漂泊の民と野営料理

@amemaru237

漂泊の民と山羊乳スープ

「銀貨で三枚」

「ふざけんな、七枚だ」

「どうせ見切り品だろ? そっちこそぼったくりだぜ」

「六枚」

「三」

「五」

「三」

「五だ!」

「四」

「えいくそ、それでいい! とっとと持ってけ!」

 やけくそのような商人の声悠々と頷いて、スヴェンは山羊乳が入った革袋を遠慮なく受け取った。癖のある黒髪をかき上げ、改めて露店の品揃えをぐるりと見回す。

「ちょっと色付けたんだから、ついでにそこのチーズもくれねぇ?」

「何処まで図々しい餓鬼だテメェ! これ以上はまからねぇぞ!」

 いつから店頭に並んでいたのか解らないぐらい萎びたチーズなら、上等だろうと思ったのだが流石に我慢ならないらしい。

 街道沿いとはいえ、王都からかなり離れた辺境の治安は良いとは言えず、露天商ですら腰元に鉈の一つも下げている街だ。欲張りすぎたかね、とスヴェンが矛を収めようとした時、日の光がふいに陰った。息巻いていた商人が口をぱくぱくと無言のまま開閉しながら、スヴェンの後ろを見ている。それで、彼自身も漸く誰が来たのかを気が付いた。

「まだ終わらぬか」

「赤紫(マゼンタ)の旦那」

 ひょいと顔を仰のかせると、丁度頭の上に、鱗に包まれた顎が見える。ヒュームよりも大きな体躯を持ち、その身を龍の恩寵である鱗に包んだ蜥蜴人リザードマン――名は彼らのしきたり従うのなら”水芭蕉の赤紫鱗マゼンタスケイル”と呼ぶ――は、いくらこの街に漂泊の民が多く集まるとしても、非常に珍しいものだった。

 表情は全く動かず、瞳孔が縦に長い大きな目がぎょろりと睥睨してきても、スヴェンは全く動じることなく、素直に謝った。

「悪いね、待たせて」

「構わぬ。旅に必要なものなのであろ。手は要るか?」

 シュ、と鋭い呼吸音のような音が、蜥蜴人の尖った鼻先から漏れる。そして薄い皮膜に包まれた金色の瞳がぎょろりと商人を睨み付けた。

「わ――解った! チーズもくれてやるからとっとと帰ってくれ!」

「お、いいのかい? それじゃあ遠慮なく」

 蜥蜴人を初めて見たのかもしれない商人はすっかり怯え、形の崩れたチーズを適当に袋に詰めると放り渡してきた。幸運に口の端をにいと持ち上げ、スヴェンは蜥蜴人の肩をぽんと叩いて促す。大きな顎が僅かに引かれ、のしのしと歩き出す赤紫鱗に並んで続いた。

「結局手伝って貰っちまったなぁ」

「我は、何もしておらぬ」

「傍に立ってるだけでハッタリになるのさ。俺もこいつのせいで、舐められることも多いしな」

 重くなった荷物を満足げに背負い直しながら、スヴェンはついと自分の手指を頬に滑らせる。そこにはかなり薄れてはいたが、奇妙な形の火傷が残っていた。――罪人の証として、焼き鏝を押し付けられたものだ。

 一度の罪ならば腕、二度ならば足、顔に押されるのは三度目か、一度目でも罪状が更に重いものに対して与えられる見せしめ。この焼印を押された者は、法に守られず国内に定住することも許されない。漂泊の民になるしかないのだ。

 そんな只人の世界の法など、本来は南方の密林に住まう蜥蜴人にとっては何の縛りにもならない。ただ、シュウと先刻より長く息を吐いて、スヴェンの頬を鉤爪で傷つけぬよう、指の背だけでそっと撫ぜた。ひやりと冷たい鱗の感触に、僅かに肩を竦める。

