生涯をかけてあなたを…
真和里
生涯をかけてあなたを…【随時更新中】
「やっぱり和田ちゃんはかわいいよな」
休み時間に友達がいきなり話を切り出す。そいつの目線の先を見ると廊下を通り過ぎて行く数人の女子の中に件の女子生徒がいた。
「お前はほんと可愛い子が好きだよな。まぁ和田ちゃんは可愛いけど」
もう一人が呆れたように言うが後半は笑いながら同意をする。それぐらい和田ちゃんこと
「俺らみたいな教室の隅っこにいるやつにも笑顔で接してくれるし、優しいしさ」
普段なら僕も彼らに交じって盛り上がるところだが、今回はテンションが上がらない。それどころか早くこの話が終わってほしいとすら思っている。
「そういえばお前、和田ちゃんと幼馴染だろ?」
さっきまで廊下を見て盛り上がっていた彼らの目線がこちらに向く。
事実なのだが、今この状況でそれには触れてほしくなかったから適当にこの話題を流そうとしたのに。
願ったことほどうまくいかないらしく興味の目が僕に向けられる。
「そうだよ」
渋々肯定したらこいつらの目は好奇の色を含んだものに変わる。
「いいなぁ、かわいい幼馴染とか男の夢じゃん」
「お前は漫画の読みすぎ」
そのまま話は僕のテンションとは反比例して勝手に盛り上がっていった。
僕にはかわいい幼馴染がいる。家が近く、家族ぐるみの付き合いでずっと一緒にいた。
僕は彼女が好きだ。いつから好きだったのかはもう覚えていない。そのぐらい前から好きだった。
笑うとかわいいところや拗ねるときに頬が膨れる仕草、僕なんかよりも小さい手も好きだ。昔は僕と同じぐらいの背丈だったのに、今では僕の肩より若干下ぐらいだから、話すときに上目遣いになってしまうところとかも。
もう全部がかわいくて、愛おしくて、好きなのだ。
学校からの帰り道、スラックスのポケットに入れていたスマホが鈍い音を立てて短く振動した。スマホを取り出してみると母からメッセージがきていた。
『
その文を見た瞬間、僕は走っていた。スマホを右手に握りしめて動きにくい制服にローファーという悪条件のなか、自分にできる精一杯の速さで駆けた。
玄関のドアを思いっきり開け放して、ローファーを脱ぎ捨てて家に上がった。途中足先をぶつけた。
玄関から一番近くの扉を開けると、そこにいた人は微笑みながら僕を見た。
「よう、
「兄さん」
整わない息で肩を弾ませたまま相手を呼んだ。
「おかえり、大輝君」
弘輝の隣にいる赤ちゃんを抱えて座っている奥さんの
紗月さんに抱えられてよだれを垂らしている赤ちゃんは二人の子供の
「今日は急にどうしたの?」
普段兄家族は
「今度の休みに同僚たちと遊びに行くことになったんだ。それでコイツを持って行って皆を驚かせようと思ってな」
「うっわ、懐かしい!」
兄さんが差し出したのは一眼レフのカメラだった。これは昔、兄さんがどこに行くときでも連れ添った懐かしのカメラだった。
兄さんは祖父からの影響で子供のころからカメラが好きだった。兄さんを説明するならカメラマニアという言葉が適切だと思う。そのため僕にもいくらかカメラの知識があった。
兄さんは昔から色々な場所に行っては写真を撮っていて、僕と優莉はよくその写真のモデルにさせられていた。そのため小さい頃の僕の写真は優莉と二人で写っているものが多かった。
「大輝もっと右!そっちじゃない」
「優莉ちゃんはもう少し大輝の方に寄って!」
「それじゃあいくよ。ハイチーズ」
兄さんがそう言ってシャッターを押すと、カメラからパッシャという音が聞こえる。
そんな兄さんから僕は中古だけどカメラをもらった。
型も古く、今では製造されていない。しかもデジタルカメラじゃないから現像しないと写真がどんな出来かも知ることができないカメラだ。でも僕はそれが嬉しかった。
兄さんにカメラを貰ったその時から僕は写る側ではなく、撮る側になった。僕がカメラを向けると優莉は毎回必ず笑ってポーズをとってくれる。
撮っているときも好きだけど、僕が一番好きなのは現像しているときだ。僕の思い出として時間をかけて残しているというあの感覚がとても好きだ。
こんなところを僕は自分自身で変態だと思う。でもこの時間の、もう訪れない時間の彼女を自分の物として閉じ込めるような感覚、、、これだけで幸せになってしまう。
しかし、僕がどれだけ彼女を想ったところでそれはただの一方通行の想い。僕が告白したところで彼女は絶対に振り向いてくれない。相手にすらされないだろう。彼女は僕をただの幼馴染としか思っていないのだから。いくら幼馴染と言っても友達が言っていたような漫画のあるある展開なんてないのだ。
だからあと少しだけ、、僕の気持ちが晴れて僕が君を飽きられたら、今まで撮った君の写真を全て燃やそう。
