第20話 誘い
(……何か、聞こえる気がする……誰かの、話し声?)
「お、気がついたか!」
耳に飛び込んできたのは、聞いたことのある男の声。そして近づいてくる複数の足音。
昼間の部屋の
「あの……ときの? ――っ!」
身体を動かすと、全身を駆け巡る鋭い痛み。ショーンはそれに耐えながら上半身を起こそうとした。
「ああっ、まだ動くな! そのままでいい。お前さんはあれから七日も眠っていたんだ。無理するな」
そんなショーンを慌てて制して、アレンはベッドの傍の椅子に腰かけた。
「驚いたぜ。ここに戻ってきたら、出会ったときよりひでぇ傷のお前さんが女性陣に囲まれて倒れてて……って、そういやぁお前さんには自己紹介がまだだったな。俺はアレンという。話は全部聞いた。ショーン、お前さん俺の仕事を手伝ってみる気はねえか?」
矢継ぎ早に繰り出される話。あまりに唐突な話に、ショーンは何が起こっているのかわからず目を
「お前さんは腕が立つ。ここまで旅をしながら生き抜いてきたんだろ? そのための知識も経験もそこらの人間よりずっとあるはずだ。けれど、金を稼ぐ
アレンはショーンをまっすぐに見て続けた。
「
アレンは慌てた様子で言った。ショーンはどう返してよいものかわからず、じっと話を聞き続ける。
「もちろん、その傷が
ポンとショーンの肩に触れて、アレンは立ち上がった。
「何故、そこまで俺を……」
アレンは立ち止まり、振り返らずに言った。
「だってお前、放っておけねえだろ……」
ぽつりと言うと、アレンは再びベッドの傍の椅子に戻って腰かけた。
「……お前さん、もう何年も一人で旅をしてきたんだろ」
「ああ」
「……お前さんを探している奴に見つからないよう、人とできるだけ関わらず、人里には最小限しか近づかなかった……違うか?」
「いや、その通りだ」
「やはりそうか……」
アレンは額に軽く手をやってから、何かを決心したように顔を上げた。
「ショーン、お前さんは強い。けどな、人の心ってやつを考えたことはあるか?」
アレンの真剣な瞳がまっすぐにショーンを見つめる。
「お前さんはその身を危険に
アレンの顔が曇る。
「かく言う俺も、血まみれで倒れているお前さんが見えたとき、お前さんが死んだと思って正直落ち込んだ。俺がもっと早くここに戻れば、こんなことにはならなかったんじゃねえかと本気で後悔した。……出会って間もない俺が言うのも何だが、お前さんという存在は、俺たちにとってそれだけ大きなものなんだ。わかるか?」
ショーンは目を見開いた。
「もっとお前さんに関わる人々の気持ちを考えて行動しろ! 自分の身体をもっと大事にしてやれ!」
「………すまない」
ショーンは伏し目がちに、消え入りそうな声で言った。アレンは
「……安心した。そんな顔ができるんだな。お前さんの心は死んじゃいねえ。なら大丈夫だ。お前さんは変われる。……俺のほうこそ、こんな言い方をして悪かった。お前さんが守ってくれなければ、俺たちは全員どうなっていたか……本当にありがとうな」
「いや、すべて俺が皆を巻き込んだことだ。礼を言われると困る……」
一呼吸置いて、アレンは続ける。
「そうかもしれねえが、お前さんが望んで起こしたことじゃねえだろう。それに、ここにいる俺たち全員がお前さんに生命を救われたのは、
アレンは微笑み、優しい眼差しでショーンを見た。
「俺はお前さんがどう変わるかを見てみたい。そして、できることなら、お前さんの求める答えとやらを俺も一緒に探してみたいんだ。……無理にとは言わねえが、さっきの仕事の話、考えといてくれよ」
踵を返したアレンの広い背中に、ショーンはあたたかな光を感じた。
「……手伝わせてほしい」
「ん?」
アレンは立ち止まって振り返った。
「俺で役に立てるのなら⋯⋯仕事、手伝わせてくれないか」
ショーンのまっすぐな視線が、驚いた顔のアレンに向けられる。
「本当にいいのか?」
「断る理由がない。いや……それでも、また腕輪を狙うものとの厄介事に巻き込むかもしれないという
アレンの顔が、みるみるうちに笑顔に変わる。
「いや、こんなにすんなり受けてくれると思わなかったんでな。ありがたい! 巻き込まれるのは覚悟の上だ。そこは気にすんな」
