第12話 襲撃

 馬車は勢いよく走りはじめた。硬い荷台は凸凹な路面の衝撃をそのまま乗り手に伝える。


 荷台が大きく揺れるたび、ショーンの身体が小さく跳ねた。小さな振動も、絶え間なく傷口の神経を刺激し続ける。

 にじむ脂汗。苦しげな荒い吐息。身体が跳ねるたびにかすかにれる声。ショーンは奥歯を噛み締め、必死に痛みに耐えていた。

 メラニーはそんなショーンの手をしっかりと握りしめた。それが気休めでしかないことはわかっている。けれど、苦しむ彼の姿をただ見ているだけしかできない自分が、メラニーには歯がゆかった。


 しばらく馬車に揺られていると、突然ショーンがカッと目を見開いた。


(何かの気配を感じる。気配というよりは、殺気――)


 ショーンは勢いよく起き上がった。緊迫した表情で、急いで立て膝の体勢をとる。彼の左手首の腕輪が光り、その手に東国風の美しい剣『蒼月』が現れた。


「どうしたの?」

「二人とも伏せろ!」


 ショーンの声に、メラニーと御者が姿勢を低くした。蒼月が鞘走さやばしる。それと同時に、大きな狼を思わせる魔物が一頭、茂みの中から荷台めがけて飛び込んできた。ショーンの剣が間一髪で魔物を両断し、侵入を阻止する。


「俺の血の匂いに誘われたか……まだ何頭かついてきている。奴らは速い。この馬車では振り切れない。馬がやられれば全員死ぬ」

「おいっ! まさか――」


 ハッとした御者ぎょしゃが身を起こし、振り返る。


「行け! ここは俺がくい止める。この子を頼む!」

「ショーン、ダメ!」

「やめ――」


 止める間もなく、ショーンは荷台から飛び降りていた。しかし青年の言った通り、生き延びるにはそれしか手がないだろうことも御者にはわかっている。――御者は葛藤した。あの身体では無茶だ。本当は今すぐ馬車を止めて助けに向かいたい。けれどそれをすれば、あの青年の行為は無駄になる。


「く……そッ! 死ぬなよバカ野郎!」


 軽くなった馬車は速度を上げた。御者はそのまま馬車を走らせた。



 地面を転がり衝撃を殺し、ショーンは急いで立ち上がる。

 馬車が走り去る音を背後に聞きながら、ショーンは魔物と対峙たいじしていた。先ほど荷台に飛び込んできたものと同じ、大きめの狼を思わせる魔物の群れだ。正面に見えている三頭以外に、茂みに隠れたものの気配がある。隠れているのは三頭……いや、背後に回り込んだものも含めれば五頭か。全部で八頭。ショーンを囲み、ジリジリと距離を縮めてくる。


(どうやら、全部こちらに引きつけられたようだな)


 絶え間なく襲いくる痛みと高熱で意識が朦朧もうろうとする。ショーンは左手で右脇腹の傷を押さえながら低い重心で立ち、荒い息を整えようとしていた。

 馬車の振動に刺激され続けた傷口の痛みが全身に広がり、心臓と同じ鼓動を刻む。寒い。視界が暗い。頭がまともに回っていない。震えよろめく身体。正直、立っているのもつらい。少し油断すれば、その場でへたり込んでしまうだろう。いや、そんな生易なまやさしいことで済めばよいが、一瞬でも意識を失くせば………。


(とにかく、一気に片をつけなければられる)


 ショーンは静かにまぶたを閉じ、自然体で立った。水に広がった波紋が静まるように、すうっと心が静まっていく。感覚が、まされる。


 魔物たちの気配が動いた。うなりを上げ、茂みから一斉に飛び出してショーンに襲いかかる。

 ショーンは目をカッと見開き、剣を振るった。

 回り、仰け反り、飛び退き、踏み込み……まるで舞うような美しい動き。全く無駄のない動きで、彼に向かって飛びかかってきた魔物を的確に仕留めていく。苦しませるのを躊躇ためらうように、急所を狙い、すべてを一刀のもとに斬り捨てる。


 またたく間に、ショーンの周りには魔物の死体が連なった。動くものは、もういない。再び戻った静寂の中、響くのは青年の荒い息遣いきづかいだけ……。




 馬に全力疾走をさせるにも限界がある。馬車は少しずつ速度を落とし、そこから二キロメートル近く離れた道幅の広い場所まで走って止まった。御者は辺りを見回し、魔物の気配がないのを確認すると娘を振り返った。


「もういいだろう。こっちについてきたやつはいないようだ。姉ちゃん、大丈夫か?」

「はい、私は大丈夫です。でも……」

「兄ちゃんが気になるんだな」

「はい……」


 うつむく娘の気持ちが、御者には痛いほど伝わってきた。

 あの青年を助けたい。それは御者も同じだ。けれど、どんな結果になっているかがわからない以上、娘を連れてあそこに戻ることもはばかられる。この娘を危険にさらすのは、あの青年が一番望んでいないことだろう。その気持ちもわかる。しかし……葛藤が止まらない。


