愛と理なき世界

桜部遥

第1話 優しい皆が大好きで

空に浮かぶ月は赤く染まっていた。

震える足で、当てもない何処かへと向かう。

あちらこちらに人が倒れている。骨がバラバラに砕け散って、誰なのかも分からないそれを見て、思考が停止した。地面にはヒビが入って、赤い何かの液体が私の足元を濡らす。

お父さんは? お母さんは? 皆はどこに行ったの?

訳も分からず、ただ足を動かす。そんな私の足にトン、と何かがぶつかる。私はその正体を見て、ただただ——絶望した。


「嘘・・・・・・嘘・・・・・・いやあああ!!!! 」


それは、私の親友の頭だった。









ピピピピ・・・・・・ピピピピ・・・・・・

頭上から聞こえてくるうるさいアラームが、私を夢から脱却させてくれた。重い体を動かしてアラームの発生源であるスマホに触る。アラームを止め、寝ぼけ眼で時間を確認すると、遅刻ギリギリの時刻を指していた。

「うわあ! 」

ベッドから滑り落ち、お尻を打ちながら私は慌ただしく制服に着替える。私は正直セーラー服の方がいいんだけれど、生憎この町には高校が一校しかなく、オマケにそこはブレザーだった。

堅苦しいブレザーに腕を通して、階段を駆け下りる。

髪が短いおかげで、ヘアセットの時間を省けるのはショートヘアの特権だろう。

「お母さん、おはよう! じゃあ行ってきます! 」

ランチバッグをキッチンでゲットし、昨日放置したままのリュックを玄関で見つける。

黒のリュックにランチバッグをぶっ込んで、私は玄関のドアを開けた。

「ちょっと安曇! あんたって子はいつも遅刻ばっかりで・・・・・・高校生なんだからしっかりしなさい!」

ローファーに足を入れると、後ろからお母さんの説教が聞こえてくる。

一々構ってられないので、適当に流しながら外の世界に足を踏み入れる。

目を瞑りたくなるほどの太陽の光が、私を襲ってきた。それに負けじと、リュックを背負って一直線に学校へと走り出す。


表札に書いてある『市川』の文字を横切った私は、見事に遅刻したのだった。


学校について、切らした息を整えながら自分の席に座る。学校に着いた途端、担任の高ちゃん先生からど説教を食らった。

同じような話ばっかりで、耳にタコができそうだ。

約二十分の説教を右から左へ流した後、自分の教室へと足を運ぶ。

クラスからは笑い声が絶え間なく響いている。誰にも気付かれない様に、忍者の如く忍び足で歩く。私が席に座って筆記用具を出していると、隣から声が聞こえて来た。


「おはようございます、安曇ちゃん。」


おしとやかな丁寧口調で、私の名前を呼ぶ。女の子らしい高い声に、私は心当たりがあった。

顔を上げて、にっこりと笑顔で彼女の名前を呼ぶ。


「おはよう、愛佳」


彼女を見上げがてらに私も笑う。

彼女の名前は峯北愛佳。稲倉町の名家である峯北家の一人娘だ。愛佳がいつも敬語なのは、『一人前の人間になるまでは他人を敬う気持ちを持て』という家のしきたりらしい。

艶のある長い黒髪。その頭上を飾る純白のリボンは、髪の動きと一緒に揺れた。

愛佳は私と横並びの席に腰を下ろすと、「今日も寝坊ですか? 」と首を傾ける。

さすがは私の大親友、なんて心の中で褒めながら「うん・・・・・・」と反省気味に言い訳をした。


「なんかね、夢を見てたような気がするの。凄く怖くて、でも大切な夢。」

天井よりも遥か遠くの空を見ているような気分になる。

机に肘を置いて、手で顎を支えた。

「どんな夢でしたの? 」

愛佳の言葉に誘われるかの様に、私は目をゆっくり閉じた。頭の中の記憶を必死に蘇らせようとする。けれど黒いモヤのような物が、私の記憶を覆った。

首を横に振りながら、私は残念がった。

「ダメ、思い出せない。」

