは、金曜か。

 そういえば先週金曜は仕事帰りに同僚と飲んで、かなり酔っぱらって、帰宅はもう朝方と言っていい時間だった。

 きっとそうだろうなと思った。飲んでるときに何か来週の約束でもして、忘れないようにと帰宅してカレンダーに丸をつけて、そこで満足して、すっかり忘れ去ってしまったんだろう。まあ酔っぱらいのすることはそんなもんだろう。

 よし、明日出勤したらいっしょに飲んだ同僚に訊いてみようと思った。



 火曜日。

 出社すると金曜に飲みに行った二人のうちの一人におはようの挨拶がてら訊いた。もう一人は昨日から今週いっぱい海外出張だ。真田の勤める会社は中小の工場ながら、精密機械には不可欠な部品を作る特別の技術を持っているので業績は安定している。出張したのは営業部員だが真田たち居残り二人は製造部員だ。

 居残り仲間の高橋は

「今週の金曜日って、なんか予定あったかな?」

 と訊かれ、ぽかんと呆れた顔をした。

「なんだよ、金曜って言ったら……」

 と言って、顔を覗き込んでくる真田に面食らったように目をパチパチさせ、一転深刻な顔になると、

「おまえ……、覚えてないのか?」

 と訊き返した。真田が首を振ると、

「そうか…………」

 と重いため息をついた。真田は高橋の思わぬ反応に慌てた。

「な、なんだよ? そんなに大事なことか? 教えろよ?」

「うん……」

 高橋は周りの他の同僚たちの目を気にするようにして、

「ま、昼休みにでも詳しく、な?」

 と、誤魔化すように曖昧に笑った。

「おい、なんだよ? 教えろってば」

 問いつめようとする真田から高橋は「後でな」と手を振って逃げた。

 なんなんだよ、と、真田は気になって仕方なかった。


 昼休み。

 休憩室で真田はテーブルを挟んでドンと正面に陣取り、

「さあ昼だ。話せよ?」

 と高橋に促した。

「まあ食え」

 と高橋は真田に自分と同じ仕出し弁当を食べるよう促した。

「話せよ。聞かなきゃ気になって喉通らねえよ」

 真田がむっつり凄むと高橋も食欲が失せたように箸を置き、下から覗き込むようにして言った。

「本当に覚えてないのか?」

「話せってば。昨日から気になってしょうがねえんだ」

「そうか……」

 高橋は思いきったように話し出した。

「金曜夜だ、中田と三人で飲みに行って、最後にバーに行ったのは覚えているか?」

「ああ」

 中田というのがただいま海外出張中の営業部員だ。三人は同期で仲がよい。真田は思い出しながら言った。

「えーと、『ナナコ』ってバーだったっけな?」

「ああ。中田がなじみの店だって連れていったんだ」

「えーと…、そうだったかな?」

 その前に3軒ほど店を梯子しているので記憶が定かでない。ママと若い女の子が二人の小さな店だったと思う。

「それで、その店で何かあったのか?」

 高橋はまた真田の顔を覗き込み、呆れたようにため息をついた。

「呪いのサイト」

「は?」

 なんのことやらさっぱり分からず真田は困惑した。その顔を高橋はじっと見つめている。

「呪いのサイト? なんだよそれ?」

「それを見ると七日後に死ぬんだと」

「はあ?」

 ハハハ、と真田は笑った。女子高生でもあるまいに、いい加減いい年こいたおっさんが気色悪りい。しかし高橋は笑わなかった。真田も次第に笑いを収めていった。高橋が言った。

「まあな。おまえが笑ってるんなら、まあ、俺たちはいいんだがな」

 突き放したような言い方に真田は急に心配になった。

「なんだよ? 詳しく教えてくれよ? 俺が、その呪いのサイトとかいうのを見たって言うのか?」

「そうだよ。店の女の子に泣きつかれて。その子、ちょっと変なテンションだったんでな、俺と中田は気持ち悪く思って断ったんだよ。おまえは、よし、じゃあ俺が、って、彼女にいいところ見せようとして、ママも嫌がるんで二人で隅に行ってこそこそ携帯見てたじゃないか?」

