Canarino Macchinario

野津井 香墨

Canarino Macchinario-1

「レオナルド、次移動だよ。」

「お前も美術取ったのか、かったるいから先に終わらせたいよな。」


「うん、今行くよ…ジュリオ、カルロ」


レオナルドと呼ばれた少年は、日向色の髪を揺らして紫の目を細めて答えた。

机の横から鞄を取り、中から美術系の教科書を取り出す。


美術室に授業を受けに来た生徒が集まり始める。

音楽や神学などの選択授業は、自主性を重んじる校風の為に生徒の判断に委ねられる。

実はこの選択授業は、就学が順不同になるだけで、結局全て同じ授業を受ける事になるシステムになっている。

転入早々にしてそのカラクリに気付いたレオナルドは、ルームメイトと違うものを先行して取得した。他授業の傾向や進行スピード、テストの頻度などを先んじて知る為だ。


保護者代わりの連中が貸し出して来た盗聴器を使って、他の授業もまとめて聞いてしまおうと思ったが、今日は選択授業も初日だからやめておこうと考えたのが今朝の事だった。

取付などが困難という事はなく、ルームメイトの袖や襟にボタン程も無い集音マイクを取り付けるだけで、極小のパラメトリックスピーカーによるカナル式のイヤホンを用いたリアルタイムの盗聴が可能で、リモコンによる録音への切り替えも可能だ。

こんな優れものをこんな下らない事に使うなんて、という気持ちもあった。ペン程のリモコンにマイクとイヤホンを内蔵し、ポケットに差し込んで朝のミサに向かった。


そんな取捨選択の末に辿り着いた美術室で、レオナルドは油絵具の匂いの染みついた空気を吸い込んだ。重ったるく肺に絡むそれは酸素の吸収を妨げるように、少し息苦しく感じる。

「デッサンかあ。何描こうかな。ねえ、レオナルドは何にする?」

少し控えめなジュリオは、レオナルドに尋ねる。レオナルドは、まだ考え中だよと笑いながらイーゼルを組み立てる。

「下級生の時は、二人とか三人でお互いの顔描いてたんだぜ。俺、お前の顔なら描けそうな気がするなあ。」

ずけずけとした物言いが少年らしいカルロはレオナルドにそう言ったが、ジュリオが「カルロに描かせたら皆シュールレアリスムの住人だよ~。」とやんわり咎めてくる。


「ジュリオったら、カルロにどれだけ芸術的に描かれたんだい?相当恨みが深そうだけど…。」

話しながら、備品の画材を探しに備品棚に寄る。ジュリオとカルロもレオナルドの側で鉛筆を選りすぐっている。

「俺が描けば何でも芸術作品になっちゃうからな!」

「レオナルド、今夜の自由時間に、僕たちの部屋においで。取っといてあるから…見せてあげるよ…。」

自信満々のカルロに、暗雲を背負ったようなジュリオは、棚からそれぞれの鉛筆を取り出して席に戻る。

レオナルドは様々な種類の鉛筆、ナイフや羽根、消しゴム等を持ち出した。


「レオナルド、そんなに沢山の鉛筆を使うの?」

「一体、どんな大きさの絵を描くつもりなんだよ。」

様々な硬度の鉛筆は用途によって使い分けるのがデッサンの基本だと知っていたレオナルドは、曖昧に笑って済ませる。

後に教師が講じて、ジュリオとカルロ含む生徒達が再度、備品棚に殺到しているのを横目にして、レオナルドは同じように先んじて鉛筆や備品を揃えていた生徒を見つけた。


窓際のやや後ろで、イーゼルの高さを調整している彼から、レオナルドは意識が離せなくなった。かなり慣れている様子や、爪や制服が僅かに変色している所を見るに、美術部員だろうか?他授業で目立たないだけに、洗練された動作は年に不相応に感じられる。

