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 さて、そろそろ俺の長話も中盤を過ぎた当たりかな。

 特にこれといったオチも無いつまらない話さ。退屈かもしれないけれど、ここまで聞いたんだ。最後まで聞いていくだろう、お前さん。なに、もうしばらくの辛抱さ。

 俺は今度は、チラシを一枚ほど拾ったのさ。次はその話をすることにしようかね。

 俺はさっきの薄気味悪い童女らに遭遇した後、またもや何ということも無く真っ直ぐに駅に向かっていたのさ。行きこそ何もなかったからね。なんの話もしなかったけれど、これが中々に長い道のりでさ。俺が駅に着くまでに、あともう一悶着か二悶着くらいはあるんだ。本当だよ? 嘘なんかつきやしないさ。

 それはともかくとしてね。俺は真っ暗な道を月明かりだけを頼りに歩いてたんだけれどもね。ある時、少しばかし前方に一枚の紙切れが落ちてるのを見つけたんだな。俺は歩く調子を変えるでもなく歩いて行って、紙切れの前まで行くとそいつを拾い上げたのさ。

 何かしらここいらの手がかりになるようなものを期待していたんだけれどね、結果から言うとまず何の役にも立たなかったね。なに、そんなことは広い上げる前からわかってたことだったんだけれどもね。何でって、それは旅行かなんかのチラシだったからなんだな。一目見て役に立たないってことはわかったね。

 じゃあなんで拾ったのかって? 俺にもわからないのさ。普段はそんなことはしないんだぜ? そんなことっていうのはつまりさ、俺には道端に落ちているような物なんかを拾い上げたりだなんてするような趣味はないってことさ。本当だよ?

 でも、その時の俺はなぜだかその紙きれを拾い上げたんだな。そして、立ち止まって少し眺めたのさ。

 それにはでかでかと――ランゲルハンス島――だなんてことが書かれていたんだな。よくある旅行のパンフレットの表紙か何かみたいだったね。バックはどこかの島を海から写したような写真でさ、その風景が中々に洒落てたお蔭で、俺は少しばかしそのランゲルハンス島ってヤツに興味を引かれたんだな。それで、何気なく裏をめくったのさ。

 でも、残念なことに裏は白紙だったんだな。ただ、紙の隅っこの方に、鉛筆か何かで中々に上手い落書きがされてたね。あれは、デッサンだとかそんな風に言うものなんだったと思ったけれど。何が書いてあったのかって? なんてことはないよ。七輪の上に、桜の花びらと爪切りで切った後の爪の破片みたいなものが乗かってるっていう、へんてこなイタズラ描きだったのさ。

 俺はすっかり忘れてた空腹を思い出してね、何だか不意に焼肉が食べたくなっちまったんだよ。七輪なんか見た所為かね。俺は紙をもとあったように、と言ってもだいぶ適当にではあったけれどね、道に戻して歩き出したんだ。

 さっきは何の役にも立たなかっただとか、そんなことを言ったけれどね、それでも心細さをいく分かは紛らわしてくれた気はするんだな。それ以上に、腹の減りを思い出させられたのは痛かったけれどね。

 俺はそれからまたしばらく歩いて、空腹と格闘する以外には特に何もなく歩いていたのさ。そんな時分に何の前触れも無くね、脇の茂みから何やらがガサガサガサッと音を立てて飛び出してきたもんだから、俺は驚いてまたも声を上げそうになったね。こう一日に何度も驚かされたのは、俺の人生の中でもこの一日だけだったね。大袈裟言ってんじゃぁないよ? 本当だよ? 心臓が口から飛び出しそうってのはこういうことかと俺は初めて実感したよ。

 でもそれはね、俺の生命を脅かすような代物でも、俺に恐怖を与えるような代物でもなかったんだな。じゃあなんだったのかって?

 鳥だよ。一羽の鳥だったのさ。

 俺は別段、鳥に詳しくなんてないからね。それがなんていう鳥だったのかまではわからなかったけれどね、それは紛れもなく鳥だったよ。それだけは確かにわかったね。

 ずんぐりむっくりとした丸みのある鳥でね、太くひん曲がったような印象を受けさせるクチバシの先端が、色づいてたのが印象的だったね。俺は見たことも無い鳥だったけれどね、小柄なその鳥はちょうど鶏かなんかを不細工にしたみたいな恰好でさ、飾りみたいなちっちゃい羽なんかをくっつけちゃって、のそのそと俺の前を横切って、出て来たのとは反対っかわに入って、そのままどっかにいっちまいやがったのさ。

