それでも俺は青春の為に!
八薪 和
第1話 情けは誰のためにもならず
「わかってるか? 俺は何で遅刻したかを聞いてるんだ」
目前には名も知らぬ
少し横に目を向ければ、腐れ縁という概念を煮詰めて固めたような友人の顔がある。
季節は春。出合いの季節、始まりの季節。そういった季節を彩る数々の枕詞の例に漏れず、今日から自分の母校となる高校の入学式に臨まんとしていた俺は──。
「だから、その、先程から話してるじゃないっすか。余計な正義感のせい、と言うか……まあ、結局のところ不幸なすれ違い──誤解? によるものなんすけど。……要するに、俺みたいなパンピーのかざす正義感が如何に滑稽で上滑りしたよろしくないものであるかという……」
こうして、俺なりの正義論を必死で説明していた。
「……お前はなんの話をしているんだ。あれか、中二病、とか言うやつか? バカなことを言ってないで──」
思えば、俺が今日という日に出会ったのは、不幸な一日を彩る不幸な出来事ばかりだったような気がしないでもない。
どうしようもなく遣る瀬ない気持ちを抱えながら、俺は今日という不幸な一日を思い返していた。
*
夢を見た。多分、幸せな夢だったように思う。可愛い彼女ができる、なんて幸せの代名詞のような夢だったかもしれないし、美味しいものを腹いっぱい食べるようなくだらない夢だったかもしれない。もしくは、世界平和の実現なんていう、途方もなくスケールの大きな夢だった、なんて可能性もあるだろう。
少なくとも、寝起きの全く回っていない頭の中で真っ先に思い出す程度には幸せだった、ということは確かだ。その度合いはともかくとして、だが。
――そして、目を開けば清々しい朝。
幸せな夢から現実に引き戻された俺の目の前に現れたのは、すぴーすぴーと寝息を立て、アホ面を晒して眠る同居人の姿だった。
バカの癖にやたらと頭の良さそうな見た目のこいつが、そのバカさに最も似つかわしい表情をするのはこうして呑気に寝ている時だけだ。
「……うへぇ」
朝っぱらから男の寝顔なんてむさいものを見せられたせいで、夢で得た幸せから差し引きマイナスどん底、といった気分だった。
寝返りをうって窓の方に顔を向けると、朝日は思ったよりも眩しく、覿面に俺の眠気を覚ましてくれた。意識がはっきりしてくると共に、自分の中で今日という日への期待と不安が膨らむのを感じた。そう、今日は、高校の入学式だ。
*
俺──
つまらない日常と肥大化した自己、そしてそれに追いつく程の力もない自分。現実との対立。無論、何ひとつとして特別なものを持っていない俺が勝てるはずもない。その結果として、俺は非日常という逃避を求めた。典型的な中二病の発病例。
流れに逆らい、規則を破り、大人に反発する。悪そうな奴は大体友達。そんな自分の立ち位置に非日常を見出す。──端的に言うと、俺はグレた。
もっとも、それで良くなる事など何一つなかったなんてのは言うまでもないだろう。そうしていつしか中学生活は終わりを迎え。悪そうな奴らは俺という人間のつまらなさに気づいて離れていったし、まともな連中は俺が悪そうな奴らと付き合ってるがゆえに離れていった。
結局、かけがえのないというには些か足りない日々の記憶と、ひと握りの友人以外に得るものがないままに幕を閉じたのである。
そして、今日。
そう、高校の入学式。
