島の子どもたち

 次の日、真は優李を海の方へ連れていった。海とはいうものの、人の多くいる砂浜の方ではない。岩の断崖の上に、優李は連れられて来ていた。

 断崖の上からは、海も砂浜も一望できた。砂浜には確かに人が多い。それに引き比べると、この場所は静かだ。優李と真の二人以外に、誰の姿もない。陽の光の下で、大海は青く輝いている。


「優李、海に行きたい?」

「うーん……僕はそんなに……かな」

「ああ、それならいいんだ。もうすぐヨゴレさまがやってくるから……」


 ヨゴレさま。聞いたことのない単語が、真の口から飛び出した。


「ヨゴレさま……?」

「うん。ヨゴレさまはね、陸地から遠く離れた海にいらっしゃるのさ。けれども、ある時期になると、沿岸に寄ってくる」


 それを語る真の目は、海の方を向いている。遠く水平線の彼方を眺めているようだ。風のない日だからであろうか、海は穏やかに小さな波を寄せていた。


「で、結局ヨゴレさまって何なの……?」


 優李の質問に、真は答えなかった。優李はヨゴレさまなるものについて知りたかったが、彼にしつこく問いただすのは気が引けて、それ以上尋ねることはしなかった。


 その後、真はもう帰らねばならないと言ってきた。それが昨日や一昨日よりも早かったので、優李は消化不良な気分にさせられた。


***


 その後二日間、真は姿を現さなかった。「ヨゴレさま」について詳しく教えてほしいという気分も勿論抱えていたが、それ以上に彼と会えないこと自体がつまらなかった。

 そうしている内に、夏休みが明け、新学期になった。優李は網底島小中学校に転入したのであった。小中合同のこの学校の児童生徒数は優李を含めて合計二十七名。優李と同じ小学五年生は男子が一名、女子が一名の計二名が元々在籍していた。


 前の学校では不登校と化していた優李であったが、今ここには自分をさんざん虐め抜いたあの者たちはいない。意を決して、優李は登校することにした。不登校であった時期がそれほど長くはなかったのが幸いして、何とか学校に足を向けることができた。


 子どもたちの中には、意外と東京の本土から来た生徒が少なくなかった。その殆どが役場の職員や学校の教職員の子どもたちであり、優李もそういった子どもの一人である。そのため、特別珍しいもの扱いはされなかった。このことは優李を少なからず安堵させた。


「ねえ、青野くん」


 話しかけてきたのは、同学年の少女、氷川ひかわあかりであった。


「青野くんって本土の人?」

「う、うん……小金井から……」


 優李はおずおずと答えた。同年代の少年少女に対する警戒心は、未だに拭い去れずにいる。


「そうなんだ。あたしは府中だから隣だね」


 話を聞いてみると、彼女の父は島の役所に勤務しており、一家は全く島に縁がないようであった。島に転属になった公務員の子どもという点は、優李とも共通している。

 

 学校の中で、優李は真の姿を探ってみた。しかし、彼の姿はどこにも見つからない。もう彼は家族と一緒に本土に行ってしまったのだろうと考えた。黙って去っていってしまうなんて、想像もしていなかった。


 ――何も言わずに行っちゃうなんて、ひどいじゃないか。


 優李はそうした真の行いに不満を抱いたが、しかしそれはやり場のないものであった。今更文句を言おうにも、最早その相手はいない。どうしようもないことである。


 そんな優李に対して、あかりは度々話しかけてきた。島の子ではなく本土育ちでしかも同学年、その上人畜無害そうな優李は、あかりにとって数少ない気を許せる相手であったのかも知れない。一方の優李にとってあかりは真ほど気を許せる相手ではなかったが、さりとて警戒しなければならない相手でもなかった。

 そのような二人の様子を、如何にも面白くなさそうに眺める存在があった。同じ小学五年生の、九波順也くなみじゅんやである。九波姓ではあるが、優李の母方の実家とは特に関係がない。その名が示す通り、島で生まれ育った少年である。

 彼は密かに、本土からやってきたこの少女、氷川あかりに懸想けそうしていた。


 ――氷川あかりは、青野優李に惚れているのではないか。

 

 あかりが親しげに話しかけている優李に対して、順也は次第に嫉妬ジェラシーを募らせていったのであった。優李とあかりが会話している間、この少年はその両目に嫉妬の炎を灯らせながら、優李を睨みつけていたのであった。

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