 そう言われても真田は全く記憶になくて首を振った。

「そうか。おまえすっかり酔っぱらってたからな。ま、そういうことだ」

「そういうことだって、おい、それだけかよ?」

 高橋は迷惑そうに眉をひそめた。

「だって、こっちはそんな気持ち悪いもん見たくねえもん。見てねえものは教えてやれねえよ。でも、女の子は『助かったあ、これで死なないで済んだわ』って、泣いておまえにキスしてたぞ? 覚えてねえか?色男」

「ちくしょう、覚えてねえぞ」

 真田はその女の子を思い出そうとした。二人のうちどっちだったか思い出せない。

「ううむ、確か……ヒナコちゃんとユキエちゃん……」

「すげえ。覚えてるんじゃん?」

「いや…。どっちの子だ?」

「ヒナコちゃんだ」

「そうか…………」

 確か独特な劇画調の目をした子だ。まあ美人だったが、おでこのユキエちゃんの方がうんとかわいかった気がする。真田は我ながら女のことは覚えてるんだなと思った。それでなんでキスされたことを覚えてないのか。

 高橋が不思議そうに訊いた。

「おまえ、呪いのサイトのこと覚えてないのに、なんで今度の金曜のこと気にしてるんだ?」

「カレンダーに印付けてたんだよ」

「へえー。じゃあやっぱり当日はちゃんと気にしてたんだ?」

 ううむ…と真田は渋く黙り込んだ。そうだ、自分がかっこいいところを見せたかったのはユキエちゃんで、だからヒナコにキスされたことは忘れてしまったのだ。そうに違いない。

 じいっと深刻そうに真田の顔を覗き込んでいた高橋が、急に肩を揺すって笑い出した。

「な、なんだよ?」

「だってよ……、おまえ、女の子にええかっこしいして、全然呪いなんて信じてなかっただろう? なんだよ、今になって? こっちもおまえが忘れているからついからかったけどよ、信じるのか? 呪いのサイトなんて?」

「ううむ……」

 そう言われれば馬鹿馬鹿しい気もする。な?と高橋は笑った。

「気にすんな。食え。餓死するぞ?」

「するか」

 真田も笑って弁当箱のふたを取って割り箸を割った。食べようとすると、

「そんなに気になるなら見てみればいいじゃないか?」

 と高橋が言った。驚いて見返す真田に呆れたように言った。

「だって、七日以内に他の人間に見せなきゃならないんだろう? おまえも携帯にそのホームページ、ブックマークしてるんじゃないの?」

「うん……」

 そうかな?と思いながら飯を食べ始めたが、やっぱり気になって仕方なく、中断し、カバンのスマホを取ってきた。食べながら左手で操り、ブックマークしてあるホームページを出したが、それらしいサムネイルは見当たらなかった。

「ブックマークしてねえぞ?」

「知るかよ。間抜けな奴だな? それでどうやって呪いを解く気だ?」

「おいおい…、やめてくれよお」

「ハハハ。気にすんな。保存してねえってことは金曜のおまえもやっぱり信じてなかったってことだ。はい、めでたしめでたし。食え」

 真田は嫌な顔で高橋を睨み、スマホの電源を切ると、弁当にがっついた。

 呪いのサイトだなんて、そんなもの、本物のわけないじゃないか、と、自分に言い聞かせた。


 夕方。

 一日の仕事が無事終わると、着替えて帰り支度を済ませ、真田は高橋を捕まえて訊いた。

「店は『ナナコ』だったな? 場所はどの辺だ?」

 高橋は呆れた。

「なんだ、わざわざ行く気か?」

「バーカ」

 真田はあっけらかんと笑ってみせた。

「女の子のキスを思い出しに行くんだよ」

「この助平め」

 高橋もニヤニヤしながら場所を教えてくれた。

「ま、よろしくやってくれよ。じゃあな」

 笑いながら手を振って高橋は先に外の階段を降りていった。真田も笑いながら手を振り返し、高橋の姿が建物の陰に消えていくと、むっつりした顔になってゆっくり階段を降りだした。

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