第18話 拷問

 触手に吊り上げられぐったりとしたショーンに、女はゆっくりと近づいた。


「いい格好ね。速いとは聞いていたけど、その身体であんなに動けるとは、正直驚いたわ」


 女の右手がショーンの顔に触れた。その指が何かをなぞるように首筋を滑る。


「あの男、また随分ずいぶんと入念にしるしを刻んだものねぇ。気持ちはわからなくもないけど」


 女の手が、力が入らずがっくりとうなだれたショーンのあごを持ち上げ、視線を合わせる。


「美しいわね。これだけ綺麗だと絵になるわ。いちゃいそう」

「身体の自由は奪えても、俺の心は変えられない」


 ショーンの鋭い視線にひるむことなく、女はクスリと笑った。


「まだそんなに喋れるの? さすがに腕輪を授かるだけのことはあるわね。普通の人間なら声を出すこともできないのに。半分精霊だから? それとも、あなたの持つ、その強い光の力のせいかしら」


(光の、力?)

 ショーンの疑問をよそに、女は続ける。


「……そうねぇ。このまま連れていってもいいのだけれど、この毒は即効性なだけにそれほど長くは効かないの。意識があると途中で暴れて逃げられそう」


 女の額のサークレットが妖しく光る。


「殺しはしないから安心してね。綺麗なこの顔にも、傷をつけずにおいてあげるわ」


 女が左の手を上げると、ショーンの胸に絡みついた触手が鳩尾みぞおち辺りをギリギリと締め上げはじめた。肋骨がきしむ。息がまともに吸えない。そのうえ、折れた肋骨を触手がグリグリと刺激しはじめた。胸に激痛が走る。肺から押し出された息に声帯が震わされ、彼の吐息に苦しげな声を混ぜた。


「さてと、お次は……」


 胸を締め上げている触手の鋭い先端が、ショーンの右肩に突き刺さる。


「あぐッ!」


 鋭い痛みに、こらえきれずに漏れた声。その声を、彼は必死に飲み込む。これを皮切りに、先端の尖った無数の触手がショーンに襲いかかった。脚に、腕に、腹に――急所を外して次々と浅く刺さっていく、いくつもの触手。ショーンの顔が苦痛に歪む。


「背中は刺しちゃダメよ。内臓が近いから殺しちゃうかも。打つだけにしなさい。脇腹も急所だから気をつけてね。あとは腱を切ると治療が厄介だから、関節もやめておきましょう」


 ショーンの背中を狙っていた触手が脇腹に浅く突き刺さった。ショーンの口から、荒い息とともに苦しげな声が微かに漏れる。


「うふふ、いい顔ね。それに色気のある素敵な声。ゾクゾクしちゃう。我慢することはないわ。声ももっと聞かせてちょうだい」


 彼の身体じゅうに浅く刺さった無数の触手が一斉に抜かれ、バラバラに同じ箇所を何度も何度も執拗しつように突きはじめる。

 激痛にたまらずショーンは身じろぎ苦悶の声を上げた。飛び散る血。その飛沫しぶきが、彼の青白い頬に色を添える。


 突くのに飽きると魔物はグリグリと触手を動かして傷口を広げていった。別の触手がむちのように背中の傷を打ちつける。


 全身を駆けめぐり脳天へと突き抜ける痛み。身体がまともに動かない分、敏感になった神経が痛みを増幅させているような気がする。打たれるたび、刺されるたび、遠のく意識をショーンは必死に呼び戻す。


「ずいぶん頑張るわね。どう? おとなしく一緒に来てくれるなら、やめてもいいけど」

生憎あいにく、痛みには……強い、たちでな。ぐッ……拷問には――屈し、ないッ!」


 吐き捨てるようなショーンの言葉に、女は愉しげに笑った。


「確かに、肉体的な痛みだけの拷問には強そうね。けれど、いつまでそう言っていられるかしら」


 女が人差し指を立て、軽く振る。焼けるような痛み。一本の触手がショーンの腹に深く突き刺さり、うねる。


 激痛にショーンが身悶みもだえ苦しげに叫ぶと、女は笑いながら彼から視線を外した。

 流し見た女の視線の先には、建物から飛び出したエマの姿があった。


「やめて! もう、やめて!」


 声の限りに叫ぶエマ。その声を聞いて、ショーンはわずかに顔を上げた。


「ダメ、だ。出て、くるなッ……」


 ショーンのかすれた声は、彼女に届かない。


「どうして……どうしてこんなひどいことができるのですか。ショーンさんが何をしたというの? 彼を放しなさい!」

「彼は何もしていないわ。ただ腕輪に選ばれただけ」


 笑う女を睨みつけたエマ。その顔が、みるみる驚きの表情に塗り変わっていく。


「……その顔、その声………まさか……そんなはず……」

「どうしたの? お嬢さん」

「あなたは……司祭……さま?」


 消え入りそうな声で司祭と呼ばれた女の額で、サークレットが鈍い光を帯びる。


「なぁに、あなたの知り合い? もしそうだったら、どうするの?」


 サークレットの光が強まる。ショーンがその変化に気づいた。肌にビリビリと刺さるような、禍々まがまがしい気配に。


「エ、マッ! ――逃ッ――げ―――ろッ!」


 ぐったりと吊られて絶えずなぶられ続けながら、ショーンが声を絞り出す。


「ほら、彼の言うとおり逃げたほうがいいんじゃない? 危ないわよ」


 女の手が額のサークレットにかざされ、その指先にも禍々しい色の光が宿る。


「どうせあなたには何もできないでしょ?」


 その指先がショーンの額に触れる。


「あ……あ………あッ!」


 ショーンの身体が震えだし、その目が大きく見開かれた。


(この感覚――このままではまずい!)


