偶像
髙木 春楡
偶像
偶像崇拝している人間は、世界に何人いるのだろうか。僕にはそんなことわかりはしないが、きっと、たくさんいるだろう。
偶像崇拝なんて言うと堅苦しいものに思える。だが、神を信じているとかそういった類の話ではない。
僕の場合はただ、アイドルが好きなだけだ。
アイドルとは偶像。存在する偶像。僕はそんなふうに思っている。
だから、ライブを見に行ったことはないし、小さな液晶画面から出てきたことはない。ある種のアニメオタクなんかと同じような感じなのかもしれない。
アイドルの現実の姿に興味はない。その子がどんな子だろうと、どうでもいいのだ。僕が見ている姿が僕にとってのその人なのだから。
だから、僕が個人的に推しているアイドルグループの一人が、クラスに居たとしても、テンションは上がらない。崇拝しているものがその場にいる、ただれそれだけ。彼女は周りに公表しているわけではないから、知っている人も少ないはずだ。それはつまり、神様がひっそりと下界に遊びに来ているようなものだ。
だから、僕は彼女が話しかけてきたとしても、心躍らせることなんてない。
彼女、
クラスに推しているアイドルがいる。知っているのが僕だけなんていうと、いかにも恋が始まりそうな展開だ。そんなこと現実に起きたら、恋なんて始まらない。だからといって、現実の姿にがっかりするわけでもない。
「おはよう!」
長い髪を一つに結び、純粋そうな笑顔を振りまきながら元気に挨拶をした彼女が、林田 恵。中学高校と同じ学校で、何かと縁のある彼女は今も隣の席だ。
「おはよう。」
話を多くする方ではない。僕自身が口下手なのもあるが、親しいわけではないのだから、そんなものだろう。
元気な彼女と内気な僕。チープな恋愛小説に出てきそうで嫌になる。
そんなものが嫌だからといって、彼女のことを、林 メグのことを好きじゃなくなるかと言われればありえない話だろう。それと現実は別なのだ。
「ねぇ、進路決めた?」
そんな思考に耽っていると、彼女の声が僕に向かってくる。挨拶で終わったかと思っていた二人の空間は、まだ終わっていなかったようだ。
「この時期に決めてない方が珍しいんじゃないかな。」
「確かにそうかぁ〜。」
高校三年の冬休み前なのだ。大概の人は希望する進路は決まっているだろう。合否は決まってないにしても。なんなら、一般入試の僕は試験すら終わっていない。
「悩んでるの?」
いつもなら聞かないであろうことを聞いてしまう。ただ、純粋にアイドルである彼女が、どうするのかが気になったのだろう。公私混同もいいところだが、もしかしたら、昨日見た彼女のライブ動画のせいで、偶像に引っ張られているのかもしれない。
「まぁね。色々あるからさ〜。」
「そっか。頑張れ。」
早々に話を切り上げよう。これ以上話していてはいけないような気がした。
僕は、彼女と親しくなってはいけない。
親しくならない。
そう心で呟く。
林 メグのことを知ったのは、去年の頃だった。マイナーアイドルから有名アイドルまで、様々なアイドルの動画を見ている僕は、彼女が所属しているグループのライブ動画に行き着いた。
初め見た時は、それがあの子であるなんて気づいてもいなかった。ただ、画面越しから感じる熱量や笑顔に惹かれたことだけ覚えている。
そこから、彼女のファンになるまでは一瞬だった。
そんな彼女が、同じ学校のあの人だと気づいたのは、三年に同じクラスになったのがきっかけだ。普段は眼鏡をかけている彼女が、体育の時眼鏡を外して汗を拭っている姿が映像と重なったのだ。
それはもう驚いた。偶像が目の前にいたなんてことを知ったら誰でも驚くだろう。今まで映像で見るだけでしかなかった存在が、目の前にいたのだ。その時は一瞬だけ胸が高まったことを認める。
でも、だからこそ僕は話しかけてくれる彼女と深く関わらないようにしようと決めたのだ。
偶像は偶像のままがいい。
そう決めたはずだったんだ。映像だけでいいはずだった。そんな僕がライブハウスに足を運んでいるのは、ただただ偶然だった。
「うぃー、ドルオタ!」
「ドルオタって呼ぶなよ。」
「事実なんだからいいだろ!」
こんな風に話しかけてくるお調子者は、同級生の
クラスには一人居るお調子者。ただ、それだけでいい。なぜ仲良いのかと言われたらわからないが、何故かよく話しているし遊んでいる。
「いきなりなに。」
「冷てえなぁ。いや、ドルオタ君に頼みがあってさ!」
「ドルオタ呼びやめてから頼みに来い。」
ドルオタだと言われるのは、何となく嫌だ。クラスでは普通くらいで通っているのだから、根暗なイメージをつけるのはやめてくれと思う。
「ごめんって!
