第15話 殺し屋であることを疑え

「じゃあ、護ってみたらどうだ」

 前川は努めて明るく言った。ここで屈服させてはいけない。むしろ相手が自分を意識しているのならば、利用して状況を変えるまでだ。

「護る?」

 しかし、相沢が怪訝そうに前川を見つめてくる。一体何を言い出すんだと、その顔には不快感まで表れている。まったく困った奴だ。

「お前は殺す以外の発想がない」

「そうですね」

 残酷ともいえる前川の指摘にも、相沢は躊躇わずに頷いた。殺し屋であることが、相沢をどれだけ縛っているか解る反応だ。

「だから、他の選択肢として護るっていうのはどうだ」

「――できません」

 一度は何かを言いかけたのに、相沢は否定の言葉を口にした。

「何故、そう思う?」

「あいつらに知られれば、逃げられない」

 詰め寄った前川に、震える声で相沢が呟く。

「あいつら?」

 前川の反応に、相沢は失言に気づいた。逃げるように立ち上がる。だが、相沢が動くより早く前川が腕を捕えた。

「俺はお前の味方だ」

「刑事が殺人犯を擁護してどうするんですか?」

 相沢は前川から顔を背けた。これ以上何かを言われては自分が揺らいでしまう。だから拒絶する。そんな反応だ。

「お前が殺人犯だという証拠はない。そうだろ?」

 にやりと笑う前川に、相沢が少し振り向いた。今それを持ち出すのかと、じとっと睨みつけてくる。

「確かに俺は殺人現場を目撃している」

「そうです」

「でも、立件はできない。違うか?」

「詭弁です」

 相沢は目をぎゅっと閉じた。この人は何を言い出すんだ。そんな困惑を隠そうとしているかのようだ。

 そう、詭弁だ。でも、前川は相沢を救いたい。憎めないからこそ出した答えだ。だったら、状況が変わりつつある今を利用するしかない。

 相沢は操り人形なんかじゃない。こうして揺さぶれば人間らしい感情をちゃんと出す。それを証明することが第一歩だ。そして、相沢自身に反逆させるしかない。

 しかし、一方で人形らしさもあるのだ。相沢は複数の人間の命令で殺人を繰り返している。そこに意思は介在していない。だから今も、助かりたいという感情を殺して殺し屋であり続けようとする。

 絶対的支配。

 考えたくないことだが、相沢は殺人に関しては操り人形でしかないのだ。それも小さい頃から、徹底的に殺すことだけを教えられてきた。

「なあ、お前が殺しを拒否したら」

 その言葉に、相沢が過敏に反応した。身体が小刻みに震えている。それは全身から嫌悪感と恐怖を表す反応だった。

「相沢」

 前川はぎゅっと相沢の手を握った。大量の冷や汗を掻いている。これは相当な何かがあったのだろう。それこそ、二度と裏切りたくないと思わせるだけのことが。やはり精神的に完全に支配されているのは間違いない。前川は力強く手を握り続け、相沢が落ち着くのを待った。

 暫くすると、相沢が大きく深呼吸した。この場で制裁を加えられるわけではない。それを頭が理解してようやく落ち着いたようだ。

「悪かった」

 相沢が何か言うよりも早く、前川は謝った。無理やり心を覗いてしまった後ろめたさがあった。今までどうして逃げようとしないのか不思議だったが、単純に頭がいいから割り切っているだけではない。それが解ったのは大きかった。

「どうして、放っておいてくれないんですか」

 いつになく弱々しい声が、相沢の口から漏れる。優しくしないでくれ。殺し屋として、殺人犯として扱ってくれ。距離を置いてくれ。言葉にしなくても、まだ震える肩がそう主張している。

「お前を信じているからだ」

 前川は立ち上がり、相沢を正面から捉えた。

「あなたには、憎んでいてほしかった。真っ直ぐなあなただからこそ、俺を憎んでくれると信じていたのに」

「えっ」

 あまりに唐突な告白に、前川は頭が白くなった。それは一体どういうことだ。

「僕が警視庁に監視されることになった時に、あなたをわざと監視役に指名しました。自分が殺し屋として生きることに疑問を持つ。そんな馬鹿な発想を否定するのに必要な措置。だったら、確実に俺を嫌ってくれる人がいい。そう思いました。だから、初めて会った時に殺人の現場を目撃させたんです」

「なっ」

 あまりのことに、前川は何も言えない。つまり相沢自身も、今回のことを通して完全な人形になろうとしていたということか。

 そうしないと生きていけないから。そうしないと、殺される時が早くなるから。人形であることを疑えば、辛いことが待っているから。

 先ほどの告白があるからか、相沢が考えることは手に取るように解ってしまった。

「人一倍正義感の強いあなたなら、どんなことになっても、殺人を続ける俺を憎んでくれるだろうと、そう思ったんですけどね」

 感情のない相沢の眼が前川を見つめている。言いながらも、その矛盾に相沢自身も気づいている。

 全否定されることを望んだのは、本来の自分と向き合ってほしいからだ。

「それは見込み違いだったな」

 前川は相沢の両肩をばんっと叩いて笑った。

「残念ながら、正義を振りかざして本質を見失うほど馬鹿じゃない」

 そんな前川の言葉に、ようやく相沢が笑った。

「本当に、読めない人です」

 相沢は結局、感情を爆発させることはなかった。だから余計に、前川は相沢を見捨てることはできない。そう決意させられた。

 いつの間にか、寒さは忘れていた。

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