「そろそろまた、“治癒”をかけるか」

「いらねぇよ、完全に消すまでもねぇ。無駄撃ちすんなって」

 只人でも珍しい、蜥蜴人の中では更に貴重とされる魔法の素質を持つ赤紫鱗は、呪術師としての腕も確かなものだ。一日に三回しか使えない奇跡を、痛みも無い傷にかける必要など無い、とスヴェンは本気で思うのだが。

「無駄ではあるまい。貴様の誇りを取り戻すための呪だ」

「あー、はいはいはい」

 生まれてこの方、他人にあまり大事にされてこなかった自覚があるスヴェンにとって、淡々と告げられる慈しみにはくすぐったさしかない。頬をかりかり掻いて、話を逸らすために声を張り上げた。

「今日の飯は少し豪勢にするから勘弁してくれ。宿には泊まりてぇけど――」

 声が途中で途切れたのは、大通りの露店で声を張り上げる、見世物小屋の呼び込みが目に入ったからだった。

「さぁさぁ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい! 今日の目玉はコイツ、巨人族の生き残りだ! 近づいたらあっという間に目玉を抉り取られるぞ!」

 呼び込みの後ろには狭い檻があり、その中に両手両足を折り畳んだ女が一人、詰め込まれていた。謳い文句に相違なく、恐らく檻から出て立ち上がれば体長は、スヴェンは勿論赤紫鱗よりも大きいだろう。服とはとても言えないような襤褸布を一枚纏い、青色の髪は伸び放題。髪の間から覗く瞳はやはり美しい青だったが、随分と怯えた光を湛えていた。

「今は檻に入れているからこれこの通り、大人しいが。嘗ては灰色狼を三十匹、素手で捻り殺した恐ろしい奴さ!」

 そんな風に嘯きながら、呼び込みは持っている杖を遠慮なく檻の隙間に差し込み、逃げ場のない女の体を突いて叩く。僅かな呻き声が聞こえたので、スヴェンは不快そうに眉を顰めた。国同士の戦争が続いて治安や経済が悪化し、こんな商売が成り立つ程度には人心も乱れてはいるけれど、決して見ていて愉快なものでもない。自分もつい半年程前まで、同じような境遇だったのだから尚更だ。

「何が巨人だか。どうせ知恵の回らねぇ図体のでかい奴をそう見せてるだけだろうに」

「――否」

 苛立ち交じりに吐き捨てたスヴェンに対し、赤紫鱗はいつも通り抑揚のない声で否を唱えた。

「え?」

「恐らくあれは、本物だ。拙いな」

「へ、旦那――ちょっと!?」

 スヴェンが驚いているうちに、赤紫鱗はのしのしと人垣を掻き分けて進み、すぐに檻の前まで辿り着いた。

「お、お客さん? あんまり近づかない方が良いぜ、危ないから――」

『――汝に問う。我が声が聞こえるか』

 スヴェンを初め、周りの只人達には、赤紫鱗が喉から出したのは只の唸り声にしか聞こえなかった。

 しかし、檻の中の女にとっては劇的な変化を齎す。はっと顔を上げ、狭い中で無理に体をよじらせて、ごつんと天板に頭をぶつけてしまう。巨人が暴れていると観客が慄く中、女の喉からも、先刻のものとよく似た唸り声――というより、どこか節のある歌のようにも聞こえる音が漏れた。

『――だれ? だれ!? 声、わかる!?』

 さっぱり内容は解らないが、どうやら彼らが「会話」をしたのだということに、スヴェンだけは気付くことが出来た。赤紫鱗はやはり表情は動かないが、次に発した共通語には僅かな重みが加わっていた。

「やはりか。貴様、今すぐこれを解放せよ。災厄は貴様だけでなくこの街にも及ぶ」

「は? あ、あんた何言って――」

「丘の巨人は情が強い。子を取られた親は何があろうと取り返し、報復をする。両手両足をもぎ取られたく無ければ、子を逃がせ」

「子、っつってもこの女は」

「返答は如何に。是か、否か」

 ずいと一歩、赤紫鱗が前に出る。こうなると彼が全く引かない事を、スヴェンは短くない付き合いで知っていたので、表面上はやれやれと溜息を吐き、軽い足取りで――さりげなく彼の背に隠れ、檻に近づく。周りの人々も突然現れた世迷言を言う蜥蜴人に注目している為、気づかれない。