目立たないとはいえ、全校生徒のみならず教師や外部の交遊関係先まで最低限名前くらいは把握しているレオナルドは、彼がバロックと呼ばれている生徒だと知っていた。

彼は教師と何か相談し、ラオコーン像を持ち出した。どうやら一人で描こうとしているようだ。生徒たちが有象無象にだらだらとデッサン対象を物色している間に、椅子の位置を変え石膏の向きを変え、やがてさらさらとカンバスにアタリを取り始めた。

各々が数人ずつのグループになり、石膏のオブジェクトや花瓶の造花を囲む。レオナルド達がちょうど居た辺りでは、ブルータス像のデッサンが行われるようだ。


「ブルータスかあ。あのカエサル暗殺主謀犯とは別人らしいけどさ、暗殺に賛同したらしいからほぼ同じだよな。」

カルロが頭が良いのか悪いのかよくわからない事を呟く。粗野に見えるカルロでさえも、先進型の神学校に通っているだけあって、一応の知識は備えているようだとレオナルドは内心で冷やかす口笛を吹いた。

また、レオナルドはカルロがイタリア語の「チェーザレ」ではなく、英語で「カエサル」と呼んだことに注意深く反応した。カルロはひょっとして英語圏で教育を受けているのだろうかと考え、後ほど手段を用いて身元を洗ってみようとまで考えていた。

「また適当な事言ってる。カルロってば成績は良いのにどうしてそうなの?」

ジュリオは眉を下げて、ブルータスの石膏とカンバスを見比べる。カルロに文句を言ったあとに、石膏ってちょっと目が合うと緊張するよね…と呟いてレオナルドに同意を求めて来た。

「分かるなあ、夜とか動きそうだよね」

レオナルドは周囲の偏差値を意識した適当さを心がけて返答しながら、手を止めずに答える。

「ジュリオ、お前の宿敵じゃないか。ちゃんと描けるか?」

おそらくは暗殺されたカエサル…ユリウス・カエサルがイタリア語で、ジュリオ・チェーザレと呼ぶ事からのからかいだろう。

カルロはカンバスから体をずらし、ジュリオに不敵な笑みと挑発を送る。

「君よりは描けると思うよお」

にっこりと、しかし鉛筆を握りしめているジュリオを見て、カルロは慌ててカンバスの後ろに隠れてしまった。


各々が程々の進捗を出して、授業の終わりを告げる鐘の音に片付けを進め始めた。

レオナルドは帰り際に、備品を返却する振りをしてバロックのカンバスを覗き込んだ。想像通り、他を圧倒する進行度で描きこまれたラオコーンがその姿をカンバスに映し出している。


「あの子、上手だね」

レオナルドは、廊下でぽつりと呟いた。

「バロックか?アイツ何考えてんのか分かんねーよ。関わるの、よせって。」

「そうだよ、何か…外の、怖い大人と悪い事してる、って聞いた事あるよ…。」

横を歩く二人が反応して、ジュリオが興味深い情報を齎した。


その噂が本当だとしたら、だとしても随分間抜けな話だ。本当に怖い大人というものは、それすら悟らせずにひっそりと背後に立っているというのに。

レオナルドは冷笑を二人に見られないように少し前に出て歩いた。


「あ、待てって。悪口じゃなくて、アイツはやべーんだって…。」

「レオナルド!」

気を悪くしたと思い込んだらしいカルロが声をかけ、ジュリオが腕を掴んで少し引く。レオナルドは分かってるよ、気を付けると短く答えて、やんわりと自身の腕を掴むジュリオの手を振りほどいた。


