俺を思い出せ

木村直輝

 









     貴方に贈る












 1


 やあ、よく来たな。

 大変だったろう、ここまでの道のりは。いやなに、道のりと言ってもそのままズバリ、俺とお前さんが今こうして対面するにあたっての道のりを言ってんじゃぁないよ。そんなもん、別にさして大変じゃぁなかっただろうからね。

 そうじゃないさ。例えばここに至るまでのお前さんの人生だとか、学校だ仕事だなんだとか、色々あるだろう? お前さんだって。お前さんがどんな奴かなんて俺は知らないよ。でもだ。もし仮に無職や専業主婦だったって何かしら大変な事はあるだろうって。そういうことを言ってんのさ、俺は。わかったかい、俺の意図が?

 まあ、いいさ。わからなくたってこれからする話にはなんにも関係ないんだからさ。無用な気遣いだったさ。俺が悪かったよ。許してくれ。これからしばらく長い長い長話をしようっていうんだからさ。仲良くやろうよなぁ、お前さん。

 なんだい、その話ってぇのを早く始めろって言うのかい? まったくせっかちだなぁ、お前さんは。そういうのをなんて言うのか知ってるかい? “気が早い”って言うんだよ。

 え? 知ってるってか。そりゃあそうだろうよ。そんなこと俺が知ったことか。まあ、いいさ、お前さん。そうかっかしなさんな。仲良くやろうぜ。何しろ俺たちはこれからしばらく、長い長い長話をしようってぇんだから。

 ああ、わかったさ、わかった。早く始めればいいんだろう。わかったからそうかっかしなさんなって。今言ったばかりだろうが、お前さん。

 と言ってもなぁ。まずどこから話し始めたもんか、問題はそこなんだよ。だってそうだろう、お前さん。お前さんは俺のことなんかこれっぽっちも知らないんだから。俺が男か女か、若いか年寄りか、どこの生まれでどこで育ち、どんな人生を送って来たか。なんにも知らないんだからな。

 だからと言って、それを全て話すわけにもいかないだろう。俺だってそんなの御免だし、お前さんだって聞きたかないはずさ。

 だから決めた。今決めたさ。本当だぜ? 俺はそれら全部をなんにも話さないことに決めたのさ。安心しな。叙述トリックだなんて凝った真似はしないからさ。そんな学も技術も俺にはないからね。それに、これからしようってぇのはそういう話でもないんだ。俺の見た目だなんだってのは、お前さんのイメージにまかせるさ。必要な部分だけ必要な時にまた言うから、それでいいだろう?

 でもそうだな。名前くらいは教えておくことにするよ。俺はモールス、デスって言うんだ。自分じゃそんなに気に入っちゃいないが、まあそれでもそこそこイカしてるだろう? みんなはモールスとかデスだなんて呼ぶけどさ、他にも色んな風に呼ばれるんだぜ? 全く嫌んなっちゃうだろ? 全部覚え切れやしないさ。困ったもんだよ。別に最初からそういう名前だったってぇわけじゃないんだよ? 俺だってさ。でもいつの間にやらそんな風に呼ばれるようになっちまったってわけさ。わかるかい? 俺の言ってる意味がさ。

 まあいいさ。そこんことは今は網棚の上にでも置いておこうじゃないか、え、お前さん。

それでな、俺はあの日、いつものように東京駅で乗り換えて俺の住む家まで行こうとしたってわけさ。お前さんがどこに住んでるかなんて知らないが、東京駅ぐらいは知ってるだろう?

 日本でたしか三番目くらいに乗客数の多い駅だそうだ。知らないはずだはないだろうよ。その乗客数ってぇのが具体的にどういうものを指すのかを俺は知らないよ? でもそう言われてるんだから、やっぱりそうなんだろうよ。

 それで俺はさ、山手線の電車に乗ったんだ。これまたいつものようにね。いや、運がよかったね。偶然にも俺が押し込まれた前の席で寝てた奴が、飛び起きて外に出ようとしたもんだからさ。押された時には多少イラっとはしたんだぜ。でもラッキーだと思ったね。俺は早速、席についたよ。男はもちろん、満員の車内から降りることもできず、電車は走り出しちまったけどね。散々他の客を押しのけて進んだもんだから、周りの奴らから白い目で見られてただろうけどさ、ソイツにとっては幸いにもキレて騒ぎ出すようなキチガイはその日、車内にはいなかったよ。

 その後、ソイツがどうしたか俺は知らないよ。それよりも俺は隣のOLの方が気になったからね。それまた美人だったんだよ。いや、とんでもなく美人だったってわけでもないんだけどね。でも、それがまたいいんだよ。わかるかい、お前さん?

 とんでもない美人ってぇのは大抵、お高くとまった雰囲気ってヤツを身に纏ってやがんだよ。まるでブランド物のコートやなんかみたいにね。でも、そのOLは違ったね。職場やクラスに一人はいそう、ってぇレベルじゃあないんだけど、会社や学校には一人ぐらいいてもおかしくないんじゃないか、ってぇぐらいの美人だね、ありゃあ。

 なんにせよ、俺はすっかりそのOLが気に入ったんだよ。しかもだな、満員の電車ってぇのはなぜだか席も窮屈に感じられるもんでさ。大方、仕事帰りのサラリーマンだとかが多い時間帯になると、肩幅が広い野郎が多く席につくんだろうよ。

 何を言いたいかっていうとだな、別にそんな気はなかったんだけどね、俺はその美人と肩を寄せ合って席に座れたって事さ。いや、ラッキーだったね。

 でもね、残念なことにそのOL、次の駅で降りちまったんだ。しかもだぜ? 次に俺の隣に座ってきやがったのはその辺に五万といそうな中年オヤジだったのさ。いや、残念だったね。俺はいらない温もりを肩に感じながら、悲しくなっちまったよ。

 それでまあ、俺は疲れてたもんで、ちょっとばかし居眠りを決めることにしたのさ。スマホをポケットに仕舞ってからね。

 俺はまず目を瞑ったのさ。それでもしばらくは電車に揺られながら、聞くともなしにそこいらの音を聞いてたんだがね。その内、意識が無くなったよ。つまり、俺は眠りについたのさ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る