「……? ぁ、」

 唯一気づいた檻の中の女が声をあげそうになったので、軽く自分の唇に指を当てて制する。理解の光が灯った瞳を見せて、両手で口を覆いこくこく頷く女に軽く笑い、檻の大きな錠前を掴む。耳の裏から取り出した細い針金を鍵穴に入れ、中を探る。でかい割に単純な形の錠前で、あまり時間を取らずに外すことが出来た。

「い、いい加減にしろよあんた! 蜥蜴人だか何だか知らねぇが、こっちにゃこいつを買った証文もあるんだ! それを勝手に手放せなんざ――」

「こいつで足りるかい?」

「へっ」

 ついに声を荒げた呼び込みに、スヴェンはぽいと自分の財布――先刻の買い物で中身はかなり軽くなっていたから悔いは無い――とついでに錠前を放り投げてやる。咄嗟に受け止めた男の方はもう見ずに、赤紫鱗の背中をぱしんと叩く。ぐるりと長い首を回して彼の視線が自分と、檻から恐る恐る這い出して来た女を認めて僅かに開かれるのを確かめてから、

「走るぞ!」

「心得た!」

「ぅ、ぁああ!」

 ずっと檻で膝を曲げていた女には少々辛いらしく悲鳴を上げるが、それでも手を取ったスヴェンについていくように足を動かす。

「ま、待ちやがれ! この――」

『――“泥濘”!!』

 慌てて追おうとする見世物小屋の者達に向けて、赤紫鱗がくるりと振り向き、持っている杖でだん、と地面を叩く。力ある唸り声に応えるように、荒野に近い街の乾いた大地があっという間に水を湛えてぬかるむ。追っ手どころか周りの野次馬達の足まで捉える程に深く。

「うわあああ!」

「なんだこりゃあ! 足が抜けねぇ!」

「ま、待てー!」

 人垣が壁になり、三人になった逃亡者は無事に逃げ切ることが出来た。残念ながら予定よりも一日早く街を出て、荒野に飛び出さなければいけなくなったが、漂泊の民には良くあることだった。




 ×××




「追っ手はあるか?」

「……大丈夫そうだな」

 国境へ続く荒野の街道を歩いて暫く、赤紫鱗とスヴェンは後ろを確認し、誰も追跡者がいないことに安堵して一度歩を止めた。同時に、文句も言わず一生懸命歩いていた女も限界だったのか、ぺたんとその場に膝を折ってしまう。

「っと。悪ぃな、無茶させた――こっちの言葉は解るか?」

「ぁ……、すこし」

「そうか。ほら飲め、ゆっくりな」

 口金のついた水袋を渡してやると、最初はその正体が解らなかったようだが、中に水が入っていることに気付くと夢中で吸い付いた。食事どころか、飲み水も碌に与えられていなかったのかもしれない。それにしては、痩せてはいるものの並の人より体力や膂力もありそうだったが。

「で、さっきの会話……会話? なんかこいつと話してたんだろ?」

「然り。精霊語は我等の一族でも呪術を修めた者にしか口伝されぬ。しかし、巨人族にとっては共用語に等しい。まだ純血が生き残っていたとは」

「昔の戦争で、ほとんどが滅んだって聞いたぜ? まあ俺達にとっちゃお伽噺の域だけどな」

「我等にとっても遠き昔だ。しかしこのような幼子が親から離されたということは、余程生まれた地から離されたか、或いは――」

「ん? ちょっと待てよ旦那、幼子って」

 彼女に聞こえないよう気を使ったのか、僅かに声を落とした赤紫鱗の言葉の中に聞き捨てならない単語を捉え、スヴェンが問う。まさかとは思うが、この自分より頭二つは高い背丈の女が。

