破
始発に乗って向かうのは田舎も田舎、ど田舎の祖父母の家だ。
少し高いけど新幹線に乗った。よっぽど気を張っていたんだろうか、妹は僕の肩に頭を預けて眠っている。
「はぁ……」
僕の口からため息が漏れる。正直なところ、もうどうしたらいいのかわからない。
まず家にはいられない。それは確実だ。いくら肉親のものとは言え、死体と暮らして精神が無事でいられる保証はない。
どのくらいで異変に気づくだろうか? 宅配便とかは頼んでなかったから郵便物か。大体何日分でポストはいっぱいになるだろう? あるいは外出が一切ないことに気づく隣人もいるかもしれない。鍵は妹が閉めていたけど、いずれは通報され、両親の死は明るみになるだろう。
このまま祖父母宅に向かうのが最善策とは限らない。むしろ悪手な気さえする。日本の警察は優秀だ……すぐに僕らの足取りを追い、祖父母の家に向かったことに気づくだろう。
つまり僕らに残された猶予は両親の死がバレるまでの時間。およそ一週間……下手したらもっと短いかもしれない。その間にどこか遠くへ、絶対に見つからない場所に逃げないといけない。
そんな場所なんてあるんだろうか? 私有地、それも山ならもしかしたらチャンスがあるかもしれない。でも僕も妹もキャンプの経験なんて皆無だ。キャンプより過酷な野宿なんて耐えられる訳がない。
ちらりと隣の妹を見る。綺麗で純粋な寝顔だ。昨夜とは違う、妹の本来の顔。
抱いていた怯えも恐れもいつの間にか消えていた。妹を守ってやれるのはもう僕しかいないんだ、どうしたら妹を逃がせるか? 考えることはそればかりだった。
自分が間違ったことを考えているのはわかってる。間違った決断をして、間違った方向へ進んでいるのも。
ただ、もう僕一人じゃどうしようもないところまで来てしまったんだ。
閉めていたブラインドを上げる。いつの間にか車窓から見える景色は変わっていた。無機質な灰色から緑や黄色、淡い青へ。広がるヒマワリ畑は祖父母の家が近いことを示していた。
そう言えば毎年この季節は家族全員でここに来ていたっけ。みんなしてヒマワリ畑に目を輝かして。父さんは僕ら三人を優しげに見守ってたんだ。覚えてる。覚えてるよ……。
昨夜の行為は決して気持ちの良いものじゃなかった。半年くらい前からって言ってたっけ……わかんないよ、父さん。一体父さんは何を求めてたんだ? 漫画や動画みたいな理想を追ってたのか? 本当に自分の娘じゃないといけなかったのか? 何で母さんを殺したんだ? 結婚するほど愛していたのに、半年間殺さなかったのに……何で急に。
死体は語る、なんて言うけどそれはその人が死体の声を『聞く』プロだからだ。僕ら素人には『死んだ』ってことしかわからない。理由も、死因も、それに至るまでの感情の動きも、何もかもわからない。悲しい現実だけが残る。
なぁ、父さん、母さん。どうして死んだんだよ。もっと話したいことがあったのにさ。もっと行きたいとこがあったのにさ。もっと一緒に暮らしたかったのに。
「何でだよ……何で、何でだよ……」
「お兄ちゃん……?」
いつの間にか流れていた涙は、同じくいつの間にか起きていた妹に拭われた。
「ごめんね……私のせいで」
「いや、お前のせいじゃないよ……悪いのは父さんだ。いいからまだ眠ってろ。疲れてるだろ……眠れるうちに眠っておけ」
まくし立てるようにそう言うと、妹は大人しく従った。僕も眠ろう……眠れるうちに眠らないと。これから何が起きるか、わからないんだから。
そう考える僕の頭は、ガンガンに冴えていた。
+++
目的の駅に着いたので妹を揺すり起こす。起きないので仕方なく背負おうと思ったができなかったのでお姫様抱っこにする。妹のリュックは自分の右手にかけた。
想像以上の重さにフラフラしながら新幹線を降りる。これから路線バスに乗って祖父母の家に向かう……はずだったのだが。
駅の改札口で、祖父母が待っていた。
妹が連絡したんだろうか? いや、妹はまだスマホを買ってもらってない。父さんか母さんかは知らないけど、うちは高校生になるまではスマホを買ってもらえないんだ。妹は今中学三年。来年の春、手にする予定だったはず。
険しい表情の祖父が口を開く。
「とりあえず車に乗れぃ。話はそれから……」
「もうあんた。怖がってるじゃない! 悪い様にはしないからお乗り。おばあちゃん家に来るつもりだったんだろう?」
怪しさ的にはどっちもどっちだと思うけど、ニコニコ笑う祖母も罰の悪そうな祖父も、騙そうとしている様には見えない。妹が起きてなくてよかった。もしかしたら彼らを疑い、どこか別の場所に逃げようと言い出すかもしれなかったから。
いざとなったら僕が体を張ってでも逃がせばいい。覚悟を決めて乗り込んだ車内は、思ったより──少なくとも僕にとっては──落ち着ける場所だった。
ある程度の経緯を説明する。祖父も祖母も、さほど驚いた様子はなかった。それどころか納得までしていた。
「だろうな。あの男はそういう奴だとは思ってはいたが……まさか娘にまで手を出すとは」
「あんたはそんなことないって言ってたでしょ! すーぐ嘘つくんだから。それにしても大変だったでしょう? こんな遠くまで……」
「大変じゃないです。
祖父母を騙すのは気が引けたが、僕は嘘をついた。
「大丈夫よ。おばあちゃん家で暮らせばいいわ。──ちゃんも、後で来なさいね。四人で一緒に暮らしましょう」
──……そう呼ばれたのも随分前に感じる。実際は1日と経っていないはずなのに。最後はゲーセンの時か……思い返したくもない。あの時ああしていれば、こうしていれば。考えだすときりがない。無理やり頭から追い出して、僕はせいぜい元気に聞こえる様に返事をした。
「はい。必ず戻ります」
その夜、両親の死体が見つかったと報道があった。
そして僕は、殺人犯として全国で指名手配されることとなった。
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