「それにしても、レオがバロックを気にするなんてなあ」

カルロが独り言のように呟く。ジュリオがそれを承けて答える。

「レオって、レオナルドの事?もうあだ名で呼ぶつもり?」

「おう!なんかアイツとは、仲良くなれる気がする!」

「転校して来てまだ3日くらいなのに、ずっと居るみたいに落ち着いてるよね。カルロもずっと気にしてたし。」

「う、うるせえなあ。あんな軟弱そうなヤツ、あっという間にイジメられるんじゃないかと思っただけだ!」

「僕やバロックみたいなのでも大丈夫なんだから、カルロみたいなのに目をつけられなかったら大丈夫だよ。」

服の整頓でもしているのか、布ずれの音の合間に二人の雑談が続いている。レオナルドはそれを静かに聞いていた。

先程腕を解いた時に例の盗聴器を取り付けられたジュリオは、そのまま彼らの自室に帰って寛いでいる。


「バロックも、最初はただの暗い奴だったのになあ。」

「それにしても、噂の出所が分からないよねえ。」

「噂を本当と思わせる説得力があるだろ…なんかあいつ、暗いし。」

「まあ、迫力があるよね…。僕は先輩から聞いたんだよ。その先輩も、後輩の友人くらいから聞いたみたいだけど。」

ガサガサと雑音が入りながらも、二人の雑談は続く。雑談の合間に鉛筆の音を聞いたレオナルドは、音の大きさ等から鉛筆を使っているのはカルロ、筆記のリズムから家族への手紙を書いている事まで探り当てた。

ジュリオはビニール製の入れ物に洗濯物でも纏めているのだろうかと考察し、例の盗聴器は防水と聞いた事を思い出したが、一応取りに行く事にした。

空き教室から出て、寮へ向かう。学習時間が終わると校舎に立ち入ってはいけない決まりで戸締りもされているが、昼にレオナルドは窓の一つに留め金を外す糸をかけて外に垂らしておいた為、難なく侵入が叶っていたという算段だった。

また、寮へ忍び込むルートも完璧に網羅していた。今の時間帯なら北寮前の木を登って2階の端にある開き部屋の窓から入れるだろうと、レオナルドは中庭の大時計を横目に植木傍を駆け抜けた。


「俺は3、5こくらい隣のスラム街の奴とつるんでるって聞いたぞ。金を受け取ってたとか、渡してたとか。」

「僕もその時は似たような事を聞いたけど、ここ森の中じゃない?3、5個も隣って、それもう市街だよね…。」

「あの辺危ないらしいじゃん?うちの生徒も迎えは絶対車なの、あそこで襲撃とか強盗があるからって聞くぜ」

「バロックに逆らうとスラム街の奴らが…って、いつからの噂なんだろうね。」

「低学年の時には無かったよな、そんな噂。」

「ねえ、もう寝ようよ。関わらないのが一番だよ…。」

「おう、そうだな。明日レオにも言ってやらねーと。」

移動中も重なる会話が少し途切れて、二人は就寝してしまったかと少し焦ったレオナルドは、しかし着実に小さな体を駆使して木を登り切って窓にしがみつく。

からりと空いた窓から乗り込み、軽く服をはたく。汚れないように登ったつもりだが、葉や木粉はどうしてもつくものと知っていたので、目についた汚れからはたきながら廊下を移動する。


「僕も明日、レオって呼んでみようかなあ…。」

「今呼べばいいんじゃない?」

その場に居る筈のないレオナルドの声が響き、ジュリオはひゃあと叫んでベッドから落ちてしまった。

カルロはなんだなんだと机から振り向いてレオナルド達を見ている。


「ど、どこから聞いてたの!?」

「レオって呼んでくれるってところから。オレもリーオ、って呼ぼうかな?」

「ずりーぞ!俺が考えたのに!」

カルロがベッドから落ちたままのジュリオに食って掛かる。わあやめてよとジュリオの悲鳴があがり、レオナルドはカルロを諫めてジュリオから放してやった。

ジュリオを立ち上がらせる時に、袖から盗聴器を回収する事を忘れなかったレオナルドは、ちゃっかりと目的を果たした。


「ノックもせずに…本当に居る事に気付かなかったよ。」

「ドア、開いてたんだよね。そしたら中の話声が聞こえちゃった。」

「カルロ!開けたら閉めてって言ってるでしょ!」

「うわ、俺知らねえ!」

就寝時間前の僅かな時間に談笑し、おやすみの挨拶を交わしてレオナルドは部屋に戻った。

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