「見て解らぬか。まだ魂の色も薄い子だ、恐らく産まれて五年は経っていまい」

「マジか……」

 思わず顔を覆ってしまう。水を飲んで満足したのか、けふ、と喉を鳴らして安堵したように見える女の顔は、確かに随分と幼く見えた。言葉も解らぬ幼い子供を、あの見世物小屋の連中は檻に閉じ込めていたわけだ。どうしようもない憤りを飲み込んで、スヴェンは敢えて口の端を引き上げて笑った。

「てことは、親が来るだのなんだのはデマだったわけかい?」

「可能性を示唆したまで。偽りでは無い」

 しれっとした顔――蜥蜴人の顔色など只人に解るものではないが、スヴェンは何となく理解していた――に今度は素直に笑いが漏れる。たとえ厄介事を抱えることになっても、彼が己の心を曲げたくない男だと言うのは良く解っていたので、改めて女――幼い少女に向かって問いかける。

「美味かったか?」

「ぅ、ん。……あ、りがと」

「おう、相手に礼と詫びが言えるんなら言葉なんざ充分だ。日が傾くまでもうちっと歩くが、頑張れるか?」

「ん! がん、ばる」

「よし」

 僅かにふらつきながらも立ち上がる大きな少女の手を取り、スヴェンは歩き出す。当然のように、赤紫鱗も隣に並んだ。




 ×××




 街道があると言っても、僅かに踏み固められた道と一定区間に小さな石碑が建てられているだけで、一面の荒野であることに変わりはない。段々と傾いできた日を横目に見ながら、三人はほんの少し街道から外れた適当な岩場に腰を落ち着けることにした。

「飯はどうする? 手持ちでも今日だけなら何とかなるけど」

「否。狩りに出る。幼子よ、手を貸せ」

 共用語で話した後、また喉を鳴らすような音が響くと、巨人の少女もこくこくと頷いた。

「連れてくのか?」

「幼子ならば生きる術を教えねばならぬ。何より、我は荒野の狩りには疎い。巨人の目と耳の方が余程役に立つ」

「そういうもんか。まぁそっちはあんたの専門だし、任せるよ。肉でもあると今日の飯が豪華になるぜ」

「心得た。期待しよう」

 そう言って、蜥蜴人の呪術師は巨人の少女を連れて歩いていく。その背を見送ってから、スヴェンは適当な石を集めて竃を作り、いつも背負っている愛用の鍋を置く。水は暫く節約したいので、先程街で買った山羊乳を使うことにした。重たいし日持ちもしないので、使い切った方が良い。本当は今日街に滞在してのんびり楽しむつもりだったのだが、仕方ない。

 先にこれも街で仕入れた小麦粉に山羊乳を少し混ぜ、岩塩をナイフで削って加えてから練り、まとまったら暫く置く。この生地を鍋底に張り付けて焼けば、平たいパンが出来上がるのだ。日持ちもするので、量を作っておくことにする。

 生地を寝かせている間、辺りを見回るついでに食べられる野草を手に入れておく。どれも味はそこまで美味くないが、スープに入れて煮込めばいいアクセントになるだろう。

 火を起こし、下拵えも全部終えてしまった。パンを焼く間、どうしたものかと首を捻り――自分の外套を脱いで、裁縫道具を取り出した。





『――うさぎ』

『何処だ。何匹いる?』

 るる、と歌うような精霊語で示されて問うと、少女の指がまっすぐ差し出される。

『あの茂み。お花が咲いてるところ。……いっぱいいる』

『了承した。――“誘眠”』

 数の数え方が解らなかったらしく最後は首を傾げていたが、赤紫鱗にとってはそれだけの情報で充分だった。とん、と杖で軽く地面を叩き、力ある言葉を発す。

 只人の目には見えぬ眠りに誘う雲が、少女の指した茂みを覆い尽くす。三十を数えるまで待ち、少女に突出せぬよう、大声を出さぬよう言い含めてからじりじりと距離を詰める。――果たして、茂みの中にはぐっすりと眠りについた兎が三匹いた。