腐って終わったこれまでに反旗を翻し、新たなスタートを切る──予定の日だ。拗らせ患い腐ったこれまでに背を向けスタートで走り出してやろう。
ただ、万が一。もし仮に、俺が幸せな高校生活を送れないような事態になろうものなら、幸せな人間をどん底に落とす術の一つや二つは身につけてもいいかもしれない。いや、本当に万が一だけど。
*
「おーい、薫」
トースターの前でパンが焼き上がるのを待っていると、隣の六畳間から俺を呼ぶ声が聞こえた。
と同時に、トースターからパンが焼き上がったことを知らせる音が響く。余談だが、俺は、ろくでもない1日の始まりを告げるようなこの音が嫌いだ。学校に行く前からサボりたくなってくる。
「ん、ちょっと待ってろ」
修にそれだけ返すと、トーストを皿に乗せ、イチゴのジャムとマーマレードを添えて隣の部屋へと移動する。
隣の部屋では、朝方、男とルームシェアをしているという悲しい現実を誇示することによって、俺が夢で得た幸せをブチ壊してくれた人物……俺と中学生活を共にした友人であり、このボロアパートの同居人でもある
しかし、高身長に知的でステキなメガネを装備し、制服をやたらかっちり着こなしたこいつの姿は、あまりにインテリ系だった。ここから薄皮一枚剥がせば朝方のアホ面が出てくるというのが信じられないほどだ。
男と寝食を共にする高校生活という事実を思い出す度に、つくづく自分の運命と腐れ縁と人生設計その他諸々理不尽な八つ当たりまで含めて全てを呪いたくなる。なんだって新たなる門出の日にこんな思いをしなきゃいけないんだ。
それはともかく。
「それで、何の用だ?」
俺がそう尋ねると、修がのっそりと顔を上げる。
「ああ、朝ご飯はまだかって聞こうとしたんだけど、もう出来上がったんだ」
「ご飯というかトーストだけどな。待たせてたか?」
「いや、ご飯……トースト? の方はそんなに待ってはいないんだけどさ」
なにやら、修が携帯の画面をこちらに向けてきた。
「最寄り駅の時刻表……だな」
そう。何の変哲もない、適度に田舎なこの街を走る、都会に比べればかなり本数も少ない電車。その時刻表。
……嫌な予感がした。そして、こういう時の嫌な予感というのはかなりの確率で当たるというのがお約束だが。
携帯の画面の右上に表示された時間と、時刻表の時間を2度見比べる。だが、そこからある結論──例えば、俺が今抱いている嫌な予感の正体──を導き出すには、どうにもピースが足りない。
続いて、修が机の上に取り出したのは、高校の入学式の案内を記した書類だ。
その表紙に大きく書かれた入学式の開始時刻を見て、俺の頭の中で全てが繋がる。
そうして俺が導き出した結論を、修は先回りして口に出す。
「入学式に間に合う電車だと、15分後のが最後みたいなんだよね」
ああ、うん、その通り。その通り、なんだが。
「つまり」
「このままだと普通に遅刻するってことが言いたいわけだけど……どう? 出来の悪い頭でも理解出来た?」
要するに。普段電車に乗らない俺たちは、
「いやー、もうちょっと下調べとかしておくべきだったね」
「……時間とか、全然気にしてなかったな……」
このように、電車の出る時刻表だとか時間だとかを全く把握していなかったわけか。
そして、更に絶望的な情報を付加するとすれば、ここから駅まで普通に自転車を漕いで20分ほどだ、ということだろう。で、ここまでのんびりと最悪な状況を羅列していてなんだが。
……こんなに落ち着いてる場合じゃないんじゃないか?