「あいつの意志を尊重するなら、このまま姉ちゃんを安全なところまで連れていって、俺だけが戻るべきだ。けれど、そんな悠長ゆうちょうなことをしていたら、生き残れていたとしてもあいつの身体はたぶん持たん。俺としちゃ、できればこのままあいつを迎えに戻りたい。だが、あそこに戻って万が一あいつがやられてたとしたら、俺たちも魔物のえさになるかもしれん。……姉ちゃんを危険にさらすのは俺としても不本意なんだが、俺以上にきっとあいつがそれを望んでいない。それでも、やっぱり俺はあいつを放っておけない。あいつが生きているなら助けたい。……俺も全力で姉ちゃんを守る。危ない目に遭わせるかもしれんが、戻ってもいいか?」


 御者の声に顔を上げた娘。その顔に迷いはない。


「それでも、構いません。私も助けに戻りたい」


 娘の思い詰めたような顔を見て、御者は安心させるように少し表情を緩めた。


「わかった。それじゃ、そろそろあいつを迎えにいこう」

「はい、お願いします!」


 娘が真剣な眼差しで答える。御者は力強くうなずき正面に向き直ると、愛馬に優しく触れて声をかけた。


「すまないな。怖いだろうが、もう一度戻ってくれ」


 御者の意志をんでか、馬は素直に向きを変え、もと来た方向へと慎重に進みはじめた。



 遠くに人影が見える。その足下あしもとに、いくつもの黒いかたまりが転がっている。離れていてもわかる、せかえるような血の匂い。その中心に立ち肩で息をしている人影が、ぐらりと大きく揺らいだ。がっくりと地面に両膝を突き、そのままうつ伏せに倒れ込む。


「ショーン!」


 悲鳴にも似た声で背後の娘が叫んだ。


「おい! しっかりしろ!」


 血の匂いにおびえた馬が暴れないよう、少し離れた道幅の広い場所で馬車を止める。御者は青年に声をかけたあと、今にも飛び出しそうな荷台の娘を振り返り、その腕を掴んだ。


「待て! 姉ちゃんはここにいろ!」

「でもっ――」


 納得いかなそうな娘の言葉をさえぎって、御者は続ける。


「万が一ってこともある。お前さんに何かあったら、あの兄ちゃんが一番悲しむ。気持ちはわかるが、頼むからここで待っていてくれ」

「………わかりました」

「すまん……ありがとな」


 御者は娘の腕を放して馬車から飛び降り、急いでその人影に駆け寄った。青年の左腕にまった腕輪が輝き、右手に握られた剣が吸われるように消えていく。


「けけけ、剣が腕輪に?! ……いや、今はそんなことに驚いている場合じゃねえだろ!」


 御者はそう自分に言い聞かせると、倒れた青年を仰向けにしながら慎重に抱き起こす。


「おい! しっかりしろ!」

「うぅッ………大、丈夫だ。生きている。まだ、痛みも……感じて、いるし……な」


 うっすらと目を開け眉間にしわを寄せ、苦しげなかすれ声で青年は呟いた。浅く、途切れ途切れの呼吸。御者に抱き上げられた身体は一瞬痛みに強ばったあと、ぐったりとして動く気配もない。腕からこぼれ落ちそうな青年の頭を手で支えながら御者は言った。


「どこが大丈夫だ! 無茶しやがって……首がわってねえぞ! 自力で動くこともできねえじゃねえか……」


 ざっと見る限り、新たな傷はないようだ。しかし、応急処置をした傷口が開いたのか、白かった包帯がじわじわと赤く染まっていく。

 青年の右手が何かを言いたげにわずかに動く。それに気づいた御者は青年の口に耳を近づけた。


「ありが……とう。あの子を、守って……くれ……て……」


 消え入りそうな微かな声でそれだけ言うと、御者の腕の中で青年は静かに意識を手放した。ぐったりとした身体から更に力が抜け、ずっしりと重くなる。


 御者の手元にはもう応急処置してやれるだけの包帯の持ち合わせはない。それに、これ以上 蟾酥せんそを使えば、この青年には毒になるかもしれない。

 そうなると、この青年を助けるには一刻も早く知り合いのいる修道院に駆け込むしかない。けれどそこまではまだだいぶ距離がある。急いでも小一時間はかかるだろう。


「何言ってんだ。俺たちを守ったのはお前さんだろうが……くそっ、急いでも夕刻ってとこか……死ぬなよバカ野郎ッ」


 御者は青年を慎重にかつぎ上げた。馬車に運び、荷台に横たえる。顔面蒼白になった娘が祈るように青年の手を握る。

 御者は急いで馬車に飛び乗り、手綱を握りしめた。愛馬に優しく触れ、声をかける。


「すまんな。疲れただろうが、もうひとっ走り頑張ってくれよ。あいつの生命がかかってるんだ」


 主人の声に答えるように一声 いななくと、馬は飛ぶように駆け出した。

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