『見事也。その魂に、敬意を』

 少女を労ってから、軽く祈りを捧げて、腰の刃物を抜き兎に止めを刺す。両手で口を覆っていた少女もやっと息を吐いた。

『すごい! かんたんにいっぱい、とれた! まほう、すごい!』

『貴様の目と耳が優れていたからだ。密林や沼地ならば兎も角、この乾いた地では我の狩り方は役に立たぬ。良くやった』

『……わたしも、すごい?』

『然り』

 大きな青い眼をぱちくりとさせてから、少女は赤紫鱗の言葉にほっと安堵したように肩の力を抜いた。どうやら、自分が役に立つところをみせなければならぬと気負っていたらしい。……己の有用性を見せなければ命を奪われかねない世界で生きて来たからなのだろう。

『貴様があの檻に囚われたのは、いつ頃だ』

『……? わかんない。お父さんとお母さんがいなくなってから、ずっといたよ』

 手早く兎の皮を剥ぎながら問うと、不思議そうな精霊語で答えが返ってきて、流石の赤紫鱗も僅かに目を見開く。親とはぐれたか、あるいは死に別れた上で、見世物として扱われていたということなのだろう。個々の誇りを何よりも重んじる蜥蜴人にとって、許されざる屈辱だった。

『……そうか。だが既に貴様は解放された。生きる術を知り、覚えよ。まずは獲物の捌き方だ』

『うん!』

 意味をちゃんと理解していないのか、ただ閉じ込められているよりはずっと良いと言いたげに少女は頷く。改めて、赤紫鱗も口を開き、共通語で告げた。

「こちらの言葉も覚えておけ。只人の言葉、業腹かもしれぬが役に立つ。詳しくはあれに教えて貰え、面倒見の良い奴だ」

「おかさん、に?」

「……その呼び方は何だ」

「んと、狩りにいくのがおとさん、ごはん作るのがおかさん!」

「……成程」

 訂正するのに時間がかかりそうだった為、赤紫鱗は説明を放棄した。彼もあまり共通語は得意ではないのだ。

「いずれは呪も覚えられるであろ」

「おとさんみたいな、まほう、使える? なんでもできる?」

「我の呪など手妻に過ぎぬ。巨人の英知と咆哮はその上をゆくであろ。……何でも出来るというのならば、我の連れの方だ」

「おかさんも、まほうつかい?」

「それに匹敵する程にな」

 確りと言い切る赤紫鱗の表情はやはり変わっていなかったが、誇らしげに顎を仰のかせて頷くので、少女も尊敬の意味を込めてこくこくと頷いて見せた。




 ×××




「戻ったぞ」

「おう、お帰りー」

 すっかり辺りが暗くなった頃、火の前で繕いものをしていたスヴェンは帰ってきた二人を出迎えた。腰に吊られている血抜き済みの兎に顔を綻ばせる。

「いいね、大猟じゃねぇか」

「この幼子のお陰だ」

「へぇ、凄いな。んじゃ革鞣しの方頼むわ、肉と骨はこっちにくれ」

「心得た」

 この辺りのやり取りには慣れたもので、毛皮を売る為に手入れを始めた赤紫鱗から受け取ったウサギ肉を、ナイフで丁寧に解体していく。大きな骨は鍋に放り込み、残りの山羊乳も全部入れて煮込み始める。大き目に切り取れた肉は岩陰に干し、非常食としてとっておく。残りの細切れ肉と小さな骨は、まとめて叩いて肉団子にしてしまう。塩と香草代わりの野生の球根を砕いて入れれば、それなりに食える味になる。

 と、自分の手元を巨人の少女がじぃっと見つめているのに気が付いた。何かと問う前に、少女のお腹からぐるるる、と喉を鳴らすのとは別の音がする。なんなら、少し緩んだ口元からてろりと涎まで漏れていた。