「クソ、なんでもっと早く言わねえんだよ……」
思わずそんな言葉が出たが、自分で確認もしなかった俺が言えることではない。
「うん、いや、まあ、あはは」
ちなみに、報連相のどれひとつとして成していないこいつが笑っていられる義理では決してない。というか笑ってる場合でもねえよ。
「というか薫だってさ、事前に確認したり予定立てたり時間見たりとか普通しない?」
「細々としたことは気にしない主義なんだよ俺は、分かってないとは言わせねえからな!」
「その主義って多分プラスに働いたことないよね!? 被害被るのが自分だけと思わないでよ!」
「いや、そもそもこの件に関してはどっちもどっちだろ! 無駄口叩いてないでさっさと行くぞ、修!」
「それはいいんだけどさ、俺は体力的に厳しいから後ろ乗せてくれない?」
「誰が乗せるか!」
「でもこうなったのも薫のせいみたいなところあるし──」
「よし決めた、テメェは置いてく。恨むなよ馬鹿野郎が」
「ちょっ、待ってよ〜!」
俺がマジで置いていこうとする素振りを見せると、修は必死の形相で追いすがってきた。……素振りというか、実際に置いていく気だったというのはわざわざ言葉にするまでもないだろうか。
そうして、爽やかな春の空気を目いっぱい吸い込みながら、トーストをくわえた俺たちは必死で自転車を漕ぐのだった。
*
「はぁ……はぁ……間に、合った、か……」
「し、死ぬ……ゼェ……ゼェ……げほ、げほッ……」
必死に爆走し、俺たちはなんとか電車が到着する前の駅のホームに立っていた。いや、修の方は死にかけでへたり込んでいたが。
そうして息を整えていると、不意に電子音の明るいメロディーが響いた。
『……予定の列車に遅延が発生しております。お急ぎのところご迷惑をおかけしますが……』
そんな、遅延の知らせが耳に届く。人身事故か……。わざと身を投げたのか、それとも不幸な事故でもあったのか。何にしろ、他人の死についてなど考えたくはない。
自分の一つ前に並んでいる少女の肩越しに、ホームの向こうにある路線を覗き込む。……あまりいい気分にはならないな。
別の方に目を逸らすと、今度は視線の先にカップルの姿を捉える。……なんだって俺が朝からこんなものを見せられなきゃいけないんだ。早急に破局してくれるように、軽めの呪詛を送っておく。
「間に合うかな」
「まあ、遅延証明書ぐらい出してもらえるだろ。問題は俺たちの左後方で精神を蝕んでくる呪いの使い手共だが」
「あんな遠いところにいるカップルまで敵認定しなくて良くないかなぁ……?」
春の風もあまり温かくはなく、汗をかいた体をひと吹きで震え上がらせてくれる。もうちょっとくらい厚着をしてくるべきだっただろうか。春眠暁を覚えずに済みそうだ。
隣の修は、ちゃっかりカバンからマフラーなんて出して装着してやがる。思いやりの欠片もない周到さを兼ね備えているくせに今朝みたいな油断も多いのは一体なんなんだろうか。
そんなホームの光景にも飽きてきた頃、線路の遠くから電車の姿が見え始めた。
その電車のライトをぼんやりと眺めていると、視界の隅で何かが揺れた。
見ると、目の前の少女の身体がぐらりと傾いていた。そんな少女とこちらに迫る列車の姿をみくらべ、咄嗟に人身事故の曖昧なビジョンを脳内に浮かべてしまう。
「危な──ッ!」
気づけば、俺は少女の背をかかえる形で支えていた。
小柄で華奢だ。地域では有名な名門中学校の制服を着ているが、この感じだと新しく入ってきてた1年生とかだろうか。そう思うと、シンパシーを感じる。
整った顔立ちの中で、疲れた様子をにじませた目は半ば開いてはいるものの、あまり焦点が定まっていないようだ。疲労か、それとも寝不足か何かだろうか。
ショートボブくらいの長さで切りそろえた黒髪が風でぴょこぴょこ揺れる。
と、そんな感じで視線を向けていると、不意に少女の目に光が戻った。
「あれ? えっと、私、一体──」
どうしたの、と言いかけて視線をあっちこっちに向ける。といっても、そのほとんどは俺に阻まれているだろうが。
それにしても、改めて見ると可愛い。
さっきも思ったが、可愛らしいショートボブの髪。背が低いせいでこちらを見上げるような視線。小柄でありながら、意思の強そうな瞳。言うまでもないが、顔立ちも可愛い。
何が特別だったのかは分からないが、俺は、そんな一つ一つに見とれてしまっていた。
そうして、いつしか彼女から視線をそらすことが出来ずにしばらく固まってたのだが。気づけば、彼女の視線は完全に俺の姿だけを捉えていた。
少し不躾に見すぎたかな、とも思ったが、それにしてはいくら何でもその目は敵意が強すぎやしないか──と考え、今の自分の状況が完全に飛んでいたことに気がつく。
朝のホームで、年端も行かぬ少女の腰に手を回し、顔をジロジロと見てくる男。
──うん。彼女がふらついていたのを支えたという状況がなければ、思いっきり通報されていただろう。
「ッ、悪い。いくら危なかったとはいえ、いつまでもこうしているのはさすがに悪いな」
俺がそう言うと、少女はさらに胡乱な目で、
「──危なかった? いちばん危ないのは突然駅のホームで女子中学生に抱きついてくるあなたの方じゃないんですか?」
「は? いきなり──って、お前がふらついてたから」
「……何を言っているのかよく分からないですが、とりあえず」
そこで一度区切り、息を吸い込む。
そう、まるで──大きな声を出す前みたいに──。
「誰か、助けてください……っ!」
それなりに広い空間に、彼女の澄んだ高い声はよく通る。
ホームにいた、あまり多くない人々の視線が一気に突き刺さる。最初はどういうことかと理解しようとしていた視線に、徐々に感情の色が付いていく。軽蔑するような、糾弾するような、そんな色の感情に。
なるほど。……これ、かなりまずい状況では?