 まったく人騒がせな鳥だったよ。

 そういやぁ、確かアイツ、俺の前を横切るあいだに一度鳴き声を上げやがったんだな。どんな鳴き声だったかって、どんな鳴き声だったと思う? それはおよそこの世のものとは思えないような、実に奇天烈で珍妙な、音であるかも疑わしいような、そんな鳴き声だったのさ。

 とでも言うと思ったかい? ここまでの話の流れを汲めば、それは当然だろうね。事実、駅の名前はそうだったんだからさ。でも実際は違ったね。いかにも鳥らしい鳴き声だったよ。あまりに普通だったもんだからそこまでよく覚えちゃいないけれどね、確かドゥードゥーだとかそんな風に形容できる鳴き声だったね、ありゃあ。

 よく覚えちゃいないのになぜそう言えるのかって? それを聞いた後で俺は、ふと思ったからなんだな。確か鶏の鳴き声は英語でクックドゥードゥルドゥーだとか言うんだったかなぁとかね。つまり、さっきあの鳥を見て鶏なんかを引き合いに出したのはあながち間違いじゃなかったんだなと思ったのさ。いや、もしかすると鶏を格好悪くしたみたいな見た目だったから、そんな風に聞こえたのかもしれないけれどね。

 とは言えね、つまり不格好だとか格好悪いだとか色々言ったけれどね、俺はその鳥の見た目が不思議と嫌いじゃなかったんだよ。なかなかどうして愛嬌があってね。ブサカワだとかキモカワだなんていう類のものなのかもしれないんだけれどもね、とにかく嫌いじゃなかったんだよ。本当だよ?

 俺はその珍妙な鳥と別れてから、また一人で寂しく真っ暗な夜道を歩いたんだな。ポツリポツリとね。特に何もない道を寂しく一人歩いたんだよ。ポツリポツリとさ。

 そうしてね、やっとそろそろ駅に着くんじゃないかと思った頃合いだったかな。いや、その少し手前ぐらいだったね。俺は前方に一つの穴を見つけたのさ。

 穴って言っても、それは小さな小さな穴だったんだぜ。来る時にもあったとしたって、別段気づかなくてもおかしくはないような、そんな大きさの穴だったんだよ、その穴はね。

 それなのにだよ。俺はそれを、さっきのチラシを見つけたぐらいの距離から、つまりそこまで遠くもないが近くもない距離から見つけたんだな。真っ暗な夜道で、別段大きくも光ってもいない小さな穴をだぜ?

 俺は不思議に思いはしたんだけれどね、特に歩くスピードを緩めも速めもしないでその穴の方に、つまり前に向かって歩いていったのさ。なに、その先に駅があるんだからね。当然といえば当然なんだけれどもさ。

 そうして俺はね、その穴のすぐ前までやってきたのさ。そうしたらだよ、その穴がどんな穴なのかわかるのはとても自然な流れだろう? 俺はその穴がどんな穴なのかわかったんだよ。

 それは一つの淫猥な穴だったね。

 奇っ怪な話だろう? でもその時の俺はそんな風には思わなかったんだな。まるで夢中に歩く病人のようにね、その穴の本当に目の前までやってくると、何を考えるでもなく、まるで初めからそうすることが定められてたかのように自然としゃがみこんで膝をついたんだな。

 間近で見るその淫猥な穴はね、ひくりひくりとまるで生き物のように淫らに波うってたんだな。俺は吸い込まれるようにその不埒な穴へ、そっと指を落としたね。

 普通そんなことをするかい? 例えばだよ? これは例えばの話だけれど、お前さんが少しばかし人より性的な欲求の強い人間だったとするよ? それだったとしてもだよ? 知らない夜道で地面の上に、お前さんの性的な欲望を満たすような、お前さんの下半身の片割れみたいにして作られた器を前にしてだ。いや、そんなことが普通じゃないってぇのはわかってるんだよ。だからつまり、そんな普通じゃないことが、突拍子もないようなことがあったとしてさ。それに触れてみようとだなんて、お前さんは思うかってことが訊きたいんだよ。いや、思ったとしても構わないさ。それを実際にやってみるかってことが問題なんだからね。

 俺はね、そんなことはしやしないよ。本当さ。なのにだよ? あの時の俺はそうしたのさ。つまりだよ? さっきも言ったように、艶めかしく脈打つ淫猥な穴に、俺は自分の指をゆっくりと落としたのさ。

 そうしたら俺の指にはね、硬く冷たいざらっとした感触があったんだな。それはなんてことはない、地面の感触だったのさ。もうそこには、エロティックでグロテスクな女性的穴はなかったのさ。

 俺はその途端にはっとなったりはしなくてね、緩やかに正気に戻ったのさ。まるで何事もなかったかのようにね。あれは不思議な感覚だったね。

 俺はゆっくりと立ち上がると、また駅に向かって歩き出したのさ。

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