愛佳は私の目を見て、そっと微笑んだ。優しいタレ目が、更に優しさを醸し出す。

「ならきっと、それは思い出さなくてもいいモノですわね。」

その言葉に何処か引っかかったけれど、彼女のあまりにも柔らかな笑顔がそんなことを忘れ去った。


私と愛佳は小さい頃からの幼なじみだ。けれどそれは別に珍しい事ではない。何故なら私はこの学校のクラスメイト全員と小学校から一緒だから。もちろん、先輩も。


この稲倉町は人口、約千五百人のとても小さな町。だからこの町に住む大抵の人とは顔馴染みだ。それに、ここの町民は皆優しい。だから私は、そんな稲倉町が大好きなんだ。


しばらくして、ガラガラと教室のドアが開いた。入ってきたのは、化学の雪村先生。私よりも短いベリーショートヘアの若い女の先生だ。美人で優しくて、授業も面白くて。皆が大好きな先生。

「はあーい。席ついてね。皆がだーいすきな化学の時間だよー。」

「雪ちゃん、婚活しなくていいのー? 」

雪村先生が教壇に立つと、クラスで一番騒がしい男子の榎本が声を上げた。

「こら、榎本くん。そんな事ばっかり言ってると、テストの難易度上げるからねー? 」

教師ならではの脅しに、榎本は「やべ。ごめんて、先生」と食い下がった。

そんな様子を見て、クラス全員の笑い声が上がる。勿論、その中には私や愛佳も入ってて。

幾つもの声が重なり合い、合唱の様なクラスの声に、私は心が和む。

こういう何気ない瞬間の中にいると、私はこのクラスが大好きなんだと、再び思った。








太陽がオレンジ色に染まろうとしている時、私と愛佳の前に一人の男子が現れた。

「よっ。遅刻魔。」

私を罵るのはこのクラスで一人しかいない。

私も負けじと、少し悪口を言ってみた。

「よっ。女たらし。」

リュックを肩にかけて、ニカッと笑うこの男は、 深見理一。生まれつきの茶髪と、持ち前のルックスで数々の女の子を手駒にしてきた最低野郎。

私と愛佳、それからこの理一は、小学校の時から仲良く、いつも一緒に帰ったりしている。


だから今日も私達は一緒にいつも通りの通学路を歩いた。

今日の学校の話。ゲームの話。テレビの話。たわいのない会話で私達は笑い合える。心が安らいで、元気になれる。

三人でこの先もずっと笑い合いたい。夕日が落とす影がどうか未来でも三つでありますように。


「——それでは、わたくしはここで失礼しますね。」


通学路の途中の道で、愛佳は私の正面に立った。

スクールバックを両手で上品に持つ姿は、なんだかお姫様みたいに思う。

「うん、また明日ね。愛佳! 」

愛佳は「はい」と微笑みながら、私達とは別の方向へと歩いていった。

残された私と理一は、夕日に背中を押されながら、自分達の道を歩き始める。私の横にあるのは、私よりも背が高くで、肩幅の広い人。理一を見る時はいつも斜め上に顔を上げなくちゃいけない。その度に見えるのは、理一の綺麗な骨格。筋肉質の筈なのに、理一の骨格は骨がハッキリしていて、私はその笑顔をもう幾度も見てきた。

「安曇は、空いてる日あるのか? 」

少し影が濃くなる中、理一と目が合う。

「ええー、私よりも理一の方が忙しいじゃん。特に部活。」

上目遣いで、私は理一を少し睨む。悪意のない私の瞳に、理一はクスリと笑った。

「それはどうもすみませんね、お嬢様。」

「うわ、ムカつくんですけど。」

その後、少し間を置いてから二人で笑い声を上げた。近所迷惑にならないか心配したけれど、笑い声が収まる時にはもう、足が止まっていた。

私の家をバッグに、理一は「じゃあな、安曇。」と優しく笑う。

その笑顔に少し心寂しくなりながらも、私はコクリと頷いた。


——そして私達は日常の一つであるキスをした。

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