第42話 他社依存と混同

 元カノの沙也加と再会した帰り道。

 琢磨は電車の座席に座りながら昔を思い返していた。


 大学時代。琢磨は俳優になりたいという夢を目標にして当時は輝いていたと思う。


 大学の講義を受け終えて、稽古場に向かって練習する。

 休みの合間はバイトを掛け持ちしてお金を貯めて、専門学校費に充てた。

 そんな充実した中で、専門学校で同じクラスになった沙也加と出会った。


 彼女は高校卒業した後、大学に進学せずアルバイトで生計を立てながら女優になるために専門学校に通っていた。

 そんな彼女と琢磨は、お互い境遇は違うものの、同じ夢を見る者同士意気投合して、付き合い始めた。

 お互いに切磋琢磨して夢に向かって努力し合い、琢磨の生活は順風満帆なものに見えた。


 けれど、現実中々上手く行くものではなく、所属オーディションに落選。

 一方で、沙也加は某プロダクションの研修生として合格。


 しばらく、お互いに気まずい雰囲気が続いた。

 会うたびに互いのことが気になるけれど、気を使って踏み込んで近況を聞き出せず、他愛のない話ばかりを続ける。そんな日々が続いた。


 当時の琢磨は大学三年生。

 世間的には、就職という道を考えなくてはならない時だった。

 沙也加は『まだまだこれから! 私はまぐれみたいなものだから』と当時励ましてくれていたけれど、琢磨にとっては苦痛でしかなかった。


 いつの間にか、琢磨は専門学校の授業をさぼるようになり、沙也加の成功を祈るため、サポート側に回るようになっていた。

 そこから、二人の歯車は狂う。


 専門学校に行っていないことを友達伝手から聞き出した沙也加が、琢磨を問い詰めたのだ。


「琢磨、最近稽古に参加してないって聞いたけど、それほんと?」

「……あぁ」

「どうして?」

「それは……」

「まさか、諦めたの?」

「そうじゃない! けど、今は沙也加が女優として活躍してくれる方が、今の俺にとってはうれしいことなんだ」

「……なにそれ」


 ぐっと握りこぶしを作り、怒った表情で沙也加が睨みつけてくる。


「私はそんなこと望んでない! お互い頑張ろうって約束したじゃん! 今の琢磨は、自分の夢を他人に押し付けてるだけだよ!」


 このとき、琢磨は両親から迫られていたのだ。

 就活して社会人として地位を築くか、夢を追い続けるかを……。

 自分でも悩んでいた末に、琢磨は自暴自棄になってしまった。


「うるせぇな。お前に俺の事情なんて分からねぇだろ」


 あの時行ってしまった言葉は、今でも後悔している。

 結局、その日に喧嘩別れしてそのまま沙也加とは破局。

 琢磨も、俳優になるという夢を諦めて、新卒として就職活動するという道を選んだ。


 自分のやりたいことなんて、またすぐにやりたいことが見つかると思っていた。


 でも、社会人になると、毎日仕事に追われる日々。

 気が付けば、自分の夢などどうでもよくなって、夢を何も持っていない孤独を怖がるように今の仕事が義務だと思って意識的に自分のことについて考えないようにした。

 そして、網香先輩と出会い、琢磨は無意識に網香先輩と付き合うことを目先の目標に決め、夢と混同させてしまった。


 それが、琢磨の今の惨状だ。

 自分のやりたいことなどすべて捨てきり、恋愛だけに惚気たどうしようもない社会に埋もれた残念な男。


 もしかしたら、網香先輩が琢磨をプロジェクトリーダーにさせたかったのも、対等な立場になってからそこ初めて、自分を男として見てくれたのかもしれないと思った。

 けれど、もうそれは遅いことで、一度決めてしまったことは変えられない。


 ならば、今琢磨はこれからの自分の人生をどう生きて行けばいいか。

 人生も恋愛もこじらせて、琢磨は路頭に迷ってしまった。



 ※※※※※



 翌週、デスクでPC作業を淡々とこなしながら、頭の中では別のことを考えていた。

 今の琢磨の置かれている状態について、自分の置かれている状況について。

 この仕事自体に特に不満はない。けれど、これが自分のやりたいことであるかどうかははっきりとは分からない。

 いわば、自分のやりたいことを見つけるまでのステップに過ぎないのだから。

 琢磨の将来の夢。


 岡田や柿原に質問した後、元カノの沙也加に会って言われた一言。


「杉本も早く、自分の新しい夢見つけなよ」


 沙也加に言われた一言が、琢磨の頭の中で何度もフラッシュバックする。


「先輩……」


 一体、琢磨にとって将来やりたいことってなんなんだろう……。


「先輩!」


 ふと誰かに呼ばれているような気がして我に返ると、琢磨の真横に資料を持った谷野がいた。


「おお、谷野か。どうした?」

「それはこっちの台詞です! さっきから何度も呼んでるのにー!」

「悪い、悪い」


 琢磨は軽く平謝りして、谷野から資料を受け取った。

 しかし、谷野は琢磨の前から立ち去ることなく、こちらを窺うように覗き込んでくる。


「な、何?」


 谷野は身をかがめて口元に手を添えて小声で話しかけてくる。


「先輩、由奈ちゃんと何かありましたか?」


 唐突に出てきた由奈の名前に琢磨は軽く驚いたけれど、ふっと笑んで言葉を返す。


「いや、由奈とはまあ、またドライブを続けることくらいは決まったけど、それ以外は何も……」

「ふぅーん。そうですか」


 谷野は少し寂しそうな表情を浮かべた。

 そう言えば、琢磨は谷野に『私がドライブ彼女じゃダメですか?』と問われていたのだ。

 今の答えが、暗に琢磨が谷野をドライブ彼女にはできないと言っているようなものだった。

 けれど、谷野が少し寂しそうな表情を見せたのは一瞬のことで、ケロッとからかうような笑顔で琢磨を覗き込んでくる。


「それじゃあ、他に何かあったんですね?」


 じとっとした視線で咎めるように見つめてくる谷野。

 琢磨は苦い表情を浮かべてごまかす。


「まあ、そんなところだ」

「もしかして、網香部長とまた何かありました?」

「ちげぇよ。いいから仕事に戻れ」

「むぅ……!」


 琢磨がしっしと手で谷野をあしらうと、谷野はぷくーっと頬を膨らませて不満そうな様子で、自身のデスクへと戻っていった。


 琢磨は改めて一人になり、作業に戻りつつ先ほど考えていたことへ頭を戻す。

 そう言えば、琢磨は網香部長の傍で仕事を手伝いたいという理由を隠して、谷野を一人前に育てるために残りたいと網香先輩に嘘の理由をかこつけて、プロジェクトリーダー昇進の件を断った。

 この行動は、自分にとって将来やりたいことに基づいて行動してものだったのか?


 答えは言わなくとも分かる。


 網香先輩と一緒にいたい。ただそれだけの自分の恋愛的願望で望んだだけ。


 やりたいことではあるけれど、それが将来の自分の人生に意味のある体験になるかと言われれば少し違う。


 少なくとも、今の琢磨は網香先輩と一緒に仕事をしている今の状態が心地よいから、その状態をただ維持したいという居心地の良さでしか物事を見ていない。

 つまり、自分の夢という観点で物事を処理していないのだ。


 琢磨の本当にやりたいこと。これから自らの道を歩んでいく道筋を探し当てるのは、もう少し時間がかかりそうだ。

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