それまであと、、多分もう少しだから。それまでは幼馴染として、ただの友達として、
―—隣にいさせてほしいなぁ。
そう思いながらカメラを覗く。狭い四角の世界には優莉しかいない。微笑みポーズをとる彼女を狙ってシャッターを押す。
パシャリ。
「なぁ和田ちゃん彼氏できたって知ってるか」
友人から耳を疑いたくなるような情報を聞いたのは、よく晴れた日の休み時間のことだった。
「しかも
また耳を疑った。佐々山というのは学校中で人気のイケメンでサッカー部に所属した、まさに文武両道を体現したかのようなやつなのだ。しかし嘘だと思った矢先、納得をしてしまった。
優莉は僕だけじゃなく誰が見ても可愛い女の子なのだ。あいつも僕みたいな根暗じゃなくてカッコいいやつの方が好きになるよな。
—―諦めなきゃ。
勝ち目のない戦いに挑むほど僕も馬鹿ではなかった。ただこの感情だけが消えてくれればいい。ただそれだけだった。
大学を卒業して就活を見事勝ち抜いた僕は印刷会社に入社。社会人になって数年たったある5月の昼。
「大輝聞いた?」
「なにを」
母の手には白い封筒が握りしめられていた。
「優莉ちゃん今度結婚するらしいよ」
母の言葉に耳を疑った。優莉が結婚する⁈
封筒の中には招待状が家族全員分と短い手紙が綴られた便箋。
一ヶ月後、結婚式が行われた。僕は悩んだ末に披露宴に出席した。
会場に行くと知っている顔もたくさんあった。みんな綺麗に着飾っていて、美人だなと思う人も何人かいた。でもその考えは主役の登場で掻き消された。
優莉のウエディングドレス姿が一番綺麗だった。
二十七歳のある日のこと、家のポストに自分宛てに往復ハガキが届いた。差出人は高校の元クラスメイト、近日クラス同窓会を開催するということだった。場所は高校近くの居酒屋。僕は後日参加を示すハガキを送り返した。
ハガキが来てからおよそ三ヶ月後、その日がやってきた。開始十五分前に行くとすでに何人かがいた。
「青井久しぶり」と言われるたびに「久しぶり」と返して周った。
数年ぶりに会う人も多く、全然変わっていない奴もいればすごい変わっている奴もいて、懐かしさもあり、楽しかった。
開始一時間あたりで皆好きに移動し始めた。僕は座敷の隅で目の前の料理に手を付けながらそんな空間を見ていた。すると一人の人が隣に座る。
「大輝、久しぶり」
「お、おう。久しぶり」
寄ってきたのは優莉だった。そのことに僕は少なからず動揺した。
「最近どう。印刷業の会社に入ったって聞いたよ」
「まぁぼちぼち。そっちは?」
「私?私も普通かな。前までは仕事だけだったけど、今は家事もやらなきゃいけなくなって。でもおかげで仕事に余裕が持てるようになった気がするよ」
ズキ。身体の内側に鈍い音が響く。理由はわかっているのに気づいていないふりをして自分自身から隠している。
「そうなんだ。旦那さんとはどう?」
言った後から後悔した。
―—聞かなきゃいいのに、自分から傷を抉りにいってどうする。
「優しいよ。仕事が忙しいみたいで最近帰ってくるのが遅いんだよねぇ。でも疲れているはずなのになんだかんだ家事手伝ってくれるし、やっぱり優しいよ」
「いい人と結婚したね」
「私もそう思う」
優莉が笑いながら話しているから、本当に幸せなのがわかる。
優莉はグラスを持ち上げて傾ける。居酒屋特有の暗い照明に優莉の左手の一部が光を反射する。彼女の左手の薬指の付け根にある銀の指輪が僕に更なる追い打ちをかけた。
ズキ。また鈍い音が身体に響く。
手近にあったビールが目に入った、と同時にジョッキを手に取って一気に飲み干した。なんだか爽快な気分になり次々にお酒を注文し胃に流し込んだ。
一時間後、僕は極度の気持ち悪さに襲われた。今までもお酒で気持ち悪くなったことはあったけどそれらの比にならないぐらい気持ち悪い。それに頭がものすごく痛い。
もともとアルコールには強くなかったがこの場の空気や惨めな自分から逃げるために煽った結果だ。
「青井はどうしよう、一人で帰すのは怖いね」
ぼーっと朧になる意識のどこかで誰かが言った。
「優莉は今日実家に帰るんでしょ。青井と家近くなかったっけ?」
「うん。大輝は私が家まで送り届けるよ」
「ありがとう」
僕の名前を呼びながら肩を叩く優莉に誰かが感謝をした。
かろうじて一人で歩けるぐらいには回復した僕は、途中で優莉に助けられながらも店の外に出られた。
二人で居酒屋を出て、暗くなり始めた外を街灯に照らされながら歩いた。
外の風は冷たかったが逆にそれが気持ちよくて、少し歩くと気持ちの悪いのは薄れていき頭痛が少し残っただけになった。
僕たちは居酒屋での会話の続きを始めた。本当にくだらない雑談で、しょうもない話題に二人で盛り上がった。
「好きだよ」
「えっ」