「フルネームで呼ぶのもどうかと思うけど、さっさと用件言ってよ。」
「あ、そうそう!いじりすぎて忘れるところだったわ!」
こいつのこういう所が、好かれる要因なのだろうか。苦手だと思うやつも一定数居そうだが。
「今度アイドルのライブあるらしいんだわ。地下アイドル?かなんかわからないけど。それで、友だちが出るんだけど、チケット買えって言われてさ。友だちだから買ってやりたいんだけど、用事あるから、お前どうかなって!」
「僕が行っても意味がないんじゃない?友だちなのは田中だろ。」
「チケットが売れてちゃんと見てくれる人がいればいいんだって言ってたからさ!頼むよ!」
アイドルは生で見ないと決めていたわけではないが、今まで触れてこなかったライブ。しかも一人で参戦となると断りたかったが、僕の性格がそこまで強くないのもあるのだろう、手を合わせながら頭を下げる姿を見ると、承諾するしかない。
「んで、いくら?」
「マジで!?俺も半分出すから1000円でいいわ!ありがとな!」
まぁ、アイドルのライブチケットが半額で手に入るなら儲けたのかもしれない。
そして、今に至る。
正直このライブに行くかはすごく迷った。ただ、ライブを見て新しいいいアイドルでも見つけようかな、なんて思っていただけだったのに、調べると彼女の所属するグループも参加するとのことだった。
クリスマスに一人で同級生が見に来ているなんて見られたくないに決まっている。まず、知られたくなかった。もし、知られてしまった時どんな顔をして学校に行けばいいんだ。と悩んではいたがチケットを買ったのだ。行かないわけにはいかない。
初めてのライブハウス。事前に調べどんな格好がいいのか、持ち物も服装もチェックした。万全な状態だ。
もちろん、変装もしている。伊達眼鏡をかけているだけだから、変装と言えるのはわからないけれど。
変な緊張に汗が吹き出ている気がする。こんな寒い時期に汗をかいていることはないのだが。だから、心を決めライブハウスへと乗り込む。 僕自身初めてのライブだから、どれくらいの人が来ているか予想がつかなかったが、満員とは言えないが人は多かった。だからこそ、この人達に紛れれると安心したが、緊張はしたままだ。
だが、緊張している時間ももう終わり。
ライブが始まろうとしている。
ライブハウスの電気が消え、音楽と同時に照明が光り出す。耳を突き刺すような大きい音にかわいい歌声が響く。そこに居たのは、現実の偶像だった。
ただただ、興奮して知らない曲でもノリノリになって聴いた。コールなんて知らないし、楽しみ方なんてわからない。ただ、夢中でその空間に入り込んでいく。
田中の友だちがどれなのかは知らない。正直に言ってしまえば、僕が一番楽しみにしているのは彼女だ。この興奮のまま彼女を見たかった。
その時間はすぐにやってくる。
彼女達の前のグループが終わる。
心はもう、爆発寸前だ。テンションの最高潮、このまま楽しみ続けたら死んでしまうのではないかと思うくらいだ。
そして、彼女達のライブが始まる。
言葉に表すことなんて出来やしない。彼女達は、いや、彼女は輝いていた。笑顔を振りまき汗を流し歌う姿に、涙が零れた。
神は死んだ?いるじゃないかここに。
神は今ここにいる。地下のライブハウスに。
ライブが全て終わり僕は今すぐにでも物販に行って彼女にこの感動を伝えたかった。厄介なオタクだと確実に思われる。それでも、伝えたいと思えるほどに心を打たれたのだ。
でも、僕はこの興奮を胸の中に秘め帰ることにした。僕は偶像には近づきすぎない。
それでいいのだ。
冬休み明け、僕は隣の席に座っている彼女を見ることが出来なかった。もう、これ以上近くにいては駄目だと心の底から思っていた。
だから、勉強に集中した。そんな受験生として当然の行いをしている僕に、彼女が話しかけてくることはなかった。