それに気がついて少女の背から手を離し申し訳程度に距離をとるが、絶望的なまでに遅すぎた。
「待て、俺はこの子を助けたんだ! 誰か見てたやつはいないのか……!?」
クソ、見事に他人のことなんぞに興味を持たない現代人共が──! その癖中途半端な正義感で無言のまま非難の視線を浴びせてくる連中にむかっ腹が立つ。
とは言っても、俺にはどうしようも──。
「って、そうだ! 修……修?」
さっきまで俺の真横にいたはずの修がいない。どこ行きやがったのかと視線を彷徨わせると、ホームの端、オタクらしき集団が大層なカメラを構えている一角の方へ向かって走る修の姿が見えた。
「おいテメェ、1人で逃げやがって! おい、ちょ……! 畜生がああああああ!」
これまた的はずれな正義感に動かされた大男が、やたらと慣れた手つきで俺を後ろ手に拘束する。
「暴れんな、静かにしてろ!」
「ンだ野郎、事情も知らねえのにシャシャってくんじゃねえよ!」
「事情なんて見れば一目瞭然だ、諦めてお縄につけ」
「クソが、テメェの顔確かに覚えたからなあァ!」
俺の必死の抵抗は意味をなさず、結局その場に駆けつけた駅員によって、俺は痴漢の第一容疑者として被害者の少女と共に駅長室に連れていかれようとしていた。
「ほんっと、最低ですね」
クソガキが、調子に乗りやがって。そう口汚く罵りたいのを堪えて、控えめな言葉で言い返す。
「だから俺はテメェを助けてやったんだって言ってんだろ、恩知らずのガキが」
「はあ、何をそんな意味のわからない事を……。そのエネルギーを反省することに使ったら、もう少しマシな人間になれるんじゃないですか?」
しかし、少女はどうやら自分がふらついていたことも覚えていないのか、半眼で俺を睨みどこまでも文句を言ってくる。
「いきなり抱きついてくるなんて、よっぽど女の子と縁がない人なんでしょうね。ご愁傷様、とでも言ってあげましょうか?」
落ち着け、平常心だ。こいつの罵倒を浴びて平常心でいられれば、並大抵のことでは動じなくなるだろう。前向きに考えろ。
「そもそも、あれだけ大胆なことをしておいて私を助けた、なんてこの期に及んで言い逃れできるとでも思ってるんですか? 全く、頭の中に何が詰まってるのやら」
いかん、自分のこめかみに血が集まるのを感じる。
「今どき小学生だってもっとまともな言い訳ぐらいできるんじゃないですか?」
「……」
「ふん、すっかり黙っちゃって、ようやく認めたんですか? 本当にめんどくさい人ですね。出来ればもう二度と口を開かないでほしいくらいですけど」
「──さっきから黙ってりゃ好き勝手言いやがって、誰がテメェみてえなクソガキに興味なんか持つかよ」
ああ、残念ながら我慢出来なかった。
「……今、なんて言いました?」
「あ? 聞こえなかったのか」
「いえ、信じられないような言葉が聞こえた気がするんですけど、流石に聞き間違いですよね」
「そうか、じゃあもう1回、ハッキリ言ってやる。俺はテメェみたいな胸もケツも頭の中身も未発達なガキに興味はねえっつったんだよ」
「うわぁ……最っ低です……! やっぱり痴漢なんてする人間だけあって碌でなしですね」
「ギャーギャーうるっせえな、そもそも自分に痴漢被害に遭うほどの魅力があると思ってやがんのか、思い上がってんじゃねえぞマセガキ」