「っは、そりゃ当然か。飯も碌に食ってないんだろ?」

 苦笑して、既に焼き上がって冷ましておいたパンを一切れ毟り、無造作に彼女の口元に持って行ってやる。何度か目をぱちぱちした後、そっと口を開けたので、遠慮なく放り込んでやった。

「……!! おいひぃ!」

 ぱぁ、と顔を輝かせて両手で頬を挟む様があまりにも無邪気過ぎて、もう一切れおまけに入れてやる。もぐもぐと少女が忙しく口を動かしている間に、肉団子を匙でまとめて鍋の中に放り込んでいく。後は火が通れば完成、なのだが。

「出来たか」

「まぁだだよ」

 鍋の匂いと少女の声に気付いたのか、毛皮を鞣し終わった赤紫鱗がのしのしと近づいて来た。待て、をしても全く動こうとしないので、先刻のパンをもう一度千切って、大きい方を彼の口に差し出してやる。大きな口が喉が見えるまで開いたので、ぽいと舌の上に乗せてやった。

「うむ。美味也」

「そりゃどうも」

 満足げに喉を鳴らす蜥蜴人を巨人の少女が羨ましそうに見ていたので、最後に残った一かけは自分で食べようとしていたのを止め、結局少女の口に入れてやった。

 と、鍋の底から火が通った肉団子が浮いて来たので、やっとスヴェンは宣言することが出来た。

「ほら、出来たからつまみ食いは終わりだ。食おうぜ」




 ×××



 食器が二人分しかないのと、彼女の体格からして皿の一杯や二杯では足りないだろうというスヴェンの心遣いにより、二人分のスープを汲んだ後の鍋は少女の目の前に置かれた。

 きらきらと青い眼を輝かせ、何度も赤紫鱗とスヴェンの顔を交互に見ている少女は、しかし手を伸ばそうとしない。今まで許されなければ食事に手を付けることも出来なかったのだろう。また涎が垂れそうになっているのに苦笑して、スヴェンは促してやった。

「ほら、食っていいぞ。遠慮すんな」

 こく! と大きく頷いて、無造作に配膳用の大きな匙を鍋に突っ込み、肉団子ごと一気に口に入れる。当然暑かったらしく、手足をじたばた動かしているが、吐き出す気もないようだ。

「ああもう、ちゃんと冷ましてから食えって」

 ついついスヴェンが甲斐甲斐しく世話を焼いてしまう内、赤紫鱗も食前の祈りを終えて匙に手をかけた。蜥蜴人、少なくとも彼が属していた水芭蕉の一族には、獲った獲物を調理するという風習は無いらしい。あくまで、喰らう命に対する礼と鎮魂の言葉が祈りなのだが、

「――うむ。美味也」

 出会って共に旅をする間、スヴェンが作る料理というものは彼の口に合ったらしく、何を食べてもその度にそう告げてくる。僅かな擽ったさを堪えて、「そいつぁどうも」とだけ告げるのもいつものことだった。

「ほら、慌てんなって」

「っおいひい! おいひぃ、よぅ!」

 熱さと戦いながら全く手の動きを緩めず、はふはふ言いながら鍋を掻きこむ少女も、目の端に涙を浮かべてそう言ってくる。

 ……スヴェンが料理をするようになったのは、漂泊の身、せめて飯ぐらいは腹一杯美味いものが食いたいと、いろいろ試行錯誤を続けた結果だ。食材もいつも寄せ集めのものばかりだし、決して腕が良いとは言えないと自分では思っているのだが。

「ごはんおいひぃ! すごい!」

「大袈裟だっての」

「おかさん、すごい! おとさんのいったとおり! まほうつかい!」

「ん、おい、色々と待て」

 呼ばれ方が意外過ぎてつい突っ込んでしまうと、珍しく赤紫鱗が、かはっ、と大口を開けて笑いの呼気を漏らした。




 ×××




「こいつぁ、旦那の言ってた通り、本当に餓鬼だなぁ」

 鍋一杯のスープを食べて、すっかり腹がくちくなったらしい少女は、大きな体を繭のように丸めて眠りについている。口元に指を当てて、時折吸うような仕草もしているようだ。体つきは只人から見れば成人した女にしか見えないのに、仕草はどうしても幼子だ。