そのままあまり会話することもなく、卒業式を迎える。
高校の卒業式なんて感動するものではない。歌を歌うわけでもないし、SNSで繋がれる時代だ、離れるという感覚も薄いのだろう。
僕は少しだけほっとしていた。彼女と離れることができると。仮卒期間も会うことはなかった。だから、僕は彼女から離れることが出来たと思っていた。
でも、ふとした瞬間に考えるのは彼女のことばかりだった。ライブ映像を見返したり彼女の歌声を思い出したり、僕の心が彼女で染まっていくのがわかっていた。離れることなんて出来ないのだ。僕にとっての偶像は、僕にとってのリアルに変わっていった。
女の子というものは、誰しもアイドルなのだと思う。誰かに好かれた瞬間、それはもうアイドルなのだ。好かれてなくともアイドルの種を持っている。偶像なんて言っていたのに、僕はリアルを持ってしまった。現実を知ってしまった。誰しもがアイドルなのであれば、彼女も彼女も同じ存在なのだ。近づいてはいけなかった。だから、近づこうとしなかった。それでも、近くにいた。
離れてしまうのが悲しいなんて、どうしたのだろうか。彼女とはライブハウスでも映像でも会えるのに。
卒業式が終わる。皆がアルバムに寄せ書きを書く中、僕は早々に帰ろうと決めた。
今、彼女と話してしまえば色々な想いが出てきそうで怖い。
教室を出て僕は学校とお別れする。いつもの帰り道、いつもより遅いペースで歩く。土手沿いに神社がある。そこに何故か引き寄せられ土手と神社を繋ぐ階段に座った。
帰って勉強しなければ、なんて考えるけれど、僕の思考はいつまでも、彼女のことばかり。
僕はアイドルである林 メグを好きになっていた。これは、ファンとして好きだったんだろう。でも、彼女のことを林田 恵を知ったことできっと、その本人のことを目で追いかけていたのだ。意識はしてなかった。それでも、授業中眠そうに目を擦る彼女の横顔が思い出せる。体育の時、笑顔で走り回る彼女の顔が思い出せる。僕に話しかけてくる笑顔を眩しいと思っていた。彼女のことが僕は.......
それ以上は、考えても口に出してはいけない。頭に浮かべるのも駄目だ。でも.......
「あれ、悟くん?」
聞き覚えのある声だった。いや、この声が誰かわからないはずがなかった。そこには、階段の上から僕を見ている彼女がいた。
「あぁ、林田か。」
見て気づいたのではないのに、白々しい。いつもの僕なら、こんな漫画のような展開馬鹿みたいだと思っていただろう。でも、今はそんなことよりただ嬉しくて、ただ怖かった。
「一人ですぐ帰ってたのに、何してんの?」
階段をゆっくりと降りてくる。
僕は、彼女の方を見れず前を向く。
「なんとなく、座って休んでただけ。」
「そっか、ちょっとだけ一緒していい?」
「別にいいよ。」
断れるはずなんてない。
「卒業しちゃったね。」
「あぁ、そうだな。」
「受験、大丈夫そう?」
「多分、大丈夫。」
「ずっと勉強してたもんね。」
「そうだな。」
「私は、アイドルするんだ。」
「そうなんだ。」
当たり障りのない会話の中に、急なボールが飛んできて思わず動揺してしまう。
急になんでそんなことを。
「悟くん知ってたでしょ。クリスマスのライブで見かけたから。」
「気づいてたんだ。」
「ステージに立ってると意外と皆の顔見えるもんなんだよ。知らなかったでしょ。」
知るわけがなかった。迷信だと思っていた。アイドルがこっちを見ている気がしているだけ。その幻想が生み出す嘘だと思っていた。
「僕が気づいてなかったら急にアイドルになるって言い出した同級生になってたと思うけど。」
「避けてるんだもん。知ってると思ったよ。」
「そっか。」
彼女は全てを知っていたのだ。そんなにわかりやすくしたつもりはなかったのだけど。
「あの時初めて知ったの?」
「いや、一年ちょっと前くらいからだね。」