優莉の顔を見ると、こちらを見つめる大きな瞳と目が合った。
僕の口から流れるようにスルりと出た言葉は二十年間で一度も発されることのなかったし、これからも出てこなかったはずの言葉だ。しかし最初はそれに気づけず優莉の顔見て心の声が実際に出てしまったことを知る。
でも否定する気力も残っていないし判断力さえ鈍っていて言い訳を考えることもできない。もう素直に全部を出そうと思った。
「好きだった——大好きだった、ずっと前から」
「知ってた」
「やっぱり?」
意外と冷静な返答に、思わず自嘲的な笑いしてしまう。
「大輝はわかりやすいから」
優莉は僕と違って真剣な顔をしている。今まで散々告白されて、それでも一人一人の告白を疎かにせずちゃんと返事をする。そこも優莉が人気な理由であった。
僕は知っている、ずっと見てきたから。
「そっか」
僕も笑いながら答える。
人生初の告白は甘酸っぱくて数年後に笑い合えてしまうような思い出も、なにも残してくれないらしい。人生の一大イベントはこんなあっけなく終わってしまうものだろうか。
「でも告白してくるとは思わなかった。大輝は意気地なしだから」
優莉の言葉が痛い。
「…僕ね、もう君以上に好きな人はできないと思う」
「大丈夫だよ、大輝なら。でもそんななら
「告ったところでフラれるだけだろ」
「うん」
即答され、もともと脈すらないことを改めて感じる。知っていたけどやっぱり辛い。
「そんな危険、僕にはおかせない」
「意気地なしだもんね」
「そう、意気地なしだから」
歩いていたら、いつの間にか二人の家路の分岐点に差し掛かっていた。
「ここまででいいよ。ありがとう」
「本当に大丈夫?」
「大丈夫。優莉こそ気を付けてね」
優莉は酔っている僕を心配して家まで付き添おうと思っているようだが僕はそれを止めた。
どちらかといえば僕が送るべきだと思った。思ってもできない僕はよく優莉の横に並びたいと思ったものだ。考えただけで浅はかだった。
「うん。それじゃまたね。おやすみ」
優莉が帰ろうと歩いているところを後ろから眺めていたが突然無意識に名前を呼ぶ。
「優莉!!」
「なに?」
驚いた優莉はこちらに顔を向ける。
「また、写真を撮らせて」
少しの沈黙が僕には数時間に感じた。
「うん」
いつものかわいらしい声が聞こえ安堵の気持ちになる。
少し歩くと家に着いた。無言で家に入り、誰にも会わずに二階の自分の部屋に飛び込んだ。ベッドに倒れ、泣いた。
未だに写真は燃やせていない。
翌日。僕は母に話があると言った。
家事の最中だった母は、なに改まってと笑いながら返したが僕のただならぬ気配に気づいて家事を中断させて僕の前に立った。
「どうしたの、顔色がよくないよ。それに目元が腫れてる」
母は手を伸ばして僕の目の下をなぞる。
「体調は大丈夫。それより聞いてほしいことがあるんだ」
母の手首を掴んで顔から離させる。
「僕、多分結婚することはないと思う。ごめんね」
「どうしたの。まだ若いのに、、、」
母は僕の顔を見て言葉を失った。それは息子が惨めだったとかそういう理由じゃなくて、ただ静かに涙を流した息子の表情がなんとも言わせなかったのだ。
母は無言で僕を抱きしめた。身長は僕の方が二十センチ以上大きかったが、母に包まれていると感じた。この感覚は中学生の時に風邪をひいて以来だった。
僕はそのまま頭を母の肩に預けた。
「謝ることじゃないよ」
優しい声が耳元でした。母は知っていたのだろう、僕が優莉に長年恋をしていたことを。優莉を愛していたことを。
一晩、それこそ目元を腫らすほど泣いたのにまだ涙は流れるものなのかと思った。
自分でも何で泣いてるのかわからなかった。いまだ優莉に残る未練か。家族への裏切りに対する謝罪の涙か。
理由なんか考えても駄目だった。目は潤んで視界は歪み、目の前の母の姿ですらちゃんと視界に映すことができなかった。
泣き続ける
あれからおよそ七十年が経った。青井大輝は九十三歳でその生涯に幕を下ろした。
寿命で命がつき、自宅の寝室にて眠るように亡くなっていたのを親族が発見したのだった。
彼は生涯一度も婚姻届を出すために役所を訪れることはなかった。
周りからいい相手はいないのかと言われるたびに、彼は『僕が好きなのは一人だけだから』と綺麗な女性が赤ちゃんを抱えながら、こちらに笑いかけている写真を眺めて言うのだった。
叶わなくてもいい。ただ一人を好きでい続けた彼は周りから見たら不幸せだったかもしれない。しかし、彼にとっては
後悔など微塵もない。他人になんと言われようが、彼は幸せだったのだ。
—―生涯をかけてあなたを愛します。——
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