「口を開けば吐くのはそんな言葉ばかり、あなたは本当に相手を貶めることしか出来ないんですか?」
「さっきまでのテメェに鏡を見せてやりてぇよ!」
「最低な人間に最低って言って何が悪いんですか?」
「俺だってガキにガキって言ってるだけだろうが」
「まったくどこまで育ちが悪いんですか、貴方は。……いえ、失礼しました。貴方はどうせ、育ちの善し悪しに関係なくこういう最低な男性になっていたでしょうね。さぞかし生きづらいでしょう、可哀想に」
「は、笑っちまうな。相手の話を聞きもせず一方的に悪いと決めつけるそのお堅い頭抱えてるテメェこそ、よっぽど生きづらくねえか? テメェの周りにいる人間が可哀想でならねえよ」
──朝から一体何をしているのだろう。今日は新しい門出の日ではなかったのか。
そうしてうんざりしながらガンをくれあっていると、いつのまにか駅員室に着いていた。
「とりあえず、いきなり警察に連絡とかはせずに、まずはお話を聞きたいんだけど……」
そう切り出す駅員に、少女は食い気味に言葉を発する。
「そこの人が! いきなり! 抱きついてきたんです!」
「えーっと、誰か見てた人とかは?」
「ホームにいた人はほとんどが見てるはずです!」
そんなやり取りを見ていてもしょうがないと判断した俺は、駅員室の中をぐるりと見渡す。
扉の前には、俺が逃げないようにと言う事なのか、今話しているのとは別の駅員が立っていた。その駅員と目が合い、慌てて逸らす。
……いや、決して逃げる気は無い。ほんとに。だって俺、無罪だし。
勢いよくドアを開ける音が響いたのは、俺が誰に向けるでもなく心の中でそんな言い訳をしている時だった。
ガッ! と、ドアの前に立っていた駅員の背中にドアノブが突き刺さる。
その向こうにいたのは、俺のよく知る人物──つまり修と、その後ろには何故か、先程駅のホームでカメラを構えていたオタクの群れのひとりと思しき男がいた。
修がビデオカメラを手に持っている辺り、無関係な男が偶然修の後ろを歩いているという可能性は限りなく低いだろうが、一体どういうわけなのか。
訝しむ俺の視線を受けてか、
「ちょっとその痴漢容疑、異議ありっ!」
そう、修が宣言する。そして駅員室内に目を向け、ドアノブの一撃を受け地面に踞る駅員に気づく。
「って、大丈夫ですか!? 一体何が──」
そう言っている途中で原因に気づいたのか、一瞬動きを止めると、
「──おほん。これが、その証拠です」
なかったことにした。
修が差し出したのは、手に持っていたビデオカメラだった。そのディスプレイに映っていたのは──。
「駅のホーム……?」
「あ、私と……そこの変態の人も映ってます」
本当だ。画面の端、それほど鮮明とは言えないまでも、俺と少女が電車を待っている姿が映っている。
「……それで、これがどうしたのかな?」
駅員も不思議に思ったそうで、画面をまじまじと見つめている。
「えっと、そろそろかな……あ、ここです」
修がそう言ったタイミングで、画面の中にある少女の姿が揺らいだ。そう、バランスを崩し、倒れそうになったのだ。だが続いて、それを俺が受け止め支える動きが見えた。
「とまあ、こんな感じで。ここの容疑者の正当性が証明されたと言って良いんじゃないでしょうか?」
「……っ」
*
「ふん、例えあなたが本物の痴漢じゃなかったとしても、人間として最低なのは変わりませんからね」
