旅立つ君へ

野津井 香墨

第1話

「御伽は何故そんなに優しいんだ?」

「性分だよ、そういう人間も居るって事さ」


ルイカの問いに、うーさぶ、と伯楽は首を竦めながら答えた。

明け方、日が上る前となればこの季節は少し冷える。ルイカはしっかりと着込んでいたが、伯楽は寝巻きに羽織っただけだった。急いで出て来たのだろう、下駄をつっかけて腕を組んでいた。


「しかし、この伯楽先生の目を盗んで行こうなんて、良い度胸してるね。…次はどこに行くんだい?」

「分からない、分からないけど…ここじゃないのは確かだ」

「私の所へ来た時のように、また誰かの所へ行くのかい」


伯楽は、ルイカが伯楽の元へ来た時の事を思い出していた。夕暮れに、日没を見送って寺子屋へ戻ろうとした時に、雷のような強い光が一瞬周囲を包んで、目を開けるとルイカが所在無さげに立っていたのだった。誰も居なかった筈の空間に突如現れた少年を匿い、共に生活をしていた。

特異な思い出に浸っていた伯楽は、ふと屈んで、ルイカと目線を合わせた。


「…いや、なんで私が優しいか、教えておこうか。最後の授業だ、私の好きなものを当ててみなさい」

「神庭游斎」

「『さん』か『先生』を付けなさい、琉生夏。…うん、人は、好きな人の好きなものを好きになる場合があるんだ。神庭先生は、人が好きだった。人を愛していたよ。だから、私も人が好きになれた。」


伯楽はよっこいせと姿勢をおこし、ルイカの進もうとする道を眺めた。なんの変哲もない道だが、来た時の事を考えると、また似たような事が起こり、この子は去るのだろうと考えながら、日が上るまでの僅かな時間に話し続ける。


「君はこれからも、私よりも遥かに沢山の場所を訪れるだろう。ものでも場所でも、人でも良い、沢山好きになりなさい。それが宿題だ」


ぽんぽんとルイカの頭に触れる手は、撫でるよりもぶっきらぼうだが、殴る訳でもなく優しい手つきだった。

ルイカはじっと道を見つめて、伯楽の言葉に耳を傾けた。


「はい、お弁当。気を付けて行っておいで」

伯楽の声に押されて、受け取った包みを抱きながらルイカは歩みを進めた。歩けば、また何処かに辿り着く。

だがまたこの人の元に戻れたらと、ルイカは振り向いた。

だがそこには既に伯楽の姿は無く、しばらく暮らした寺子屋も無かった。見回すと完全に見覚えの無い場所に居たルイカは、いつものか、と思った。

だが今回は違う、と腕に抱えた弁当を抱き締めて、ルイカは歩き出す。伯楽の言っていた事を思い出しながら、この道がまたいつかぶっきらぼうに優しい彼に繋がる事を信じて、未知の中を進んで行った。

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