死んだふり入門

すでおに

死んだふり入門

 時代が変われば常識も変わる。

 人類は日々刻々変化を遂げ、ガリレオ・ガリレイまで遡らなくとも、かつては白だったものが今日では黒とされる事象は枚挙にいとまがない。

 この白と黒という比喩でさえ、現在の社会情勢を鑑みれば遠くない未来に使用が禁じられる事態も起こり得る。今日の常識は明日を保証してくれない。



 熊に出くわしたら死んだふりをしろ。


 おそろくは誰もが一度は耳にした護身術だが、今では厳禁であるという。迷信に過ぎず、熊から身を護ることは出来ないと。


 しかし、私はこれに疑問を呈したい。その厳禁とされる死んだふりの出来栄えはいかがなものだったのか。


 ハイキングウェアを着、トレッキングシューズを履き、リュックサックを背負って鼻歌交じりに歩いていた人間が、出し抜けに寝転がって目を閉じたところで誰が死んだと思おうか。熊の目にも"死んだふり"に映るに違いなく、格好の餌食になるだけ。これをして―死んだふりに効果なし―と結論付けてしまうのは早計である。


 "死んだふり"は死んでいると思わせる謀略であるのはいうまでもないが、一口に死んだふりと言ってもピンからキリまであって、素人の、その場しのぎの、こっそり薄目を開けて動向を窺うような猿芝居では怒りを買うだけで、家族連れが山道に添い寝し、親が子に「じっとしていなさい」と囁こうものなら、お前は船場吉兆かと熊の逆鱗に触れることも予想される。


 反対に、『太陽にほえろ!』のジーパン刑事、松田優作の殉職シーンさながらの真に迫った演技だったらどうか。手のひらにまみれた血に「なんじゃぁこりゃぁぁ」と悲嘆するような、熱のこもった死んだふりなら、熊もおとなしく森へ引き返すのではないか。迫真の"死んだふり"でなければその効果は計れまい。


 これからは、山に登る前に死んだふりを練習するのも一考の余地がある。アウトドアショップなどで"死んだふり講習会"を開き、登山時は血糊の一つもポケットに忍ばせ、万が一の時は気合の入った死んだふり。講習を受けたところで助かる保証はないし、せっかく練習したのだから試してみたいと熊の出現を待ち望むようでは本末転倒だが。


 あくまでも個人の見解です。予期せぬ結果を招くこともありますので、実践はお控えください。


 令和2年7月1日

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