二十八粒目 デート

 長瀬香はベッドに転がり、天井を見上げながらひとり考える。


 ――さっき、わたしは過去のカオルくんと視界を共有した。ううん、それだけじゃない。あの時、わたしはカオルくんだった。正確に言えば、わたしの自我がカオルくんの身体を動かしていた。あの日、カオルくんを鬼子母神堂まで連れて行ったのはわたしだった。


 ……結論。わたしは過去に戻れる。まだ生きているカオルくんに接触できる。過去を変えることができる。


 カオルくんを、生き返らせることだってできる。


 でも、そんなことをしたらどうなるの? 怒られるのが嫌だからって、ほんのちょっと未来を変えただけで、わたしの両親はあっけなく死んだ。一度死んだ人を生き返らせるような真似をしたら、どんな代償を払わなきゃいけないの?


 ……わかってる。迷ってたって仕方がない。どんな犠牲を払っても、たとえあなた以外の世界中の人が死んだって、わたしはあなたを助ける。


 だってカオルくんは、わたしにとってたったひとりの〝道連れ〟なんだから。


「……行くよ、カオルくん」


 ぽつりと呟いた香はアポロチョコを三粒頬張る。


 強烈な目眩が、時間の逆転を彼女に伝えた。





 次に気づいた時、香は『しまうま』の店内にいた。目の前には自分の顔。コットンの白いワンピースに黒のサンダル、カンカン帽。「待ってました!」なんて浮かれた調子で拍手をして、キッチンの奥から出てきたマスター室藤を迎えているところを見て、馨が死んだその日であることを彼女は理解した。


 それと同時に押し寄せる焦りの波。馨の死を避けるために、とにかくなにか行動せよと、熱い血液が全身を巡って彼女を急かす。


 ――なにか! なにかやんないと!


 慌てふためく香の視界に再び映る自分自身の姿。「もうこれしかない」と、心中で覚悟を決めた彼女は深く息を吸うと――。


「デート!」


 と、腹の底から力一杯に叫んだ。店内に響いたのは自分ではなく〝カオルくん〟の声。当然、困惑する過去の香。しかし一度漕ぎ出した以上、もう戻れぬと思えば、今の香に怖いものなどなかった。


「デートして! カオルくんと!」

「……な、なに言ってるの、カオルくん。大丈夫? 頭打った?」

「説明する時間も無い! けど、信じて! とにかく、今すぐこのカオルくんをデートに連れてって! じゃないと後悔することになるよ!」

「い、いやいや。意味わかんないって。落ち着いてよ、カオルくん」


 心配そうな視線を向ける過去の自分。このまま話していても埒が明かないと判断した香は、再び息を大きく吸い込み、自爆覚悟の〝とっておき〟を繰り出す。


「あなたの初恋の相手は幼稚園の頃に同じクラスだったマサキくん! はじめてのキスは小学二年生の夏休みで、一組のリュウくんと! おねしょを最後にしたのは――」

「ちょ――ちょっ! わかった! もうわかったから! というか、なんでカオルくんがそんなこと知ってるの?!」


 食べごろの苺みたいに顔中真っ赤にした過去の香は、頭を包むように両手で髪をかき上げた。


「……よくわかんないけど、デートね。あなたを、デートに誘えばいいんだね?」

「嫌がっても、何しても、無理やり引っ張っていって! 今すぐ! 絶対だからね!」


 香は過去の自分の手を取ってぎゅっと握る。途端に意識が薄れてくる。残された時間は少ないらしい。


 もう一度「お願いだよ!」と強く叫んだ次の瞬間――彼女は、自分の部屋に戻っていた。すぐさま携帯を掴んで馨へ通話する。しかし電話は繋がらない。気づいてないだけだと無理やり切り替え、スニーカーのかかとを踏んづけたまま家を飛び出す。いつの間にか外は大雨。傘を取りに戻るという選択肢は彼女にはなかった。


 真上に広がる雷雲が不機嫌そうな唸りを絶えず上げている。痛いくらいに大きな雨粒が肌に弾ける。切れる息、そこを突きかけた体力。焦燥感のみを動力源に、香の足は動き続けた。


 やがて辿り着いた喫茶店『しまうま』。勢いよく扉を開けて店内を見回したが、馨の姿は見当たらない。濡れた髪をかき上げながら「カオルくん!」と叫ぶと、店の奥から出てきたのはマスター室藤。困惑した視線を香へと向けている。


 ――失敗。


 絶望的なふた文字が香の頭に過ぎったその瞬間、響く真鍮製のベルの音。それに続けて背後から、「どうしたんですか?」と待ち望んでいた声が聞こえた。


 振り返る前から香は頬に涙を流し、振り返った後は恥も忘れてわんわん泣いた。


「あなたって、もしかして幽霊とかだったりしないよね?」と涙に震える声で訊ねながら濡れた身体を押し付けてくる長瀬香に、窪塚馨はただただうろたえ、それと同時に血液を沸騰させた。

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