第17話 助けるために必要なのは
「お前」
「大丈夫です」
「大丈夫じゃないだろ!」
静かだが重みのある声で前川は言った。相沢は困ったように笑う。
「手を離してもらえますか?」
「あっ、すまん」
思わず強く握っていた前川は、すぐに手を離した。そこに傷があると解っているのに、あまりに無遠慮だった。その反応に相沢は困ったような笑顔を浮かべ続ける。
「まったく、だから知られたくなかったんですけどね」
相沢が覚悟を決めて、袖を少しだけ捲った。そこにはびっしりと無数の傷があった。蚯蚓腫れはもちろん、打ち身や切り傷もある。
「それは、その」
巧い言葉が、前川には見つからなかった。
端的に言えば、拷問の痕だろう。相沢が歯向かったから。たったそれだけの理由でなされたはずだ。しかもそれが自分が原因で行われたものだと思うと、息苦しかった。
「そんな顔しないで下さい」
袖を下ろしながら、相沢は笑う。これは自業自得だ。そう思っているようで嫌だった。何でもないように振る舞われるのは辛い。
「怒れよ、少しは。あんたのせいで辛い目に遭ってるって、言えばいいじゃねえか」
護るという選択肢を示したのは前川だ。それがなければ、相沢がここまでの扱いを受けることも、また意地を張って耐えることはないはずだ。少しは怒ってもらわないと遣り切れない。
「怒りませんよ。これが始まったのは、前川さんに言われる前です。自分で撒いた種ですから」
「それは」
解っている。相沢が人形として振舞うことを拒否したから、今回の監視が始まったのだ。その手前で何らかの制裁があったとしてもおかしくはない。しかし、警視庁に預けてから制裁を加えた理由は、当然ながら前川の存在があるせいだ。
「殺せと言われているんだろ?」
「ええ、まあ。とはいえあの前から、前川さんの存在は問題視されていました」
護れと提案した日、あの日もなぜかスーツ姿だった。まさかあの日にも話し合いがあったのか。よく考えるまでもなく、あの日の相沢の様子はおかしかった。相沢が楽しそうにしているのを、相沢を人形に仕立てた奴らは許せないということか。どこまでも捻じ曲がっている。それほどまでに、殺し屋が必要なのか。
「だから、異動の話を切り出したのか」
「はい」
怒りを相沢にぶつけずにいる前川に対し、相沢は哀しげに笑った。
「でも――そのあとお前は俺を殺すことを選べたはずだ」
「それは」
相沢が珍しく言い淀んだ。きっと今まで、何度も殺せと言われていたのだろう。
「お前は人形じゃない。殺し屋かもしれないけど、ちゃんと人間なんだぞ。殺さないという意思を持っている。いいのか?唯々諾々と殺すのが嫌になっている自分に嘘を吐き続けて」
絶対的支配者がいるのなら、長期間抵抗できないはずだ。相沢は何度か殺すという選択をしているのだ。それでも、実行に移さずに耐えた。それはもう、操り人形なんかじゃない。
「俺には過ぎた望みです」
「おいっ」
前川が睨んでも、相沢は苦笑しただけだった。それは多分、拒否して生きていられる道がないことを知っているせいだ。徐々にひどくなる制裁が、それを物語っている。
「俺はもう行きます。人形に戻ります。もう、いいんです。前川さんは捜査一課に戻ってください。色々と、ありがとうございました」
「待て!」
席を立とうとした相沢を前川は止めた。ここで逃がしたら相沢は二度と前川の前に姿を現さない。このまま殺し屋として生き、そして遠くない将来、消されてしまう。それを阻止するのは今しかないのだ。
「なあ、あいつらって、誰だ?」
「解っているでしょ?権力を持つ方々ですよ」
相沢の涼しげな声が、途端に冷たくなる。触れてはいけない闇だと、鋭くなった目が告げてくる。
「こんなこと、一般人ではできませんよ。俺を育てるだけでも大変ですしね」
「それは……」
確かに個人が警視庁を巻き込んで殺人を容認させるなど不可能だ。警察上層部でさえ、相沢の件に絡んでいることだろう。それに、殺し屋として育てるなんてことを秘密裡に行うだけでも大変だ。
「あいつらと言っている以上、お前は誰か特定の奴らに対して恐怖心を持っているんだろ?」
「そうだとしても、それは解決にはなりません」
たとえ相沢が怖がっている誰かを取り除いたとしても、別の誰かが同じ立場に立つだけだ。そういうことらしい。前川は舌打ちしてしまった。
助ける方法はどこにもないのか。相沢を殺し屋と仕立てた全員を敵に回すということは、この国で生きていけないということなのか。たった一人に罪を擦り付け、そいつの人生丸ごと踏みにじって利益を上げている奴らがいる。それが容認されている社会を認めなきゃいけないのか。
前川の正義心は、それを拒否している。無駄かもしれない。でも、目の前にいる人形として育てられた少年は苦しんでいる。そんな彼を放置していいのか。
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