第四章

第45話 依存、そして……

 不慮の事故から、三カ月が経過した。

 季節も夏から秋へと移り変わり、落ち葉が地面一面を埋め尽くし、北風特有の空っ風が吹いている。


 木枯らし降り注ぐ12月上旬。

 琢磨の怪我はようやく完治しかけていた。


 一カ月ほど前からギブスも取れたので、車の運転も少しずつ再開している。

 前の車は、事故の影響で大きく大破してしまったため、新車へと買い替えた。

 新しい車もミニバンで、運転自体は前の車と変わりない。


 最初は近所のスーパーに買い物へ行く程度からリハビリを始め、徐々に運転距離を伸ばしていき、運転感覚を取り戻していった。


 けれど、由奈を乗せて一緒にドライブすることはなかった。

 もちろん、琢磨の怪我が完治していないこともあったけれど、また別の理由で由奈とのドライブが出来ない状態が発生したのだ。


 怪我が完治してから初めての金曜日。

 琢磨は、由奈にメッセージを送る。


『今日もやっぱりダメそうか?』


 尋ねると、すぐに既読がついて返信が返ってくる。


『うん。私は全然平気だって言ってるんだけど、学生の身分で事故なんてとんでもないって、両親がまだ許してくれない』


 追突事故で由奈が怪我を負ってしまったことを、ご両親に報告した時、ご両親が激昂。


 一人で上京している身で、他人の車に乗せてもらって事故を起こされて、可愛い娘の命を無くされても困るということで、由奈は車禁止令が発令されてしまったのだ。


 別に一緒に住んでいるわけではないので、両親の約束を破ってドライブに出かけてもいいのだが、万が一またもや事故を起こしてしまえば、今度は激昂程度では済まないだろう。


 しばらくほとぼりが冷めるまでは、由奈と琢磨は一緒にドライブするのはやめることにした。

 まあでも、普通なら見知らぬ男の車に乗せてもらっている時点で、普通ならそんな事故を起こしたような男とは、会うことすら一生許してくれないだろう。

 ドライブ禁止令だけでも、寛大な処分だ。


 琢磨と由奈は、しばらくの間はお互い頻繁に連絡を取り合い、近況報告をも行っている。けれど、久しぶりにドライブできる状態の琢磨にとっては、少し歯がゆさが残る金曜日になってしまった。


