第13話 修道院

 夕刻。扉を激しく叩く音がする。切羽詰まったような男の声も。


「便利屋のアレンだ。ここが男禁制の修道院なのはわかっている。けれど、ことは一刻を争う。すまんが開けてくれないか」


 ただならぬ気配に、彼女は急いで扉へと向かった。


「今、扉を開けます。少々お待ちください」



 扉を開けた彼女の目に飛び込んできたのは、馴染みのアレンと、アレンの腕に抱かれてぐったりとしている長い銀髪の人。男性とも女性ともつかないその人は血まみれで、一目で危険な状態だとわかるほど呼吸が弱々しい。そしてそれをアレンの背後から心配そうに見つめる若い娘の姿も見える。


「こんな時間に悪い。エマ、こいつは俺たちの生命の恩人なんだ。この姉ちゃんと満身創痍まんしんそういのこいつを森で拾ったんだが、途中で珍しく魔物が出て――この男、俺たちを魔物から逃すために、こんな傷だらけの弱った身体で馬車から飛び降りて一人で戦いやがって――」


 アレンの腕の中で、青年が小さくうめいた。意識のない青年の身体から、ぽたりぽたりと雫が落ちて地面を赤く濡らしていく。


「頼む。応急処置はしたんだが傷が深くて――一刻を争うんだ。こいつを助けてやってくれ。こっちの姉ちゃんも一緒に」

「わかりました。さあ、こちらへ。早く」

「ありがとう。恩に着る」


 案内された部屋の処置用ベッドにショーンを横たえる。ショーンにかけていたマントを外し、手早く彼の包帯を解き終えると、アレンはすまなそうに言った。


「悪い。俺はこの先の街に行かなきゃならない用があるんだ。三、四日かかるが、用事が済んだら様子を見に戻ってきてもいいか?」

「もちろんです」

「ありがとう。よろしく頼む」


 アレンは顔を上げて辺りを見回した。


「ところで司祭は?」

「司祭さまは央都おうとの本部に呼ばれて出かけていて……あと数日で戻られると思うのですが」

「そうか。お前さん一人か……。そんな大変なときに悪いな。俺で役に立てることがあれば言ってくれ」


 アレンと名乗った御者ぎょしゃは、メラニーのかたわらに来て肩にポンと手を置いた。


「姉ちゃん、お前さんもしっかり休ませてもらえよ。この人たちの治療技術は高い。ここなら安心してこいつを任せられる」

「アレンさん、本当にありがとうございます。あの、申し遅れましたが、私はメラニー、彼はショーンといいます。何とお礼を言ってよいか……」

「礼なんざぁ、こいつが目をましてからでいい。大丈夫、あの身体であんだけ動けたんだ。しかもあんだけの数のすばしっこい魔物を相手にしながら、無傷で全部倒していやがった。こいつは強い。目を醒ませばすぐにでも動こうとするだろう。無茶しないように、お前さんがしっかり見張らねえとな」


 アレンは人懐っこい笑みをメラニーに向けた。その笑みは、不思議なほど彼女を勇気づけた。


「はい」


 メラニーは、つられて笑顔で返事をした。


「お、やっと笑ったな。その意気だ。こいつが目を醒ましたら、お前さんのその笑顔を見せてやるといい。おそらくどんな薬より、こいつには効くはずだ」


 アレンはメラニーの肩から手を放し、エマを振り返った。


「エマ、何か必要なものがあれば言ってくれ。街で仕入れてくる」

「ありがとうございます。ではガーゼと包帯、それから……あ! 薬品庫で今すぐ取っていただきたいものが。私の背では踏み台を使っても届くかどうかで……」

「おう、お安いご用だ」


 ヒグマを思わせる大柄なアレンと、メラニーよりも頭ひとつ分くらい小柄なエマ。親子かと思えるほどの身長差がある。そんな二人が部屋から出ていくのを見送ったメラニーは、小さな物音に振り返って処置用ベッドのショーンを見た。苦しげな息を吐きながら身じろぎ、ショーンがうっすらと目を開けている。


「ショーン!」


 メラニーが慌てて駆け寄ると、ショーンはすでに再びまぶたを閉じて昏々こんこんと眠っていた。

 メラニーはショーンの手に触れた。指先こそ冷えてはいるが、その手は熱く、汗ばんでいる。意識がないはずの彼の手からは、生きようとする強い意志がメラニーに流れ込んでくる。


「大丈夫だよ。絶対、助けるんだから」


 メラニーがささやいたそのとき、再びエマが部屋に戻ってきた。


「メラニーさん、でしたよね。お手伝いいただけませんでしょうか」

「はい、もちろん。何をすれば?」


 メラニーより少し年上といったくらいだろうか。エマは落ち着いた様子で言った。


「お隣の部屋でお湯を沸かしています。そろそろ人肌くらいに温まったと思うので、柄杓ひしゃくで鍋の近くにある小さめのたらいに半分くらい入れて、こちらに運んできていただけませんか?」

