#11 声
「ヤツラ、こっち側に来ていないのかな」
トリーとはベタベタすることが全くないから、こういうのがあまりにも久しぶり過ぎて別の意味で心臓に良くないので、僕は話題を本題に戻してみたのだった。
何気なく言ったことだったが、トワさんの何かのスイッチを押してしまった気配がした。
「そうそう。あたしもそれ思った。エリアを区切る壁って、こちら側から見るとそんなに高くないでしょ? 今日は月が明るいから、こっちから見下ろすと『古の土地エリア』を歩いている人とか見えちゃいそうじゃない。だとしたらこっちに一人二人配置しといて強力なライトで上から照らして指示するとかしても良さそうなのに。なんかさ、ヤツラは頭があんまり良くないっていうか、すべてにおいてぎこちないっていうか、このホラーランドに棲んでいるナニカだと思っていたけど、今はちょっと違う印象なんだよね。ここについてあんまり詳しくないっていうか」
「本当にそうなら、うまく出し抜けるかもだけど。そう見せかけるヤツラの作戦だったら嫌だよね」
「そうなの。そこ」
トワさんが僕の顔のすぐ近くでしゃべるたび、チョコレートの甘い香りがただよってくる。
同じ甘い匂いでもこっちの甘さは色気がなくてホッとする。
「あとは……新大陸エリアで隠れられそうなとこは、さっきのアクアツアーの出入り口からの向きだと、右側の奥が黄金バーガーで有名なゾンビハウスね。その地下から『古の土地エリア』へつながるゾンビロードがあってエリアまたいで行き来できるから便利っちゃ便利よね。反対側、左側の奥がホラーメイズの『新大陸エリア』側、開拓時代。シュバルツシルト側は植木伸び放題で全く通れなくなっていたけど、開拓時代側の方は屋内型だから隠れる事は可能だと思う。あとは開拓時代とこことの間を山の方へ近づけば、奥に観覧車があるのね。ドリームキャッチャーって名前の……そのゴンドラの中とか、見つかっちゃったら逃げ道ないけど、中から外を見渡すにはいい場所だと思う」
「トワさん、本当にここに詳しいんだね。実は働いてたことあったり?」
「いやいやいやいや風悟さん、あたしのこと幾つだと思ってるの? 確かにこういう格好するのはちょっと限界かなと自分でも思う二十代後半ですけれど、ここの遊園地が営業やめたの、あたしが生まれる前ですからねっ」
少し空気が和んできたなと思って油断すると、耳鳴り。
このアトラクションの中の方から嫌なものを感じているような……感じるって……心の中で自分の言葉に苦笑する。
僕は普通の人だったはずなのに。
でもどうして感じるんだろう、この場所にこのまま居たくはないって。
ゴールドラッシュにはアクアツアーみたいな怪しい噂はなかったけれど、ちょっと場所を変えたいという気持ちが次第に高まって行く。
「そういえば、ドリームキャッチャー……」
瑛祐君が別れ際に言い残した言葉だ。
何かがあるのだろうか。
「ここからすぐだね。ちょっと行ってみよっか」
腕をひっぱるトワさんに続いて僕は再び月の下へと出た。
月の位置はかなり高くなっている。
視界の範囲には動く人影は見当たらず、地面を覆う雑草の草原が風の動きをなぞり続けていた。
観覧車に向かって立つと向かい風になる。
山の斜面を降りてくるその風には冷たさを感じるが、さっき水槽の辺りで感じたのとは違う、ちゃんとした自然の、夜の冷たい風。
観覧車はここからでもくっきりとわかる蜘蛛のオブジェが中央にあり、ゴンドラを吊るアームが蜘蛛の巣というデザインだ。
単なる装飾であることなど百も承知だが、行く手を阻んでいる感がものすごい。
ファンタジー系ゲームで巨大なモンスターに立ち向かってゆく勇者のような気持ちで、僕らは風に逆らって歩き始めた。
「ドリームキャッチャー、デザインは蜘蛛の巣なんだけど、もともとはネイティブアメリカンのお守りでね。蜘蛛の巣が悪夢をひっかけてくれるってことで一時期原宿とかでも売ってたんだよね。オカルトはオカルトなんだけど、ラッキーアイテムだから厳密にはホラーランドのアトラクションとしては相応しくないのかもね」
「そう言われてみると、確かに毛色が違うね」
「『新大陸エリア』はアメリカのイメージでアトラクション作っているっぽいんだけど、ゴールドラッシュにゾンビ。それからドリームキャッチャーと開拓時代とはネイティブアメリカンでネタ被りでしょ。アメリカにはさ、他にもビッグフットとかモスマンとかロズウェルとかおいしいコンテンツはいっぱいあるのにね。今だったらシャドーマンでしょ。チュパカブラにブラック・アイド・キッズなんかも」
後半の何やら聞き慣れない単語はともかくとして、トワさんの言っていることは一理あるように感じた。
なんでこういうデザインになったんだろう。
作っている途中で方針転換した、なんて考えてしまうのは、仕事でクライアントの無茶振りを経験したことあるせいか。
「けっこう風が強いよね。観覧車はメリーゴラウンドみたいに風で回ってしまわないのかな」
