序章 九話 「不可解」
リード特命大使の私邸から東の方向に八百メートルほど、山を下った場所にはゲネルバ陸軍の対策本部が置かれていた。ゲネルバ陸軍の対策本部と言っても、その指揮系統は完全にCIAに押さえられているのだが……。
その対策本部に敷設された数多くのテントの一つにCIAが指揮所として使用しているものがあった。部下のCIAエージェント達が熱帯の空気に汗を流しながら、様々な電子機器やモニター類を前に各々の作業に当たっている中、最高責任者のコーディとゲネルバ陸軍指揮官のフェルナンド中佐はお互いにしかめっ面を付き合わせ、テントを内側から突き破るのではないかというほどの怒声を張り上げて、激論を繰り広げていた。
「だから、あんたの部隊が必要になったら、こちらから要請するとさっきから言っているだろ!中佐!」
「わしらが貴様ら、CIAの命令を聞かなくてはならん理由などない!ゲネルバは独立国だ!地雷の敷設地図さえ渡してくれれば、百人でも二百人でも突入させて片をつけてやる!」
正面から部隊が突入できない以上、側面から接近するしか策はなく、それをするには私邸周囲の地雷の敷設位置を把握する必要があるので、フェルナンドは地雷の位置を明示した地図を渡すようにコーディに先程から迫っていたのだが、コーディの方は機密書類だとして、頑なにそれを拒否し続けているのだった。
事件発生時から、もう数時間もの間、二人の指揮官は衝突し続けていて、作業にあたるエージェントは蒸し暑い暑さに加えて、二人の罵り合いに辟易していた。
「自治などと……、言葉だけは上等によく使う。我々の支援がなければ、反乱分子の活動も止められないというのに……」
「そうなるようにしたのは十九世紀のお宅の国の搾取だ!この国の弱体化も共産主義者どもの台頭もな!」
「原住民相手では話にならんな……」
「何だと!」
コーディの悪態にフェルナンドが激昂した瞬間、モニターと向き合っていたエージェントの一人がコーディの方を振り返って叫んだ。
「チーフ!動きがあります!」
先程まで怒鳴り合っていた二人は今までの激論を全て忘れたかのように、エージェントの座席の後ろに並んで立つと、二人して目の前のモニターに食い入った。
突然の事態だったため、町で手に入ったブラウン管テレビの画面を流用しているモニターに映るのは、私邸正面のゲートを撮影するよう、道の脇に仕掛けられた監視カメラからの映像だった。暗視装置の補正のかかった、荒い暗緑色の映像の端には、破壊された私邸のゲートが映り、もう片方の端には何かがうごめいているのが見えた。
「人か……?」
「恐らく……、ゲネルバ陸軍の兵士かと思われます…。」
エージェントの答えに再び怒りを立ち昇らせたコーディは隣のフェルナンドを睨んだ。
「あんた、勝手に……」
「違う!わしは命令など出しとらん……」
コーディは怒りをぶつけたが、目の前のゲネルバ人中佐の動揺ぶりから彼の言葉は嘘ではない、と瞬時に察した。
「ともかく、すぐに戻らせるんだ!」
叫んだコーディの命令に、フェルナンド中佐は事件発生から初めて素直に従った。テントから出ていく中佐の後ろ姿を見送ったコーディは再び、視線をモニターに向けた。暴動鎮圧用のライオットシールドのようなものを構えて行軍する人影の集団は数十人はいるか…、ゆっくりとだが確実にゲートに向かって前進していた。
「何をするつもりだ……」
そうコーディが呻いた瞬間、今度は現場周辺に身を潜める偵察班との無線担当だったエージェントが、彼の方を向いて叫んだ。
「私邸内部より銃声らしき破裂音!」
「何だと!!」
張り上げた怒声に、テントの中の全員がコーディの方を向いた。だが、彼にはそんなことに気にする余裕はなかった。
SEALsは明朝まで到着不可能。ゲネルバには秘密工作を可能な部隊はない。そもそも、この場の最高責任者である自分を通さずに作戦が開始されるはずはなかった。では一体、誰が……。
「誰が操っている。この戦場を……」
コーディは呆然としたまま、呟いた。
☆
その頃、対策本部から数キロほど離れた首都カプロリウムの中心街にある高層ホテルの一室では、特殊作戦用の無線機や機材を前に、"ゴースト"の指揮分隊の隊員達、四人が作戦遂行のための作業を進めていた。
「アルファ分隊、ブラボー分隊、合流しました。アルファは爆弾を設置、ブラボーは応接間に突入し、標的を無力化します」
「ゲネルバ陸軍第十三歩兵師団所属B小隊の五十人、ゲート前三十メートルに到着」
背後で四人の部下達が報告をあげるのを聞きながら、ダークグレーのスーツに身を包んだ背の高い白人の男がカーテンを開いた窓の前に立ち、北東の山腹に光る対策本部の光とその向こうにあるはずの大使私邸を、腕を組んで見つめていた。
「賽は投げられた。もう後に戻ることはできない……。たとえ、目指す場所にたどり着くまでにどれ程の犠牲があっても……。誰にも邪魔はさせない……」
その男、エルヴィン・メイナードはこれから更なる悲劇が展開され、数多くの命が失われるであろう山の頂上を見つめながら呟いた。
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