蛇足
makizume
零
……むかしむかし、ある人が、行事の席で召使いたちにお酒を与えなさったそうな。
そのお酒は、みんなで飲むには少ないけれど、一人が飲むにはたっぷりあった。
だから召使いたちは話し合って、地面に蛇の絵を描いて、それを一番はやく仕上げた者がお酒を独り占めすることに決めたそうな。
しばらくすると、召使いのうちの一人がいち早く蛇の絵を仕上げ、左手に杯を持って得意げにこう言いました。
「私はまだ、これに足だって描き足せるぞ」
いい気になっていた彼はその言葉通り、空いた右手で蛇に足を描いてしまいました。
すると二番目に絵を仕上げた他の召使いが、彼の左手から杯を奪い取って、
「蛇に足なんか無いじゃないか。なのにどうして蛇の絵に足が描けるんだい?」
そう言って二番目の召使いは杯のお酒を全て飲み干してしまいました。
そういうわけで、蛇に余計な足を描いてしまった召使いは、とうとうお酒にありつけなかったのでした。
紀元前の中国で誕生したというこの喩え話は、楚という国の将軍の更なる侵攻を諫める目的で創作されたらしい。
それが現代に伝わって、遠く東洋の一部の国には、今なお「蛇足」という言葉が残っているという。
その意味たるや、
「余計な事・不必要な事などの例え」
「付け加える必要のないもの」
「無用のこと」
おおよそこんなところだ。
そして使われ方はこんな感じ。
「やっぱりその一言は蛇足だったね」
「これは蛇足でございますが……」
当然のことながら、初めてこの言葉を知ったとき、僕は小さくため息をついた。
もちろん、この言葉を最初に言い出した人や、現在使っている人たちに文句を言いたいわけではない。
蛇に足なんか無い。
人々の共通認識として十分すぎるほど当たり前の、いつの世も揺らぐことのない事実。
むしろ逆に、蛇という言葉の定義の中に、足が無いという要素が予め含まれているのではないだろうか。
だからこその、蛇足。
余計で不必要な事の例え。
この言葉はどこまでも正しい。
だけど僕にはどこまでも冷たい。
こんなのあんまりじゃないかと不満を示さざるを得ない。
でもこの縫い針のような悲しみは、「人々」にとっては何の問題にもならない。
それもまた、当然のこと。
なぜなら僕は彼らにとって、正真正銘、まさにその言葉通りの「余計で不必要な」存在だから。
気づけば本棚の上に溜まっている、目障りな埃みたいな存在だから。
これは人目も寄らぬ日陰に生きた、足のある蛇の独白である。
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