「わかりました。すぐ持ってきます」



 ショーンを別室の治療用ベッドに移して、二人は一息ついた。夜のとばりが降りて、月明かりが庭の木々を照らしている。ランプの小さな明かりに照らされたショーンの顔も、心なしか安らいで見える。


「ありがとうございます。お手伝いいただいたおかげで、処置が早く終わりました」

「こちらこそ、ショーンを助けてくださって、本当にありがとうございます」


 エマとメラニーはショーンのベッドの傍らで微笑みあった。


「おなかもすいたでしょう。簡単なものしかありませんが、あちらの食堂でお食事にしませんか?」


 メラニーは少し迷ったあと、エマに答えた。


「ありがとうございます。あの、わがままなのは承知していますが……ここで食べてはダメでしょうか? できればショーンのそばを離れたくなくて……」


 エマは微笑んで答える。


「わかりました。それでは、こちらに持ってまいりますね」


 そう言って一礼したあと、エマは部屋を出ていった。


 メラニーはベッドの傍らに置かれた椅子に座り、彼の姿を見ていた。処置の最中には時折うなされて苦しげに呻いていたショーン。今は深く眠っているようだ。


 そういえば、昨日の夕方にショーンの作ってくれたスープを飲んだのが最後の食事だった。空腹を感じているひまもないほど、いろいろなことがあった。それこそ、ありすぎるくらいに。

 そんなことを考えていると、急に睡魔が襲ってきた。睡魔に抗いきれずメラニーがうとうとと舟をこぎはじめた頃、エマが食事を載せたワゴンを押して部屋に戻ってきた。


「お疲れのようですね。お食事を少しでもいいからお召し上がりになって、今夜はお休みください。お隣の部屋はご自由にお使いくださいね」

「ありがとうございます。でも、今夜はショーンの傍にいさせてください」


 メラニーの言葉に、エマは一瞬迷ったように視線を泳がせた。しかしすぐに、部屋の隅の長椅子を見て意を固めたように頷いた。


「わかりました。では布団を用意しますので、その長椅子をお使いください。ただし、今夜は必ず休むこと。今夜は私もここにいますので、何かあったら起こします。あなたが倒れたらきっと、彼が悲しみます。だから今夜はしっかり休んでください」

「ありがとうございます!」


 メラニーは心からの感謝を込めて、深々と頭を下げた。


「さあ、冷めないうちにどうぞ」


 エマはワゴンを長椅子の傍に止め、穏やかな笑顔でメラニーを招く。メラニーが長椅子に座ると、目の前のワゴンにはカップに入ったコーンポタージュスープと、ずっしりとしているが柔らかそうなロールパンがひとつ載っている。甘く柔らかな香りが鼻腔をくすぐる。


「いただきます」


 スープを一口含むと、自然な甘さに疲れが溶けて薄まっていくような気がした。


「美味しい!」


 飲み込むとすぐに出てきた言葉。エマは微笑みながらそれを見ている。


「お口に合って良かったです。私もいただきますね」


 エマが祈りを捧げてから食事を始める。メラニーはゆっくりとその甘さを味わいながら、スープとパンを平らげた。



 食事を終えてメラニーのための寝具を用意すると、エマは少し迷いながら口を開いた。


うかがって良いものか迷いますが……ショーンさんの傷は、事故やただの魔物につけられたものではなさそうに見えます。……相手は、人ですか?」

「……はい。私もあれが誰なのか、目的が何なのか、はっきりとはわからないのですが……」


 そう前置きして、メラニーは今までの経緯をまんでエマに話した。彼の腕輪のこと。彼が子供の頃に村を襲われて故郷を離れなければならなかったと話していたこと。そして昨晩襲ってきた相手もおそらくその関係者であること。

 話しながらメラニーは、昨夜の男のことを考えていた。そういえば今朝、あの男の死体を見た覚えがない。ショーンのことで懸命けんめいになっていたとはいえ、長身の男の死骸しがいがまるで目に入らないとは考えづらい。あの男は、あのあとどうなったのだろう?


「この先も、まだ狙われ続けるだろうと彼は言っていました。こちらにご迷惑をかけないと良いのですが……」

「いいえ、大丈夫です。ここは教会の中。結界があるので、少なくとも魔物はそう簡単に入ってこられません。人を入れないことは難しいのですが、人ならばここで争うことに抵抗を感じる者も多いでしょうし、治療しながら感じていた彼の強い光の力も、教会の光がかくみのになるでしょう」


 エマは柔らかく微笑んだ。


「話してくださって、ありがとうございます。そんな事情でしたらなおのこと、今夜はゆっくりお休みくださいね。ショーンさんの看病は、私が責任を持って務めます」

「本当に、ありがとうございます。お言葉に甘えて、今は休みます。おやすみなさい」

「おやすみなさい」


 メラニーは長椅子の寝具にもぐり込んだ。相当疲れていたのだろう。すぐに強い眠気に襲われ、メラニーは気を失うように深い眠りに落ちていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る