第230話 僕だけど

 トイレから出てきたミランダさんが理不尽に僕を責めてくる。


「ったく、テメェが笑わせるせいで、上も下もゲロっちまったじゃねぇか」


 なんて汚い大人なのだろうか。


「それは僕のせいじゃないでしょ……」

「しかし、なかなか面白いイベントだったな。酒のツマミにぴったりだったぜ」

「見てたんですか?」

「ああ、この窓からな」


 ミランダさんの部屋の窓は、ちょうど武闘会の会場を見下ろせる位置にあった。

 だけどかなり距離があるので、普通の視力では見えないはずだ。


「はっ、そこは黄昏の賢者と言われたほどだぜ。視力を強化することくらい容易い」


 その二つ名が本当なのか、僕は大いに疑っていた。

 仮に本当だとしたら、世の中の大半の人が賢者と呼ばれてもいいと思う。


 そんな彼女の部屋は、ミリアのお陰で綺麗に掃除されていた。

 飲んだばかりの酒瓶は転がっているけれど。


「ところで、ミリアからどんなお仕事を」

「さーて、出すもん出したら眠くなったし、ひと眠りするか~」


 ……相変わらずこの話をする気はないらしい。



   ◇ ◇ ◇



 訓練場に死屍累々といった有様で兵士たちが転がっていた。


「ぜえぜえ……」

「身体が……動かない……」

「も、もう限界だ……」


 苦しそうに呻く彼らは、まさに今、訓練の真っ最中だった。

 しかしよほどハードだったらしく、大半の兵たちが起き上がることすらできないでいる。


「ふん、今日のところはここまでにしておいてやるか」


 そう指導官が告げると、誰もがホッと安堵の息を吐いた。


 せいぜい十代半ばの少年ながら、鬼の指導官として知られる彼は、国王の勅命により現在この王国軍の強化を任されていた。

 そんな彼に、副官の女性兵が声をかけてくる。


「ラウル様、お疲れ様です」

「マリンか」

「いかがですか、王国軍の兵士たちは?」

「ふん、全然だな。あの武闘会を見た直後だと、なおさらそう思えてしまう」


 お陰で普段よりも指導に熱が入ってしまったと、指導官の少年――ラウルは苦笑した。


「もっとも、この訓練場のお陰か、当初よりは随分とマシになったがな」

「……はい。それにしても不思議です。ここで訓練するだけで、上達が早くなるなんて……」

「ルークの奴がギフトで作った施設だからな」


 ただ建物を一瞬で作り上げてしまうだけではない。

 その施設一つ一つに、謎の効力が備わっているのだ。


「そうだ。兵士の宿舎も奴に作り替えてもらうか。そうすれば疲労が回復しやすくなって、より訓練に集中できるようになるかもしれねぇな」


 そうと思い立ったら、ラウルは早速、王宮へと足を運んだ。

 そこにはルークの影武者が常駐しているのだ。


 しかも影武者だというのに、ラウルよりもずっと立派な部屋を与えられている。


「……そもそも意思を持った影武者を量産できるなんて、出鱈目すぎるだろ」


 もしルークが大量の影武者たちと共に反乱を起こしたとしたら、簡単にこの国など乗っ取ってしまえるに違いない。

 正直って、彼らの父なんかよりもよっぽど恐怖だ。


「ま、奴にそんな気はねぇだろうけどよ」


 そんなことを考えながら、影武者がいるだろう部屋のドアを開けた。


「おい、影武者。ちょっと頼みたいことがあるんだが……」


 だが部屋に入った瞬間、ラウルは固まってしまう。

 なぜならそこに、見たことのない美少女がいたためだ。


「……?」


 ここ、影武者の部屋だったよな? と、思わず外に出て確認し直してしまうが、どう考えても間違いない。


 となると、新しいメイドだろうか。

 それにしては恰好があまりにも可愛らしいが……。


「ええと……影武者はどこにいったんだ?」


 彼女の素性についてはひとまず置いておいて、ともかく影武者の居場所を聞いてみることにした。


 けれど返ってきたのは、ラウルの予想の斜め上の答えで。


「……僕だけど?」

「は?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る