第24話 歪み

 カズ兄の家に行く20分前。


 階段を降りると、偶然コト姉からきのこの山を貰ったので、一息ついてから向かうことにした。  


 サクサクと口の中でチョコレートの風味が広がる。


 その度にスッとした感覚が頭を吹き抜けて、まるでオーバーヒートした私の頭を冷やすようだった。


 ブラックコーヒーを流し込む。


 頭がツーンと冷え感覚が染み込んでいく。

 

「ふぅ…疲れるのです」


 いつからなのだろう…。

 

 気がついたら、アレが聞こえるようになって、そして…。


 ふとソファに座りながら、スマホをいじるコト姉に視線を向ける。


 —カズ…。


 コト姉の寂しそうな声が聞こえた。


 …。


 正確には心の声、と言うべきなのだろうか。



 心の声が聞こえることに気がついたのは、一番早い記憶で約1年前の話。


 その日はなんの変哲もない、学校のことだった。


「秋葉ちゃん、またコーヒー飲んでるの?」


「これがないと、眠くて仕方ないのです…」


 当時の私は、一日中妙に疲れていて、何かしらの刺激物がないと眠くて学校どころではなかった。


 もちろんそのことで病院にも行ったけど、理由は原因不明の慢性疲労。


 まず、10歳の女の子がなるわけのない症状だった。


 学校側では苛めを疑われたけど、本当にそんな事はなかったので、それ以上、大きくはならなかった。


 だけど、症状が進むにつれて、時折誰かの声が聞こえるようになっていった。


 例えば体育のバスケの時間。


 — シュートと見せかけて、あいつにパス…。


 って聞こえたような気がして手を伸ばすと、ボールが手に当たって、見事にボールをカットすることに成功。


 さらに言うと、給食で出たデザートの余りジャンケンに負けたことが一度もない。


 …と、そんなことが続いた今日。


 私の親友であり、幼馴染みのさくらちゃんが、学校にお菓子を持ってきた。


 小さな箱を手にしてにこりと笑う。


「コーヒーだけじゃ美味しくないでしょ? これ一緒に食べよ?」


「…でも学校にお菓子はイケナイのです」


「もちろん知ってるよ、でーも…」


 そう言って、きのこの山をひとつ摘むと、一歩近寄る。


 上目遣いでいたずらに笑った。


「ちょっとぐらいイケナイことしたって、別にいいんじゃない?」


 その妖美な眼差しに思わずドキリとして、少しのけ反る。


 そんな私に、ふふっと笑いながらきのこの山を私の口元に運んだ。


「ほーら、口開けて♪ あーん」


「…あーん」


 口の中できのこの山が転がる。


 チョコレートの部分が溶けて、トロトロした甘いものが口いっぱいに広がった。


「どう? 美味しい?」


「美味しいので…」


 次の瞬間。


 —秋葉ちゃん…かわいいな…。


「え?」


「ん? なに秋葉ちゃん?」


 —すごくいい匂いする…。


 そんな、さくらの声に思わず足を一歩後ろに引いた。


 さくらはキョトンとした顔で、


「どーしたの秋葉ちゃん、変だよ?」


 —嫌だったかな…でも、逃げられたのはちょっとヤダな…。


「別に、嫌じゃないのです」


「え?」


「あ…その…、また明日話すのです!」


 私はそう言って教室のドアを開け走り出す。


 アレはなんだったんだろう…。


 これがそれの始まりだった。



 ポリポリと、きのこの山をかじる。


 口の中の甘い香りを、コーヒーで流し込むと、もう一度コト姉の方へ視線を向けた。


 — …カズとプール行きたいな…でも、柚葉に迷惑かな…。


 コト姉の声が頭に響く。


 もちろん、コト姉は一言も口を開いていない。


 この能力の発動条件は2つ。


 コーヒーを飲んでいること。


 そして、きのこの山を食べている時だ。


 その二つの条件を満たして、読みたい人の顔を見ると、フェードインしてくるように、薄らと声が聞こえてくる。


 そしてその声の大きさと持続時間は、飲んだコーヒーと食べたきのこの山の量に比例しているらしい。


 コップ一杯のコーヒーと、一箱のきのこの山で、だいたい5分。


 私はさっきユズ姉から二箱もらって、今ので3箱目だから、だいたい15分ぐらい。