「え? メリーゴラウンド回ってた? いつ?」
「あ、うん。アクアツアーの手前、さっき通りかかった時だけど……」
「……そっか……あたし気付かなかった。なんか別のことで……」
言葉を濁すのも無理はない……それにしても、トワさんが殴ったあの男、死んだりしていないといいけど。
それはあの男に対する心配ではなく、トワさんが殺人犯になってほしくないという気持ちから。
「ゴンドラの数は十三個。一応、縁起の悪い数を選んではいるんだね」
観覧車の近くまで来ると本体の蜘蛛が想像以上にリアルで驚く。
長い年月の劣化が独特の風合いを与え、あたかも何百年と生きる本物の大蜘蛛かと思えるほどの迫力があった。
それに巣のデザインも美しい。
ゴンドラの付け根までのびている縦糸、そして縦糸と縦糸を結ぶ横糸はワイヤーだろうか、風に揺れている。
しかもたくさんの電飾が取り付けられていて、あれが全て点いたならば雨上がりの蜘蛛の巣のようにキラキラと輝いて見えるだろう。
ゴンドラ部分は蝶をモチーフにしていて、蝶の羽根の部分それぞれに星座占いのページにあるようなマークが描かれていた。
地面近くにあるゴンドラ二つのうち片方は他のより豪華な作りで、マークも星座ではなくリアルな満月がはめ込まれている。
そうか、星座だと十二しかなくて、ゴンドラは十三あるからか。
「見て。内装、すごくカッコいい」
トワさんはいつの間にか僕の隣を離れ、何座だかのゴンドラの中を見ている。
その声は若干うわずっていて、これは注意しないとまた声大きくなるパターンかな。
僕もゴンドラの方へと向かう。
「ここね、運良く水晶のついているゴンドラに乗れたときね、水晶をのぞき込むと将来のパートナーの顔が見えるって噂あったんだよ。あ、こっち水晶がある……あ、この内装」
水晶……顔が見える?
英祐君に忠告してもらってなかったら、気にも止めなかったかもしれない。
「トワさん!」
僕は叫びながら彼女の腕をつかんで無理やり引っ張った。
ほとんど反射的に、だった。
「……痛いなぁ。いきなり?」
「……あ、いや……無事で良かった……ごめんなさい」
「無事……だけど……でもあたし、もしかしたら助けてもらっちゃったかもしれない。月のゴンドラ、内装がお姫様の部屋とすごく似ていたの。ミラーハウスの二階と」
なんだそのあからさまに怪しいフラグは、と心の中で突っ込んだ瞬間、また来た。
目眩だ。
今度はなんだ?
「……出して……」
「風悟さん、いま何か言いました?」
「……助けて……」
「トワさんこそ、何か言わなかった?」
「……出たい……」
「ね、これって鏡の中に閉じ込められた人の声?」
もういい加減、超常現象コンボはお腹いっぱいだって。
どんな仕組みか分からないけれど、そろそろ恐怖以上に怒りも湧いてきている。
「よし、壊そう」
そう言い出したのは予想外に僕だった。
彼女の行動力というか勢いみたいなものが伝染してきているのかもしれない。
「……とは言ったものの。壊して閉じ込められた人が永遠に戻らなくなったとか、そういうしんどいことはないよね」
「あのね、心配しないで。呪いの品は大抵壊れると呪いが解ける仕組みなんだってば。真ん中あたりに水晶があって、そのすぐ後ろに鏡台みたいなのがはめ込まれてたから……あとはガツーンと!」
この人、責任全部僕にかぶせる気だ……しかも両手でガッツポーズつくって、今までにない笑顔で。
根拠のない理論。
しかも呪いが壊した人の方へ来ちゃうパターンへの言及はなし。
不安で不安で仕方ない。
「言い出しっぺ、ふぁいとぉ」
「くっそ」
こんな目立つ場所で迷っている時間はない。
僕は目を閉じたまま月のゴンドラへと乗り込む。
そしてあの頑丈なマグライトを無茶苦茶に振り回した。
電球は既に切れているし、もはや何のためらいもない。
金属をこする音、板を叩く音、ガラスが割れる音。
そしてトワさんの「あ」という声。
まさかヤツラの姿でも見えた?
僕は振り返りながら目を開いた。
しかしそこにはトワさんしか居なかった……けれど彼女は目を片手で塞ぎつつスマホをかまえていた。
「鏡の中に手鏡があったの。とりあえず直接見なければ大丈夫かなってスマホ越しに見てたんだけど……やっぱ怖くて」
おいおい見てちゃダメだろ。
無表情にはなってなかったから良かったけど……とりあえず中の鏡ってやつ、取り出してみようかな。
そういえばリュックに軍手があったような。
ゴムの滑り止めがついているとはいえ、軍手はしょせん布。
ガラスや金属の破片に変に触ってしまえば簡単に怪我をする。
慎重に、慎重に、僕は手を伸ばしてみる……これかな?
手のひらよりも少し大きなサイズの楕円形に触れた。
左右に動かすことはできる……上にも、か。
表面はツルツルしていて……少し動かしてみると、それには持ち手のようなものがついていることに気付いた。
「よし……持ってみる」
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