「言ってろガキ。この件は終わりだ、とっとと失せやがれ」
「言われなくてもそうさせていただきます!」
結局ガキは最後まで俺に攻撃的なままで、俺をひと睨みしてから駅を出ていった。あんなに元気に俺を罵倒してきたやつが、本当に駅で青い顔をしてふらついていたのだろうか。
さて、気を取り直してもう1度電車に乗るか、と駅のホームを見るが、もちろんそこに未だに先ほどの電車が停まっているはずもなく。
「要するに、俺たちは入学式に間に合わなかった訳か……」
「あっははは、仕方ないねー」
あのクソガキのせいだ、と心中で毒づくが、そうした所で気が晴れるわけでも電車に乗れるわけでもなく。
がっくりと肩を落とす俺の横で、修は何故か楽しそうに笑った。
*
「いやー、動画撮ってた人が物わかりのいいひとで助かったよ。ああいう人って結構頭硬かったりするからね〜」
結局、二本遅い電車で学校の最寄り駅に到着した俺たちは、今から入学式に乱入することも出来ないと判断し、近くの公園に時間を潰しに来ていた。
「お前、たまに頼りになるよなぁ。たまにしか頼りにならないけど」
「たまにとは失礼だなぁ、いつだって俺を頼りにしてくれたまえよ」
「いや、そんな事して人生を破滅に向かわせたくないから遠慮しとく」
「はは、一体どういう意味かな?」
「あー、いいだろ何でも」
あえて、感謝の言葉は言わないでおく。
「……はぁ」
何とはなしに鞄に手を突っ込んでガサガサしていると、指先になにやら箱の感触。何かと思い取り出してみると、それは中学の頃につるんでいたガラの悪い連中に、半ば強引に押し付けられた煙草の箱だった。中学卒業から今日までカバンの中に入れっぱなしにしていたらしい。
封の開けられてすらいないその箱を、太陽に翳してみる。
隣のベンチでは、修が横になっていた。
「薫、何それ? 今日の昼ごはん?」
「どこをどう見たらこれが食いもんに見えるんだ」
はあ、ともう一つため息をつきながら、俺も修に倣ってベンチに体を横たえる。
そのままぼんやりしていると、不意に視界に影が落ちた。
誰かが上から俺たちを覗き込んできているようだが、逆光で顔が見えない。
「誰、だ……?」
起き上がって姿を視認する。
少女だ。それも制服を着ている、ついでに言うととびきりの美少女。
どちらかというと可愛いというよりは綺麗といった感じだろうか。意思の強そうな瞳が、興味深そうにこちらを射抜いている。
容姿だけでなく、凛として落ち着いた雰囲気や、ただ立っているだけの佇まいの中には、不思議と彼女をどこか高貴な人間に感じさせるものがあった。
大方、お金持ちのお嬢様と言ったところだろうか。革の鞄を提げているところを見ると、彼女も通学途中なのだろうか。こんな時間に?
横では、修がアホ丸出しの怪訝な顔をしていた。多分、俺も同じような表情をしているのだろう。
……いや、それはいいのだが。
真昼間の公園で頭の悪い男子高校生2人といかにもお嬢さまな美少女が見合ってる構図って、傍から見たらどう映るんだ……?
よくわからない状況に耐えかねて、声を出す。
「……何か用か?」
すると、それまで腕を組んでこちらを観察するように見ていた彼女が初めて口を開いた。
「いや、用はないけど興味がある」
「興味ぃ?」
自分で言うのもなんだが、こんなよくわからん高校生のどこに興味を持つっていうんだ……?