 なんでこの二つなのかはよく分からないけど、少なくともこの能力の発動には莫大なカロリーが消費される。


 だからこんなにボリボリときのこの山を食べていても、体重的に言えばプラマイゼロなのだ。


 箱の中が空になる。


 ふぅ、とため息をついて箱をゴミ箱に捨てた。


「さすがにお腹いっぱいなのです。」


 そして、スマホを片手に何かに熱中しているコト姉に声をかけた。


「コト姉」


「ん、どーしたの?」


「突然ですが、今コト姉が調べてるもの、当てたら私の質問に答えてくれませんか?」


「え、いいけど…私そんな面白い話ないよ?」


「気になって仕方ないことがあるのです…それでは」


 じっとコト姉の目を見る。


 そして、コト姉声が少しずつ頭の中に響き始めて、やがてはっきりと聞こえるようになった。


 — ディズニーとか、2人で行けたらな…。


「ディズニー」


「え…嘘…」


 目を見開いて、驚いたような表情を見せる。


「…あってるのですか?」


「うん…すごいね秋葉ちゃん、なんで分かったの?」


「顔に書いてあったのです」


「そんなに分かりやすかったかな?」


 そう言うと、ふふっと小さく笑い、おかしそうに口を開く。


「それで、気になって仕方ないことってなに?」


 私はすぅ、と息を吸う。


 今から聞くことは、別に私が関わるべき問題ではないことだ。


 だけど、そんな厄介事をいつの間にか面白がっている私がいた。


 この家に来たときに聞こえた声、ユズ姉と、コト姉、それとカズ兄。


 3人の関係はぐちゃぐちゃでドロドロしていて…。


 だから、それをほんの少しだけなら、かき混ぜてみてもいいよね…。


「カズ兄とは、付き合わないのですか?」


 その一言に、明らかに表情を変えるのが分かった。


 あはは、と苦しそうに笑う。


「カズとは、付き合えない…かな」


「それはユズ姉のカレシだからですか?」


「うん…柚葉の大切な人だから」


 優しそうな、そしてどこか苦しそうな表情で笑うコト姉。


 …。


 でも、私は知っているのです。


「私ねカズのこと、まだ好きなんだ…」


 — ずっと昔から、一緒だったから。


「でもさ、今は柚葉と付き合ってて…」


 — でも、カズが選んだのは私じゃなかった。


「色んなことあったけど、2人は楽しく過ごしてる」


 — …本当は私がカズと2人で居たかったのに…。


「まぁ、だから…」


 — だから。


「カズと柚葉には幸せになって欲しいかなって…ね?」


 — いつか絶対、カズを振り向かせる。柚葉じゃなくて、私の方に。


「そうなのですか…」


 そして、私は出来るだけ自然に、にこりと笑い、こう言った。


「いいと思うのですよ」


 歪んでる…。


 だけど、狂おしく1人の男性を思うコト姉は、とても美しいのです。


 コト姉は、歪んだ自分のことにまだ気が付いていない。


 だからこそ、ほんの少しの衝撃で、歪みを囲っていたガラスは割れて、外に飛び出してくる。


 きっとそれは時間の問題。


 だから私は時限装置を取り付けるだけ。


 その日時が来たら、爆発するように。


 ヨイショと私は立ち上がる。


「それでは、ちょっとカズ兄の家に行ってくるのです」


「うん」


「…理由聞かないのですか?」


「んー、なんか「ゲームやってくるのです」って顔してるから、いいかなって」


 ふふっと笑う。


 そんなコト姉の表情は、同性の私から見ても、本当に可愛らしい笑顔だと思ったのです。


「それと、コト姉」


「ん?」


「土曜日の夜は、ゆっくりとスタバに行ってくるのです」


「スタバ? 夜? えーっとなんで?」


「最近、糖分が足りてないので、ダークモカチップフラペチーノで糖分を補充してくるのです」


「あはは、そっか〜。分かった、ありがとね」


「はいなのです」


 ドアをガチャリと閉めた。






 






 

 




 


 




 

 



 





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