「それじゃ、お前さんの最初の仕事は、身体を万全にすることだ。この際、徹底的に治しておけ。お嬢さん方、申し訳ないが、こいつをしばらく預かってくれ」
「預かってくれって……アレンさん、どこかに行かれるんですか?」
エマが驚いた顔で
「ああ。俺は溜まった仕事を片付けてくる。しばらく留守にするが、こいつの治療にはちょうどいいだろう。傷が癒えて動けるようになってきたら、雑用をさせてもらって構わない。もちろん、かかった費用は請求してくれよ。金でも物でも、言ってくれれば用意する」
「いや、でもそれは――」
ショーンが口を挟もうとしたが、アレンはニッと笑ってそれを
「お前さんにはその分、元気になってから返してもらうから心配すんな」
「私も、ここでお手伝いをしながら、治療のことをいろいろ教えてもらえることになったんだよ。私も何かお仕事を手伝いたいから」
メラニーが笑顔で言うと、エマと司祭が顔を見合わせ、微笑みながら頷いた。
「さあ、そろそろショーンさんを休ませないと。目覚めてすぐこんなにいろいろ起こっては、気疲れしてしまうでしょうし」
司祭が言うと、エマは廊下に出ていき、すぐに戻ってきた。ベッドサイドのテーブルにカップと水、それから薬を用意する。
「ショーン、起きられる? さっきすごく痛そうだったから……私、手伝うね」
「ありがとう。助かる」
メラニーがショーンの上半身を起こすのを助け、寄りかかれるようにと準備していた枕を彼の背中の後ろにいくつか重ねてくれる。先ほど自分で起きようとしたときよりも、不思議と痛みはずっと弱く感じた。
鼻をくすぐる甘酸っぱい香り。サイドテーブルを見ると、カップに見覚えのあるトロリとした液体が入っている。
「少ないですが、あの日召し上がっていただいたのと同じ、桃の甘露煮を
「……ありがとう」
エマの言葉を聞いて、ショーンはカップを手に取った。包帯を巻かれた腕。この七日間で筋力が落ちたようだ。カップが重く感じる。
「それを飲んだら、お薬を飲んでゆっくり休もうね。私もショーンを支えられるように、いっぱい勉強するから。今はとにかく、身体を休めてあげてね」
そう言いながら、背中を支えてくれるメラニー。やわらかな彼女の体温が、心までをもあたためてくれているのだろうか。ショーンは言葉にならない想いで胸が熱くなるのを感じていた。
カップを唇に当て、桃の甘露煮を一口含む。香りと同じ、甘酸っぱい味が口いっぱいに広がり、全身に染み込んでくる。先日よりも美味しく感じる。
瞼を閉じ、ゆっくりと飲み込んだ。食道を通って胃に向かう桃を感じる。生きていることを、そして生かされていることを実感する。
一口、また一口、じっくり味わう。
熱い想いがこみ上げた。皆への感謝で胸がいっぱいになる。あたたかい気持ちで身体じゅうが満たされていく。
「それじゃ、俺はそろそろ行くわ。くれぐれも、無理すんじゃねえぞ」
そう言ってアレンは退室した。振り返らず、去り際に片手を上げて。それに続いて、司祭とエマもアレンを見送りに部屋を出ていった。
ショーンは桃の甘露煮を飲み終え、カップをサイドテーブルに戻す。
二人だけが残った部屋。メラニーが彼の背中から手を離し、申し訳なさそうな顔でベッドの
「……ごめんなさい。あの日のこと、全部話しちゃった」
「いや、それは問題ない。俺のほうこそ、君には苦労のかけ通しで……すまなかった」
ショーンはメラニーをまっすぐに見た。メラニーは微笑んで首を横に振った。
「ううん、大丈夫だよ。全然苦労だとは思ってないもん」
微笑むメラニーの頬を涙が一粒、ほろりと落ちる。
「あれ?」
「おかしいな。泣かないって決めてたのに⋯⋯」
涙をポロポロと
「
胸を
「ずるいな、ショーン――何も言えなくなっちゃうよ……」
メラニーは言葉を失い、ショーンの胸に顔を
(この子が笑顔でいられる世界を守りたい。そのために、俺には何ができるだろうか――)
メラニーを強く抱きしめながら、ショーンはそれを考え続けていた。
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