「いや、だってだよ? こんな平日の昼間っから公園でサボってタバコの箱を弄んでるような高校生、そうはいないんじゃないかな?」
脂汗が背中を伝う。どうやらタバコの箱を持っていたところをしっかり目撃されていたらしい。
「ああ、そんなに怖がらなくても大丈夫だよ。別に私は誰かに言う気はないからね」
俺の様子を見て察したのかそんなことを言ってくるが、正直信用ならない。俺はこういう恵まれてそうな奴の言うことは信じないと決めてるんだ。
「で、興味があっても用がないんだったら、アンタもさっさと学校にでも言ったらどうだ」
「あはは。確かに、私もあまり暇ではない身の上だ」
なんて言うが、興味だけで無関係の人間に関わってくるような奴が忙しいとは到底思えない。
「私にも学校生活があるからね。悲しいことに、興味の向くまま気ままに生きるわけにもいかないのさ」
そう言うと、お嬢さまは俺たちに背を向ける。
そして去り際に思い出したように振り返り、からかうような表情で。
「その制服、東堂のだろう? 見たところ1年生みたいだけど、入学式はどうしたんだい?」
……よけいなお世話だ。
そして彼女は、それで今度こそ満足したらしく、足取り軽く公園を後にした。
それにしても。今日1日、ロクでもない出来事に付きまとわれてばかりだったが、今のはちょっと意味がわからなかった。
「何だったんだ……?」
「さあねぇ」
修は適当に返事をすると、ベンチに寝転がってしまった。どうやら寝るつもりらしい。呑気な奴め……。
だが、改めて考えると、昼寝をするには悪くない気候かもしれない。駅のホームに吹いていた冷たい風が嘘だったかのように、俺たちの頭上では春の太陽が心地いい陽気を振りまいていた。
あちこちにある遊具で遊ぶほど無邪気にもなれず、だからといって入学式が終わるまではまだ時間がある。時間潰しがてら俺も横になるか。
そうしてベンチに体を横たえると、思っていたことを半分無意識のまま口にする。
「……あんな綺麗な人とお近づきになるなら、もうちょっとまともな状況が良かった……」
「いや、お近づきにはなってないんじゃないかな……」
そう言う修の返答に言い返す気力もわかず、俺は春の陽光に呼び寄せられた眠気に身を預け、眠りへと落ちていった。
*
東堂学術学園。元々は進学校として有名な高校であり、数年前に”確かな技術を持った即戦力の育成”を理念として掲げ工業化を新設した、様々な角度からの教育に熱心な高校である。そんなこの学校には実に千人以上の生徒が在籍しているらしく、無駄にデカい校舎の威容がその事実をまざまざとしめしているかのようだった。
そしてその工業科こそが、今日から俺たちの学舎となる場所である。しかし、残念なことに、俺の胸の内にあるのは小さな期待とか淡い希望とかではなく、見渡す限りの不安だけだった。
入学式は9時から。終了時刻は10時頃だったか。そして、現在時刻は──11:40である。
「やっちまった……」
「あははは、ぐっすりだったね」
「お前もだけどな」
まあ、何があったかはあえて言うまでもないだろう。最悪だ。
「担任、物分りがよければいいんだがなぁ」
玄関先に、暮らす割が張り出されてるのが見えた。修がそちらの方に目を向ける。
「おい、そんなの見てないでさっさと行くぞ」
「え、クラス分け見なくていいの?」
「いや、クラスは事前に配られた書類に書いてあっただろ」
「……え、そうなの」
「……お前、もしかして事前配布の紙、全く目を通してないん……」
「よし、行こうか! で、俺は何組かな?」
「俺と同じ4組だよ。残念なことにな」
俺がどうしようもないほどに遅刻する羽目になったのは、こいつのこういう所が原因なんじゃないのか。そう考えると、後ろからぶん殴りたくなってきた。
そんなくだらない話をしながら歩いていると、いつの間にか教室にたどり着いていた。
おそるおそる教室の扉に手をかける。
「おはようございまーす!」
「あー、おはようございます……」
戸を開けて挨拶をすると、教室中の視線が俺たちに集中したのがわかった。ものすごく居心地が悪い。あと、修は遅刻しておきながら元気に挨拶しすぎではないだろうか。
「あら、おはようございます。お二人とも仲良くねぼすけさんですか?」