「巨人の寿命は長い。我等よりも、只人よりも長く遠き場所へたどり着ける者達だ」

「だから成長も遅いってわけか? 難儀だなぁ」

 そう言いながら、繕い物の手を止めないスヴェンの顔は随分と柔らかい。やがてぷつりと糸を歯で切り、ばさりと広げたのは、自分の外套と毛布を繋げて長さを足したものだった。

「その幼子の為か」

「流石にこの襤褸一枚じゃきついだろ。次の街に着くまでこれで我慢してくれ」

 そっと少女の肩につぎはぎだらけの布をかけてやると、満足そうにもぞもぞと自分で潜り込んでいる。知らず顔を綻ばせるスヴェンを、赤紫鱗はじっと見ていた。

 のしり、と大きな体を持ち上げ、スヴェンの横に腰を下ろす。不思議そうに向けられた、只人の柔い顔にすいと手指を伸ばし、口の中で力ある言葉を唱える。

『“治癒”』

 ふわりと魔力の光が踊り、スヴェンの頬を撫でる。本来は新しい傷を癒す為のものであり、古傷を消す為のものではない。元々戦の傷は、蜥蜴人にとっては誉になる為、そのような効力は求められていないのだ。

「……いいって。そう簡単に消えるものでもねぇだろがよ」

 だが今、目の前で不機嫌そうに眉を顰めるこの只人に与えられた傷は、誇りある傷ではない。

 この只人と出会ったのは、ここから遠く離れた王国の村だった。王に反逆した不心得者が隠れ住んでいるという触れが出たらしく、槍玉に挙げられたのが、彼の居た旅芸人の一座だった。村の者が犠牲になり労働力を減らすよりも、ましな手段だったのだろう。

 濡れ衣を着せられた彼らは三々五々散り散りになり、彼は自分が面倒を見ていた年若の子供達を逃がす為、一人捕えられた。

 そして頬に焼印を押されたばかりか、役人や村人達に棒で叩かれ、石を投げられた。そこに赤紫鱗が通りかかったのだ。

 たとえ彼が本当に大罪人であったとしても、全ての者達から蔑まれ、唾棄され、一方的に害されるなどという屈辱を与えられるのは、赤紫鱗にとって我慢ならないことだった。

 だからこそ群衆に“稲妻”を落とし、“泥濘”を作り上げて追っ手を退け、突然の助けと蜥蜴人の異相に呆然としている彼に“治癒”をかけた。体についた傷は殆ど癒せたが、頬の火傷だけは深く、消えなかった。

「この傷は貴様が受けた侮辱である。それを癒せぬのは、我が呪と誇りに対する侮辱である」

「……ほーんと、面倒な奴」

 スヴェンの口端が、苦いものを食べた時のように歪む。それが羞恥であることを、赤紫鱗も短くない付き合いで知っていた。只人の表情は読みにくいが、解るようになった。

 己も脛に傷持ち、故郷を離れた身だ。地にまつろわぬ漂泊の民としての旅にも慣れていた。だが――彼と共に旅路をめぐることで、新しく知ったことは幾つもある。

 獣肉はそのまま喰らうよりも、血を抜き火を通した方が美味いこと。森以外で吹き曝しの雨風を受ける時には、水を通さぬ外套が大事なこと。只人は蜥蜴人よりも柔く脆いが、様々な武器と知恵を使い、肩を並べて戦うことが出来るということ。全て、故郷に籠り祖霊に祈りを捧げているだけでは、得られなかったものだ。