 触れられた額が熱い。ショーンはなんとかその光から逃れようと、力を振り絞って首を振るが、女の指は吸いついたように彼の額から離れない。


「ショーンさん!」

「強い光は深い影を作るもの。あなたの意識を封じ込めて、その深い影の力を解き放ってあげる。安心なさい。抵抗しなければすぐに気持ちよくなれるわ。さあ、私のものになりなさい!」


 女の指先がひときわ強烈な光を放つ。女はその光を、ショーンの額に貼りつけた。額から脳に直接、赤く熱したくさびを打ち込まれたような衝撃が走る。


「うあああアァ!!」


 ビクンッとショーンの身体が跳ねた。

 魂を絞り出すような彼の叫びが響き渡る。

 額に禍々しい光を貼り付けたまま、ショーンは空をあおいで叫び続けた。それまでとは異質の叫び声。


 弛緩毒しかんどくの作用が切れたのか、はたまた苦痛が毒の効果を上回っているのか――ショーンは叫びながら激しく身悶え暴れ続ける。その尋常じんじょうではないショーンの苦しみようを見て、戸惑いを隠せなかったエマは意を決して女を睨みつけた。


「私にも、できることはあります!」


 エマは両手を合わせ、天に祈りはじめた。その手に生まれたあたたかな光が、彼女の全身を包んでいく。


「邪魔をするなら容赦はしないわよ」


 女の声に反応して、魔物の触手が勢いよくエマに向かって伸びはじめた。


「や――め――ろぉぉ!」


 エマの危機を察して、ショーンが叫ぶ。

 その叫びに呼応して、腕輪が強い光を放った。響き渡る魔物の悲鳴。腕輪の光に当たった触手が、溶けるように消えていく。

 と同時に、白い風がエマをさらう。彼女のすぐそばまで迫っていた触手の先端は、獲物を失い宙を掴んで地面に落ちた。


「大丈夫? 怪我はないですか?」

「メラニーさん? ………天使……さま?」


 充分に離れたところに降り立つと、メラニーはエマを地面に下ろした。


「話は後で。先ほどあなたが集めてくれた祈りの光、使わせてもらいますね」


 そう言ってメラニーはエマの両手を包むように撫で、彼女の祈りで生まれた浄化の光を掌に集めた。翼を広げ、再びショーンのもとへと向かう。


「あああァッ! ぐっう……あっ!」


 触手から解放されたショーンは、両手で額をくようにしながら地面をのた打ち、激しく身悶えながら声をあげ続けていた。

(息が苦しい。全身が、たまらなく熱い――何だ? この全身を駆けめぐる感覚――先日のあれとはまるで違う――ただの苦痛ではない)


「自分がそんな状況でも他人を守ろうとするなんて……どれだけ強い精神力なの? でも、今のでだいぶ気持ちよくなったみたいね。随分とつやっぽい声を混ぜちゃって」


 彼の額にはまだあの光が貼りついている。その中心に、同じ色の小さな石の結晶が生まれて育ちつつある。彼は呻き、悶え、叫びながらそれを掻き取ろうとするが、指先は石をすり抜けてしまう。額ににじむ血。苦痛と快楽がぜになった強烈な刺激が絶え間なくショーンを攻めさいなむ。


(痛みだけなら耐えられる。けれどこの感覚――このままさらされ続ければ正気でいられなくなる)


「ん……っ――俺は、こんっ、な、ものに――負け、はッ――ッああァッぐっ! あッ――」

「強がっちゃって。強烈なその感覚に、耐えきれるはずがないわ。ほら、そんなに激しく悶えて叫び続けて。呼吸もまともにできないくらい気持ちいいんでしょ?」


 女の手がショーンの胸に軽く触れる。とたんにショーンの身体を強い快感が稲妻のように駆けめぐった。抵抗したいのに、思うように身体が動かない。息が詰まる。声も出せない。女の腕を掴むことすら、今の彼にはできなかった。


「どんなに身悶えたって逃れられはしないわ。もうかなりギリギリって顔してるわよ。……光の力が弱まってる。うふふ、もう一歩ね。後押ししてあげる」


 女の額のサークレットが妖しく輝き、指先からショーンに向かって赤黒い光がたっぷりと注がれた。ショーンの胸から女の手が離れると、その禍々しい光が彼の全身を包みこむ。全身を駆けめぐる、血が煮えたぎるような刺激。彼の身体がビクンッと弾かれるように仰け反った。


(熱い――息が、できない――精神が、か――れ――る)


 光が額の石に吸い込まれるように入っていくと、石は一段と大きく育つ。今まで以上に激しい刺激に、身体が異常な興奮状態におちいった。制御がきかない。

 ショーンはその身を痙攣けいれんさせ、息も絶え絶えに叫ぶ。


(身体が、疼く――石が、影――快――増幅――正気、保て、な――得体のしれないこの感覚――この、ままでは――呑み――込まれッ――る)


 身体じゅうが熱い。身悶え逃れようとしても逃れられない、狂おしいほどに激しい苦痛と快楽。快楽が苦痛に勝っていく。だんだん頭の中が真っ白に染まっていく。何も考えられなくなってくる。何もかも壊したい衝動が湧き上がる。理性が利かなくなってくる。

 今まで感じたことのないどす黒い快感が背骨を駆けのぼり、脳へと一気に突き抜けた。


「――ッああああぁ――ん――あアッ!――」


 ショーンは再び仰け反りその身を激しく痙攣させ、ひときわ強く絶叫する。


(意識が、飛ぶ――影に――快楽に、呑まれ、る――限、界――もう、衝動、抑え―…きれ……な……い……)

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