そう言ったのは、教壇の上に立つ、担任と思しき優しそうな女性だった。おそらく20代前半だろう。美人で、ついでに言うと胸もなかなかのものである。こんな人が担任だなんて、素晴らしくツイてるじゃないか。この人に怒られるなら、むしろ御褒美……
「御幸くんと富塚くんですよね? 生徒指導の先生が呼んでいたので、このホームルームが終わったら体育教官室に行ってくださいね?」
……という訳にもいかないようだった。
「はい、分かりました……」
横を見ると、修は澄ました顔をしている――と思いきや、よく見ると目が死んでいた。ちなみに視線は先生のバストの辺りに固定されている。挨拶したときの元気はどこへ行った。
「修くんはあそこの席、薫くんの席はあそこですよ」
先生は指を指して俺達の席を指示してくれる。
そうして席についた俺達は、最高に憂鬱なホームルームを過ごしたのだった。
*
──こうして、今に至る。
目前の教師は相も変わらず恫喝と言って差し支えないような勢いで俺たちを詰問していた。
「痴漢で遅刻だァ?」
「いやだから冤罪です、冤罪」
「あ、自分は薫の冤罪を晴らそうとしたら巻き込まれました」
生徒指導の先生は、案の定強面でガタイの良いいかにも体育会系といった感じの人だった。態度が高圧的すぎる。声もでかくて鼓膜が震えっぱなしだった。今日から俺の中でこいつのあだ名はゴリラで決まりだ。
「いや、寝坊したなら寝坊したとはっきり言えばいいんだ。説教は軽めで済ませてやるからよ」
「ほんとですって! 俺が嘘つくような薄っぺらい男にでもみえるんすか!?」
「見えるな。お前みたいな生徒にロクな奴はいない」
気が変わった。今日からテメェはクソゴリラだ。
「正直、それなりに付き合いの長い俺から見ても軽い男に見えるけど」
共に説教を受けているクソメガネの方は相変わらずだった。
「とりあえず、だ。入学初日から理由はわからないが数時間単位で遅刻したお前達には、通常ならちょっとしたペナルティが課される」
「ペナルティ、ですか……」
「まあとりあえず、それに関しては最初だから見逃してやる。お前らが今後もここの世話になるようなら考えなければいけないがな」
どうやら俺たちは助かったようだった。ゴリラに心の中で毒づき続ける時間もこれで終わり……
「ただ、お前らがこれから常習的に遅刻をしないように指導しておきたい事が山ほどある」
「は」
「えっ」
「まあ、言ってしまえば説教だな。昼もすぎて早く帰りたいだろうとは思うが、私の説教を聞いてから帰れ」
世間ではそれをペナルティと呼ぶのではないだろうか。
そういうわけで、残念な事に俺達はタダでは帰れないらしい。
そうして、そのままクソゴリラの1時間にも及ぶ説教を受けることになった俺たちは、高校生活の厳しさをしっかりとその身に刻んだのだった。
*
説教を終えて教室に戻ってみると、いくつかのグループが帰らずに駄弁っていた。俺は周りから一体どう思われてるんだろうか。入学式をすっぽかした時点でろくな評価を貰っている気がしない。
「俺には薫の考えている事が何となくわかるんだけど」
「何も言うな……俺たちの高校生活はまだまだこれからなんだよ……」
そうだ、明日からいくらでも挽回するチャンスはあるはずだ。いや、できなかったら俺の高校生活は終わりだ。
というか、さっきからなんだか教室に残っている連中の視線がこっちに向いているような気がするんだが……。
「お前ら、俺に何か……」
そう声をかけると、クラスメイト達はにわかに慌てた様子になる。
「あ、俺そろそろ帰るわ」
「俺もっ!」
「僕も帰ろうかなー、なんて……」
そして、そんな言葉を残して一斉に教室をあとにする。なんだ、俺はもしかして嫌われているのか。心当たりはないが、そこはかとなく不安になってきてしまった。
「薫、何かやらかしたの?」
「いや今日はずっとお前といただろ!? やらかす暇は無かったはずだ!」
「いやでも、あれは流石に……」
「……とりあえず、帰ろうぜ……」
そうして、最高にもやもやした気分で教室をあとにするのだった。
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