第7話 告白の時

 元号が変わった。この、何となく記念すべき時に、絶対告白すると、僕は決めていた。本当は令和の初日に決行しようと思ってた。それなのにあの人は、バイトが休みだった。毎週水曜日は確実に休みだった事を忘れていた。10連休とは関係なく、いつも通りの出勤をしていたから、いつも通り、水曜日に休んだだけ。それだけの事。


 出鼻を挫かれた気になって、じゃあ次の日!とはいかなかった……

 これが、僕のダメな所だ。何をやってもトロくて、大学2年にもなったってのに、彼女が出来た事がない。大学生になれば、ちょっとはそういう事があって、充実した学生生活が送れたりするんじゃないか、なんて淡い期待は、単なる妄想でしかなかった。環境が変化したくらいじゃ、僕自身を変える事なんか出来なくて、当然トロいままで……


 だって、仕方なかったんだ。今まで好きになった人すらいなかった。いや、幼稚園の頃、僕にちょっかいを出してきて、いつも僕を泣かせるような男勝りな子が、実は好きだった。確か、志乃ちゃん。

 でも小学校が別々になり、それからは、僕の心を動かすような人がいなかっただけで、別に、だから、今まで彼女がいなかったのは、そういうワケだから、仕方がない事だったんだ。


 そしたらようやく、目の前に現れた理想の人。正直初めは男か女か分からなくて、分からないから気になって……。短髪で、サイドとバックはツーブロック気味に刈り上げたヘアースタイルに、僕と年齢は変わらないように感じるけど、化粧はしてないし、僕なんかよりよっぽどガッチリした体型で、胸なのか胸筋なのか判別しかねる上半身。女の人にそんな事を言ったら張り倒されそうだけど。とにかく男の僕から見ても格好いい人だった。

 だからって、男が好きなワケじゃない。女の子が好きなんだけど、この人が女だったら……って、ずっと考えてしまっていた。

 何となく、志乃ちゃんを思いだしてしまう。


 一人暮らしをしているアパート近くのコンビニだったから、あの人を見かけてからというもの、ほぼ毎日のように通うようにした。

 半年以上経つだろうか。ストーカー張りにシフトを把握するまでに至り、沸き立つオメデタムードに便乗する予定だった。しかし僕の頭の中の方が沸き立ち過ぎて、5月1日が水曜日だという事を、すっかり忘れ去っていた。

 人生初の、告白の時だ。沸き立たないはずがない。彼女が出来る瞬間かもしれないんだ。そうしたら……もしもそうなったら………!!!



 突然鼻から出てきた生温かい液体を右手の甲で拭いとる。そこに付いたのは透明なものではなく、いわゆる鼻血というやつだった。ベッドの上に置かれたティッシュケースを抱え、鼻栓をする。何度か鼻栓を取り替えゴミ箱に投げ入れる。自分のだらしない妄想を、丸めては捨て、丸めては捨て、と繰り返しなからスマホのカレンダーを確認する。もう、5日もあのコンビニに行けてない。敢えて避けて、トータル6日もあの人の顔を見ていない。

 

 見たいな。会いたい……


 一度は告白すると決めたんだ。行かなきゃいけない。行かなきゃ何も始まらない。あの人が女だと、確証を持ったのは、喉仏がないって事だけで、でもたぶんそれで充分だ。低音ボイスではあるけど、間違いないはずだ。

 そんな彼女は、もしかして恋愛対象が男じゃないかもしれない。


 そんなこと、考えていても分かる事じゃない。彼女がどうとか、その前に、僕自身の気持ちをぶつけてみたい……。



 見つめるスマホのカレンダーの、右上に表示された時刻が18:45となった。後15分でバイトが終わってしまう。最後の鼻栓をゴミ箱に……敢えて距離をとり、山なりに投げ入れた。


 “入った!よしっ!”ゴミくず程度の気合いが入る。


 ゴールデンウィークも10連休だと言うのに、バイト以外行く所もなくゲームばかりしていた自分と決別し、再び意を決しアパートを出てコンビニへと向かう。


 高鳴る心臓は、コンビニに近付くにつれ音量を上げていく。近くに人がいたら聞こえるんじゃないかとさえ思えた。心臓が口から飛び出すどころか、肋骨を突き破り、薄っぺらい胸板を突き抜けて出てくるほどの勢いで踊っている。

 足は震えてまともに歩けているのか、自分では分からないほどで、手汗が尋常じゃないほど吹き出し、多分手はふやけている。何度も何度もズボンで手汗を拭うが、乾いてるヒマはない。どういう訳でなのか、辛うじて前に進めている。


 どうしようどうしようどうしよう。そればかりが頭の中で渦巻いている。“好きです。付き合って下さい”たったこれだけの事を伝えるのに、こんなにも体力が消耗するもんだとは、思ってもいなかった。

 歩いて3分で着くコンビニが、こんなにも遠く感じた事は無い。


 不審者に思われたりしないだろうか。いや常連なんだから大丈夫だろう。見るからにただの冴えない学生だ。

 店の入り口に辿り着き、入店前に最大の深呼吸で、鼻息の荒さを落ち着かせる。湿った手で髪型をなんとなく整え店に入る。



 ……いた!



