第3話 奇妙な依頼
「ぐだぐだ悩まなくてよくなりそうですね」
エレベーターで上階に上がりながら、相沢が前川に笑いかけてきた。それはこれからのことを楽しんでいるかのようだ。
「――そうだな」
その表情に色々と言いたいことのあった前川だが、考えた末に出てきたのはそれだけ言った。
先ほどのノックは相沢に客が来ているという知らせだ。知らせに来た人物の姿は見ていない。ノックが五回したらいつもの会議室に来い。前川は上司からそれだけ指示されている。そして依頼とは当然、殺しに関する依頼だ。
警察の内部で堂々と行われる殺し屋への依頼。それが前川にとって苦々しいのは当然だが、これ以上、相沢に殺しを行わせたくないと思う自分がいた。
相沢を監視するようになって三か月。ノックがあったのは今日で二回目だ。一回目の時に、前川は犯行現場を見ていた。鮮やかな手並みだった。一瞬にして片が付く。それを、相沢は表情一つ変えずにやっていた。普段はそこらにいる高校生と変わりがないというのに、殺しになった途端、何か別のスイッチが入ったかのようだった。それを思うと、前川の気分は自然に沈んでいく。
エレベーターを降り会議室の前に来ると、前川は相沢を止めて帰りたくなった。お前はこのまま唯々諾々と、普通の感覚を持ち合わせたまま殺しを続けるのか。そう問い掛けたくなる。
それに、相沢は利用されているに過ぎない。あまりに普通のまま殺せるその素質を誰かに見抜かれ、こうやって政府が、警察が容認する殺し屋に育てられただけだ。足抜けするチャンスは今じゃないのか。そう言いたくなる。
前川の中で、そんなお節介な感情が大きくなる。一緒に過ごせば過ごすほど、相沢をただの憎い殺人犯だとは思えなくなってしまう。
「行きますよ」
前川の心情を察してか否か、相沢が声を掛けてきた。しかし、返事を待たずにドアを五回叩く。
「入れ」
中から男の声が聴こえた。それを合図に、相沢は何も言わずにドアを開けた。前川も相手に敬意を払うつもりはないので黙っていた。
この場にいる全員が共犯者でしかない。結局、ぐだぐだ悩みながらも任務をこなしている前川も、相沢の仕事を手伝っている一人にすぎないのだ。もし嫌ならば、何かアクションを起こさなければならない。それなのに、何も出来ずに従っている。
会議室の中には、こちらに背を向けて窓の外を見つめるスーツ姿の男と、手にノートパソコンを持った若い男がいた。若い男もきっちりとスーツを着込んでいる。
窓の外を見ている男はこちらを向く気はないようだ。それもそのはずで、今から警視庁で堂々と殺人依頼をするからだ。それも、社会的地位の確固たる人物がである。政治家かどこぞの大企業のお偉いさんか。前川には解らないが、何か不都合があったから誰かを消そうとしている。それだけだ。
相沢はドア近くの椅子にさっさと腰かけた。前川は仕方なく相沢の背後に立った。二回目だが、この依頼を受ける時、前川には居場所がない。
「相手は?」
何の前置きもなく相沢が口火を切った。いつもの涼しげな声に氷のような冷たさが含まれる。
「この者です」
何とも時代がかったやり取りだな――などと前川は関係ないことを思った。仕置き人と依頼人みたいだ。しかし、現状は覚え書が出てくるのではなくノートパソコンの画面が示される。
ちらりと画面を盗み見た前川は思わず声が出そうになり、口を手で押さえた。どうせ政治家かなにかだろうと高を括っていただけに、相手は予想外の人物である。
画面に映された写真には、女子高生の姿があった。それも先ほどの変な味のクレープ屋の前で撮られたものだ。
「確か、佐々木議員の御息女では?」
相沢は写真だけでこう言った。佐々木議員というと、衆議院議員の一人だったはずだ。確か今は民自党の幹部ではなかったか。まさか、政治の舞台に娘の命を利用するつもりなのか。前川は嫌な気分になる。
「頼めるか」
窓に視線を向けたまま男が言った。この男は一体何者なのだろう。白いものが混じる髪から、このくらいの子どもがいても不思議ではない年齢だ。それなのに、ライバルとはいえその子どもを殺すことに、良心の呵責はないのだろうか。
「料金は倍です」
依頼を渋ることもなく、相沢は淡々と述べる。リスクが高いと思ったのか、金額だけは吹っかけていた。しかし、相手はそのくらい安いものなのだろう。
「解った」
躊躇うことなく倍の金額を飲んだ。契約成立である。前川は口を手で押さえたままゆっくりと息を吸った。
何故、何も訊かないのか。
前川はもう一度写真を見た。隠し撮りなのだろう、誰かに笑いかけている。あどけない笑顔だった。
この子に何が。いや、この子には何の罪もないはずだ。家族なのか親族なのか、その誰かの足を引っ張るためだけに殺されようとしている。しかし、誰も前川の疑問には答えてくれない。もちろん前川が疑問を呈することも出来ない。
「行きますよ」
さっさとドアを開けて出ていく相沢に、前川は青い顔をしたまま黙ってついて行くしかなかった。
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