「そっか。バレてなかったんだけどなぁ。」
「誰にも言ってないよ。」
「知ってる。でも、あのライブだけだよね。悟くんが来たのって。」
「その通りだね。初めて行った。田中から誘われたっていうか、チケット買えって言われてね。だから、最初は出演することも知らなかった。」
ただ、偶然だったのだとアピールしたかった。僕が彼女のファンなのを知るのは僕だけでいい。そして、彼女と離れて時間が経ってライブに行った時に知られればいい。
「なるほど、偶然だったのか。」
「そう、偶然。」
沈黙が訪れた。こんな返答ばかりしてたらそうなるのも当然だ。僕は、自分がここまで上手く話せない人間だとは思わなかった。
「それを確認したかったんだ。それと、あれだついでにアルバムなんか書いてよ!田中としか書き合いっこしてないでしょ!」
「よく見てるな。いいよ。こんな僕のでよければ。」
アルバムをカバンから取り出し渡す。
僕の全然埋まってないアルバムとは違う、色々な人からのメッセージが書かれている。流石だなという感想が出た。
でも、メッセージなんて何を書けばいいのだろうか。今までありがとうございました。とでも書けばいいのだろうか。
でも、なんとなくそれだけでは駄目な気がしてポエムみたいで恥ずかしかったが、神は死んでいない。地下のライブハウスにいた。そう書いてしまった。書いた後、後悔したが、仕方ない。すぐに閉じて彼女へ返す。
「今読まないでくれ。恥ずかしいから。」
「なにそれ。気になるけど、私も同じだから開かないで、なんなら数年開かないで。」
なんで数年なんだよと思ったが、彼女の言葉だ守ってあげようかななんて、上から目線に思った。
「それじゃ、帰ろっか!」
「そうだね。帰り道どっちだっけ。」
「この神社抜けてって先かな。」
「そっか、僕は土手真っ直ぐ行かなきゃだから。」
ここでお別れだ。きっと、彼女とは会うことはない。会うとしてもそれはアイドルの彼女だ。
「ねぇ、あのさ。」
「どうした?」
「あの、なんで.......」
「え?」
後半の言葉が小さく聞き取りずらく思わず聞き返してしまった。
「なんでもない!ありがとね。」
階段をゆっくりと降りていく彼女の後ろ姿を見ながら、今聞こえた言葉を思い返していた。
『 あの、なんで泣いてたの?』
これは、ライブの時のことなんだろう。
感動したからだ、感動して心撃たれて、ファンとしてもっと好きになって、そして.......
今ではその好きが、変わってしまった。
今だけこの瞬間だけ許してほしい。彼女へ向ける恋心を、彼女への想いを。
大好きになってしまった彼女への想いを。
だから.......
「林田.......!」
呼び止めてなんて言うんだ。なんて言えばいいんだ。何を言うつもりなんだ。彼女はアイドルだ。アイドルなんて関係ないのかもしれない。それでも、僕にとってのアイドル偶像なんだ。
彼女は振り向かない。足元には影が落ちていて、彼女の背中に夕陽が当たる。
「好きだから!……アイドルの林 メグ。」
思わず溢れ出た言葉を、最後の言葉で隠した。彼女にはもしかしたら伝わったかもしれない。それでも、彼女はきっと気付かぬふりをしてくれる。ただ、ファンだと公開したとだけ思ってくれる。
「ありがとねっ!」
振り向いた彼女の笑顔は、アイドル林 メグだった。そして、手を振って去っていく。
アイドルがそこにいた。
だけど、それは一般人とアイドルの狭間に居る一人の少女だった。
僕は夕陽に照らされた彼女の頬が濡れていた理由を聞かない。考えない。
そして僕の恋心は、ここで卒業を迎えた。
数年後の今でも、アルバムのメッセージは読めていない。
僕の偶像崇拝は終わらない。
偶像 髙木 春楡 @Tharunire
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