 一週間ぶりの彼女。いつもと変わらない。口角だけをほんの少し上げた営業スマイルで“いらっしゃいませー”と。聞き慣れた心地いい低音ボイス。さっきまで激しく踊り狂っていた心臓は、いきなり鷲掴みされたように、ギュウッと縮こまる。これは、もしや、世に言うキュンとするってやつか……。キュンって言うよりギュンって感じだが、とにかくこんな感覚は初めてで、それを楽しめるほどの余裕なんかある筈がなかった。

 商品を眺めるふりをしながら、彼女の動きをチラ見する。

 もうすぐ、終わる時間。適当に選んだ弁当を手に取りレジへ向かう。彼女が待つレジへ。心臓は更に強く掴まれる。痛い。このまま握り潰されて止まるかもしれない。ってくらい痛い。


 と、彼女が待つレジへ行ったはずが、直前で交代となり、代わりにくたびれ過ぎたオジサンがレジに立つ。

 酷い……。力尽きて、レジのカウンターに弁当を落とすように置く。


 「温めますか」

 「あ……はい。…ねがいしま……」


 まともに声も出ない。いや、でも今がチャンスか。帰りがけの彼女を捕まえるんだ!スマホで会計を済ます。早く、早く弁当!何で温めてもらったりなんかしたんだろ。もう!


 「おはしは…」

 「いい、いい。いらない」


 オジサンの言葉を途中で遮りながら答え、弁当が入れられた袋を奪うように掴み取り店を出る。


 彼女がいつも自転車を置いている自転車置き場を確認すると、鍵を外そうとしてる姿が見えた。



 「あ、あの!」


 勢いだけで、発せられた言葉。次の言葉なんか考えちゃいなかった。いや、伝えるべき言葉は、もう、決まっているんだ。

 彼女が気付き、振り返る。


 「あの。あの……あっと、えっと……」


 次に出す言葉を吐き出そうとしながら、彼女に近付いていく。



 「わたし、ですか?」


 首を上下に激しく振り、そうであることを無言で伝える。


 彼女のすぐ側まで近付くが、しっかりとは顔を見る事も出来ない。握り潰されそうだった心臓は、オジサンの出現により解放されたが、再び踊り始めていた。全身から汗が吹き出し3キロくらいは走った後のようで、息が上がって言葉が上手く出てこない。


 挙動不審な男を前に、僕よりよっぽど頼もしい感じの彼女の方から声をかけてくれた。


 「あの。久しぶり?ですね。わたしに……何か用ですか?」


 僕の事を覚えていてくれた!!久しぶりと言ってもたかだか1週間来ていない僕を、気にかけてくれていた!?


 嬉しさは僕に勇気を授けてくれた。


 「あの!ぼ、ぼ……僕と、付き合ってもらえませんか。す、好きです!」

 

 言えたぞ。言ってやったぞ。5月6日、19:00ちょっと過ぎか。記念日だ。人生初の告白記念日だ!!



 「えっ?ちょっ、ちょっと待っ、あ。ちょっと、こっちに。」


 彼女は意外にも、慌てたようにそう言うと、コンビニ横に建てられている倉庫脇に僕を誘い込んだ。コンビニと倉庫の広くもない隙間で、店の駐車場に入ってくる車のヘッドライトが時折光を届けてくれる程度の薄暗い場所。幸い夜が来るのが遅くなった時期で、まだ真っ暗闇になる事を防いでくれていた。


 しかし、ふと、カツアゲされた中学時代のことを思い出した。え?まさか。舞い上がった気持ちが一転、答えを聞く前にドン底に突き落とされた気分に変わる。


 軽い恐怖心を抱きつつ、彼女と対面する。近い。近すぎる。二人の人間が対面するには、今の僕たちの関係性では余りにも近すぎると感じる。倉庫の壁を背に、震える膝でやっとこ立っていられる状態で、彼女の返事を待っていた。


 が。何も話してくれない。それどころか俯いたまま指先がモジモジしている。え?そっち?まさかのそっち?ウソでしょ……どうしよう。


 あぁ!ごめんないごめんなさい。まさか、まさか、そんなギャップ萌え♡なんて期待は微塵もしてなくて。何ならカツアゲされた方がよっぽど良かった。だからって今さら、ごめんなさい間違えましたなんて、言えるわけない。

 どうか思いっきり僕を振ってくれますように!!


 「っと、取れたぁ。はぁー。」


 彼女が呟いたと同時に僕を真正面から見つめると……


 “ドンッ!”