 今日は一人でどこかぶらりと出かけるよりも、誰かに付き添ってもらいたい気分だったので、思わず社内をぐるりと見渡してしまう。

 そして、琢磨はとある人物のところで目が留まる。

 気づけば、すっと自席を立ちあがってその人の元へと向かっていた。



 ※※※※※


「私をドライブに先輩の方から誘ってきてくれるなんて、どういった風の吹き回しですか?」


 谷野はニコニコ笑顔で、助手席に乗りながら嬉しそうに手を合わせている。


「まあな。たまには俺にもお供してほしい時もあるんだよ」

「由奈ちゃんはどうしたんですか?」

「両親にドライブ禁止令食らっちまってな」

「あぁ、なるほど。そりゃそうなりますよね」

「まあ、そういうことでよろしく頼む」

「はーい! 先輩に頼まれましたー!」


 わざとらしく敬礼をしながら楽しそうな笑みを浮かべる谷野。

 こうして琢磨は、車を走らせて金曜日のドライブの復活を遂げた。



 谷野と一緒に向かった先は、横浜の街が一望できる丘の上公園。

 そこで、二人仲良く横浜港の夜景を眺めながら海風に浸る。


「先輩のチョイスも、悪くないですね!」

「どうしてお前は上から目線なんだよ」

「だって根暗な先輩は、もっと地味なところに私を連れて行くかなと思いまして」

「流石の俺だって女の子連れて行くなら、気を使って場所くらい選ぶっつーの」

「一応は私をレディーだと認識してもてなしてくれたんですね」


 口元を隠しながらも、くすくすと肩を揺らして笑っているのがわかる。

 谷野は琢磨のことをどう思っているんだか。

 後輩の言動に、思わずため息が漏れ出る。


「でも先輩、それにしては元気がないように見えますけど?」


 笑い終えた谷野が、首を傾げてこちらを覗いてくる。


「そう見えるか?」

「はい、見え見えです」


 少しおどけて見せるように言った谷野に対して、琢磨は一つ息を吐いて手すりに寄りかかる。


「まあ、由奈と一緒にドライブできないからな。当然っちゃ当然だ」

「はぁ……先輩、そういう所はデリカシーに欠けてますよね。せっかくのドライブデートなのに他の女の話題出すとか、台無しです」

「す、すまん……」

「まっ、いいですよ。先輩が本当は一人でドライブするのが怖くて、私に依存しに来たことくらい、容易にわかりますし」

「……やっぱり、バレてたか」

「それはそうですよ。いつも一緒にいるのに、気づかないと思います?」


 試すような視線で見つめてくる後輩に、琢磨は感服した。


「それもそうだな」


 琢磨は軽く呆れ笑いを浮かべて、再び息を吐いた。


「由奈とドライブデートが出来ないからって、後輩に頼み込んで依存するとか、ほんと情けねぇな俺」

「ま、一人が寂しい時もあるので分かりますよ。先輩の気持ち」


 そう優しく宥めてくれる後輩。


「それで? 先輩は私と代わりにドライブデートして見てどうですか? 楽しめてます?」


 再び見定めるような視線で優しく問うてくる谷野。

 しかし、その目の奥は真剣な答えを尋ねているような気がした。

 琢磨は、しばらく横浜港の夜景を見つめて黙秘を決め込む。


 谷野も、琢磨が答える気がないと分かったのか、夜景の方に視線を戻した。

 そのタイミングで、琢磨は独り言のように呟く。


「正直に言うと、由奈と一緒にドライブした方が楽しい。それで、俺は夢をもう一度探したい」

「……そうですか」

「悪いな、折角付き合ってもらったのに気を悪くするようなこと言っちまって」

「いいですよーだ」


 そう言って、谷野はぴょこんと手すりから手を勢いよく話して、手を後ろに回してにこりと微笑む。


「私はいいんです。どんな形でも、先輩の都合のいい女になれればそれで満足ですから!」


 無理にでも谷野は笑顔で琢磨に嘘を吐く。

 本当は、どんな形でも先輩に縋って、先輩の傍にいたいのに、琢磨の心の中で、谷野は異性の対象としても見られていないのだから。その土俵すら立てていない。


「ありがとな、お前はホント頼りになる後輩だよ」

「はい……」


 無理やり口角を上げて笑う谷野の笑顔は、琢磨にどう映っているのか。

 おそらく、先輩を慰めている優しい後輩にしか、見えているのだろう。



 ※※※※※



 先輩は私を家まで送ってくれた。

 車で家の前まで送ってくれたのは、由奈ちゃんを車から降ろす琢磨先輩を見つけたあの雨の日以来だ。


「今日は、ありがとうございました」

「こちらそこありがとう、急に誘って付き合ってもらって」

「いえいえー! また機会があったら誘ってください! いつでもお供します!」

「助かるよ。それじゃあな」

「はい!」


 先輩はドアミラーを閉めると、路肩に止めていた車を走らせて去っていった。

 急に閑静な住宅街の静けさが日和に襲い掛かったようで、胸の中に虚しさが充満する。


 日和は家の鍵を開けて、寂しいワンルームの部屋へと帰ってきた。

 胸の奥がツーンとした痛みに襲われていると、突如視界がぼやけて、頬に一筋の熱い涙が流れ出た。


「あれっ……どうしてだろう? なんで……」


 日和は慌てて自らの目から流れ出る涙を手で拭う。

 けれど、涙はどんどんと溢れ出してきて、止まるどころか鼻水まで出てきた。


「どっ、どうして……私はただ……先輩のそばにいれれば……よかったのにっ……!」


 表向きにはそう思いつつも、日和の心の中で琢磨の存在はそれほどに大きくなっていたのだ。


 それでもって今日、改めて先輩とドライブデートをして、先輩にとって私は、異性として認識されいないことを実感させられた

 それは、日和にとっては振られたも同然。


 始まりもしなかった後輩の儚くて切ない恋は、虚しく静かに終わりを告げようとていた。

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