「我を面倒、と言うのならば、今、我と共に在ることに感謝を捧げる」

「あー、はいはいはい。火の番!」

 素直な気持ちを込めて告げたのだが、いつも通りあしらうような声が帰ってきた。やはり只人の言葉は難しい。

 ぷいと横を向いたスヴェンが差し出したのは、自分の親指に乗せた硬貨だ。交代で見張りをする時は、いつもコイントスで決めている。

「――表」

「なら俺は裏な。ほいっ、と。……よっしゃ、先よろしく」

「心得た」

 弾いた硬貨がスヴェンの手の甲に落ち、向けられた面は裏だった。手先の器用な彼の事、こういう話を切り上げたい時はこっそりと結果を変えている気もするが、普段は大概彼の方が先の見張りに当たっているので、赤紫鱗も指摘するつもりはない。

 焚火を背に、自分の外套は幼子にやってしまった為、そのままごろりと横になるスヴェンに問う。

「明日の朝餉は、如何に」

「あー……ベリーのジャムがまだあるから、それとパンでいいだろ……干し肉は取っとく……」

 既に声はうとうとと眠気に落ちかけており、すぐに寝息が聞こえてきた。それを確認してから、赤紫鱗は自分の外套を脱ぎ、彼の肩にそっとかけてやった。




 ×××



 朝、ぐっすり寝ていたものの、空腹からかもそもそ目を覚ました巨人の少女は、自分にかけられた大きな外套に驚いて、差し出されたジャムをたっぷり塗られたパンに目を輝かせた。

「おかさん、やっぱりまほうつかい! すごい!」

「その呼び方なぁ……まーいいや。それよか、お前の名前の方が要るな」

「ぅぃ……?」

 がぶがぶパンに噛みつきながら、顔の周りをジャムでべとべとにして不思議そうに首を傾げたので、スヴェンも納得の頷きを返す。あの環境だ、名前すら与えられていなかったのだろう。

「親に何か、呼ばれてたのはねぇのか?」

「んーん」

「んじゃ、適当につけるかぁ。旦那、何か案ある?」

 既に自分の分のパンを口の中に全て入れていた赤紫鱗は、ふんと鼻を鳴らし。

「――モルニィヤ。如何か」

「へぇ、良いじゃん。意味とかあんの?」

「我等の故郷の言葉で、雷鳴を意味する」

「意外と勇ましかったな。どうだ?」

「……なまえ? わたしの?」

 ぱちぱちぱち、と青い瞳が何度も瞬き、スヴェンと赤紫鱗が同時に頷くと、ぱぁっと顔が輝いた。

「する! もるにゃ、それにする!」

「モルニィヤ、だ」

「発音については旦那が言える口じゃないだろー。俺の名前も上手く言えねぇ癖に」

「そんな事は、無い」

「じゃあ言ってみ」

「……シュ、ス、スベン」

「ぶっは!」

 昨日の意趣返しも兼ねて吹き出すと、赤紫鱗は憮然とした風に顎を引き、立ち上がって旅立つ準備をし出す。

 竃を片付け、荷物を纏めるのを一生懸命手伝う巨人の少女改め、モルニィヤを見ながら、スヴェンはひそりと囁く。

「……ま、こいつの親が見つかるまでは、この名前で一緒に行くのもいいんじゃね」

「然り」

 独り言のつもりだったが、赤紫鱗から返答が来て笑う。どうやら曲がった臍は直ったようだ。

 いつまで続くか、どこまでいけるか解らないけれど、それまでは共に歩む。それが漂泊の民の、たった一つの守るべき法だ。

「よいせっと。ん、お前も持つか?」

 鍋やら皿やら、大荷物の背負い袋を担ごうとすると、大きな毛布をマント代わりにしたモルニィヤが手を伸ばしてこくこく頷いてくる。

「んじゃ、これだけ持ってけ」

 愛用の鍋を兜替わりに、かぽりと被せてやると、不満げな顔をしたけれど。

「昼飯作るのにも必要だから、しっかり持っとけよ」

「!」

 自分の役目の重要性に気付いたらしく、こくこくこく! と何度も力強く頷く少女に笑って、全く共通点の無い三人は、並んで荒野を歩き出した。

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