 と、僕の左頬を彼女の右手がかすめて通りすぎ倉庫の壁を思いきりどついた。その手からは細いチェーンに繋がれた自転車の鍵と思われるものと、服から引き離されたと思われるボタンがぶらさがっていた。


 「ヒッィ!」


 突然の事に、驚きと恐怖と、不思議と沸き上がるゾクゾクとした高揚感が、マヌケな言葉を発動させた。

 彼女の腕一本分の距離の先に、彼女の顔がある。近すぎてどうしたらいいのか分からないのに、視線を外す事も出来ずに、蛇に睨まれたカエル状態で固まる僕。何が起こっているのかも分からない。


 「ねぇ?わたし、こんなんだよ?いいの?」


 あ……モジ子、じゃなかった……!じゃあ、さっきまでのモジモジは“コレ”か。彼女の右手からぶら下がるボタンを視界に捕らえ思考を整理する。

 “こんなんだよ?いいの?”そりゃあ、いいに決まってる。こんなんが、いいんだ!どうかこのまま、お金じゃなくて、唇を奪って下さい。お願いします!

 思わず顔だけ前のめりになりながら


 「もちろんです!こんなんがっ、いいんですっ!」


 よく考えたらちょっと失礼とも思える回答を述べた直後、また鼻から生温かいものが流れ出るのを感じた。鼻血だと、直ぐに理解した。右手の甲で拭うが、簡単には止まらない。流れ出る鼻血を見た彼女は笑いだした。


 「えぇ?まじ?これじゃ、わたしが殴ったみたいじゃ……」


 言い終わる前に、店の駐車場に入ってきた車のヘッドライトに照らされた僕たちは確かに、きっと誰が見てもそんな風にしか見えなかっただろう。

 

 「あぁ。ちょっと待ってな。」


 そう言うと、僕から離れて行き、コンビニへと向かう彼女。鼻血の事なんかより、気持ちのアップダウンに疲れて呆然としていると、ティッシュの箱を店から持ち出してきた彼女が戻って来た。


 弁当が入った袋をいつの間にか両手でがっちり持っていた僕に、箱から3枚ほどティッシュを抜き出し、渡してくれた。


 「大丈夫?」

 「あ。はい。全然、大丈夫です。すいません、ありがとうございます。」

 「さっきの、あれ、本気?」

 「もちろんです!本気です!」


 鼻から流れ出る血を懸命に拭いながら答える。その後も、何度かティッシュを貰い、弁当の入った袋へ鼻血ティッシュを押し込んでいく。弁当……。


 「きみの、名前も知らないのに、いきなりは付き合えないけど」


 そりゃそうだ。そりゃそうだ。自己紹介もしてなかった。


 「僕は、虎太郎。虎(とら)に太郎。鈴木虎太郎、19歳。童貞です!」

 「ぶぁはっ。はははっ。何それ。独身です!みたいに言うなよ」


 勢いでつい、余計な事まで言ってしまった。だけど、初めて彼女が笑っているのを見る事が出来た。営業スマイルじゃない、目元まで緩んだ笑い。……これはもう、カッコ可愛いとでも言うべきか。是非とも抱き締められたい。


 「あの、アダチさん、ですよね?」


 彼女の名前は制服の名札で確認済みだ。名字だけは。


 「下の名前、教えて貰えますか?」


 やや沈黙の後、ようやく答えた彼女。


 「いや、アダチでいいよ」

 「え?何で。知りたいですよ。教えて下さい」

 「アダチでいいから」

 「……そうですか。まぁ、アダチさんがそう言うなら……」

 「アッサリかよ」

 「いや、コッテリですよ!」

 「何がだよ」

 「アダチさんへの愛」

 「ははっ。愛……って。大袈裟じゃね?」

 「好きですから。名前なんて、無くったって、好きですから!」


 どうやら、満タンになってたアダチさんへの気持ちを一度解放してしまったら、思いを放出するのが止まらなくなってしまったようだ。


 「それはそれで、何か複雑だけども」

 「じゃ、教えて下さい!!」

 

 また沈黙となり……最後のティッシュを固く捻って鼻に押し込みながら回答を待つ。


 「……りあ」


 「え?え?なんて?」


 「っだからっ、しっかり聞いとけや!ま・り・あ、だよ!」


 吐き捨てるよようにそう言って、左に顔を向けたのは照れてる……?


 コンビニ客の車のテールランプが光り、僕から逸らしたはずのアダチさんの顔を真っ赤に照らし出した。

 真っ赤な顔のアダチさん。まりあ、さん。


 キュゥゥゥンと、何かが縮こまる。


 「まりあさん!!大好きですっ!」


 「うっせーな!なまえで呼ばなくていいわ!」


 「大好きですっ!だ、抱き締めて下さい!!」


 「はぁ?」


 「あ、間違えました。付き合って下さい!」


 「声がでけーよ。分かったから。分かったけど、まずは友達な」




 「やったぁ!!!!!」





 弁当は、冷えきっちゃったけど、心は熱々だから、いいよね?


 僕だけの、まりあ様♡

 

 

 


 






 


  

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